や が て 生 ま れ い ず る 者 へ



男は、嵐の海を1人越えてやってきた。
荒廃したグランドラインの端に停泊したモビー・ディックの甲板は雨と波に覆われて、悪魔の実の能力者にとってそれは命取りになりかねない環境だった。それでも男と対峙するために、ニューゲートも1人、小舟を寄せた男を引き上げた。仲間をどうした、と尋ねたニューゲートに、男は、「別れた」と一言告げて、ただただ大きく笑う。その顔が数年前より随分やつれているので、ニューゲートはわずかに顔を顰めた。男とニューゲートは、そう大した仲ではない。無駄な争いを好まないニューゲートと、争いよりも冒険を望む男とは、戦うこともないが噛み合うこともなかった。ただ、長く海にいることで生まれる、ある種の親近感のようなものはあって、だから、男とニューゲートはたまに酒を酌み交わすこともある。それも数度の話だ。気ままに海を航海していた男の船が、唐突に進路をグランドラインの終点を目指した時から、終わりは始まっていたのだろう。『死ぬ』と言って笑った男が、今こうしてひとりきりでニューゲートの前にいる。それでは、今がその時なのだろう。

少しばかり慣れ合ったところで、所詮は敵船の船長だった。男がどこで死のうと生きようと、ニューゲートには何の関係もない。けれども、男がこうして尋ねてきた理由だけは、少しだけ分かるような気がした。ニューゲートが男の立場でも、弱り切った体を晒して、仲間に最期を看取らせるようなことはしないだろう。船長であり続けるためには強さが必要だった。それは、ニューゲートが愛する「家族」の父親であり続けるために必要なことだった。

叩きつける豪雨と波しぶきの中でも船室に入ることを拒んだ男は、もうすぐに旅立つのだと言う。「どこへ行く」と尋ねたニューゲートに、「故郷だ」と男は告げた。男の故郷は、イーストブルーの小さな島だと聞く。グランドラインの頂点まで上り詰めた男が、最期に目指す場所はそこなのだと。ニューゲートは、しばらく一回り小さくなった男を眺めて、それから無言で握った右腕を差し出した。「なんだ、握手か?」と男が言うので、「馬鹿を言え」とニューゲートは言って、そのまま男の肩を押す。もう少し力を込めて、男の血液すら揺らしてしまえば、この場で男は死ぬだろう。ニューゲートにその気があって、男が抵抗しなければの話だが。殺気の無い拳では、男は笑うばかりだった。笑うばかりの男だった。10数年前に現れたルーキーは、あっという間にグランドラインを駆け抜けて、ニューゲートやシキと並んで海を制して、難攻不落のグランドラインすら攻め落として、笑いながらこの世に手を振っている。男は、きっとあの世でも笑って酒を飲むのだろう。

拳を離して、「悔いはないか」と尋ねたニューゲートに、「腐るほどある」と、やはり満面の笑みで男は言った。あんまりにも悔いのない笑みだったので、「そうか」と、ニューゲートも笑う。「2周目のグランドラインだろ、レイリーとシャッキーの今後だろ、海軍共ももっとからかってやりたかったし、シキとの決着もついてねえし、そうだ船に乗ってる若い奴らが成人するのも楽しみだったのによ、でも何より生まれてくる俺のガキが俺の顔を知らずに死ぬのが悔しいな」と、指折り数えた男の、最後の言葉に、ニューゲートはわずかに目を見張った。「お前にガキだと?」と呟いたニューゲートに、「おう、羨ましいだろ」と男は胸を張る。そして、尋ねもしないのに南の島の女の話と、生まれてくるだろう子供の話と、男が考える子供の名前を矢継ぎ早に告げた。「男でも女でも、俺のたった一人の子供になるからな、『ひとつ』で『一番』な名前なんだ」と、誇らしげに男は笑う。子供と、女を残して死ぬことに悔いがあると言いながら、それでも1人故郷を目指す男は、これから死ぬとは思えない顔をしていた。余りにも身勝手で傍若無人で支離滅裂な男は、それでも確かにこの世で最初の「海賊王」だった。

ひとしきり笑った男は、「じゃあな」とニューゲートに片手を上げて、嵐の海に漕ぎ出した。豪雨と雷鳴は止まず、大きくうねる波は今にも男の乗る小舟をばらばらにしてしまいそうだったが、それでも舟は東を目指すのだろう。男の乗る船だけが、ラフテルに辿り着いたように。あっと言う間に見えなくなった舟を探しも、追いもしないニューゲートは、甲板を後にする。いつかもしも男のこどもに出会うことがあれば、男がどんな風に笑うだけの男だったかを教えてやろうとちらりと思った。こどもが知らない男を、ニューゲートが。

「海賊王」であるゴール・D・ロジャーと、「白ひげ」ことエドワード・ニューゲートが言葉を交わしたのは、それが最後だった。

( 海賊王と白ひげである前に一人の人間として / ロジャーとニューゲート / 3月18日 / ONEPIECE )