信 じ る ま ま の 姿 の 輝 き



モビー・ディックは青い海原を直走る。その気になればどこにも泊まらず1年航海できる船は、だから2ヶ月を超える船旅で疲弊した様子もない。少しだけ増えたあたらしい「仲間」を乗せて、船は静かに前へ進む。どこへでも、白ひげの気の向くまま、あるいは白ひげすらも知らないどこかへ、どこまでも。広い広い海原には数多の海賊がひしめいて、恐れを知らない彼らは白ひげに挑み続けるが、海の王者の風格は少しも揺らぐことがない。彼らの一群れは海の一部になり、またある一群れは命からがら姿を消し、そしてまた一握りはそのまま白ひげの船に乗り込むのだった。今もまだ抵抗を続ける、焔を宿した青年のように。青年-というよりまだ少年めいた年若い海賊は、夜昼となく白ひげの命を狙い続けている。銃で、斧で、ナイフで、炎で、素手で、その悉くを片手で防がれても一向に衰えることのない気慨は称賛に値する、とマルコは思う。けれども、そろそろ頃合いだった。すでに背中を押したマルコは、甲板の定位置に腰を下ろす少年に-エースに足を向ける。かつん、と足音を立てて立ち止まったマルコを、エースは振り仰ぐこともない。敵船の真ん中で無防備にも程があるが、けれども、エースはすでにこの船のクルーなのだった。少なくとも、白ひげの親父にとっては。となれば、一番隊隊長であるマルコを始めとしたクルー全員にとっても仲間なのだった。

目覚めの運動にすらならないようなこどもとの戦いを、親父が楽しんでいることを全員が知っている。それは、エースが真剣であればあるほど微笑ましい光景で、すでに仲間になったエースの船の船員たちですら、遠巻きに眺めるばかりで手を出そうとはしない。この船で、仲間が仲間に殺されることはないのだということを理解したからかもしれなかった。マルコは、顔を上げないエースの前に食事を乗せたトレイを置いて、しばらく動かないつむじを眺めている。食事の時間になっても食堂に現れないエースを、放っておけば良いという人間は誰もいなかった。むしろ、あれだけ動いて腹が減らないわけがないので、引きずってでも食事を取らせるべきだと言うのが主流意見である。ロギア系のエースはその度に仲間を燃やしかけるので、結局燃えることのないマルコが面倒をみることになった。食事を前にしたエースは存外素直で、ゆっくりと身体を起こしたエースは手を合わせてから食事に口を付ける。おそらく足りないのだろう量を、だからこそことさらゆっくり口に運ぶエースの前で、マルコはそのままエースを眺めていた。いつまでも我を張るエースが物珍しかったからでもあるし、いい加減エースの世話に飽きたということもある。親父とエースが戦い続けるとしても、できれば食事くらい自分で食べるようになったほうがマルコにとって都合が良いのだった。敵ならば張り倒して縛り付けてでも連れていけるが、仲間になってしまえばそうはいかない。すでに誰も疑わないそれを、エースだけが受け入れない状況をエースがどう思っているのか、マルコは知りたかった。ただ話しかけてもろくに答えないエースが、自分から喋りだせばそれなりに話し続けることを知っているマルコは、エースの食事が終わるのを待っている。やがてスープの一滴まで空にしたエースは、器をことんとトレイに戻して、また手を合わせた。それから。

「…何か用か」と、マルコの顔は見ずに言ったエースに、「用ってほどでもねえが、お前の仲間は全員中で飯食ってるぞ」とマルコは告げる。スペードの海賊団のクルーだった連中は、サッチが拾って面倒を見ていた。船長の命運はお前らが握ってる、とでも脅しをかけたのか、モビー・ディックの下っ端として働く彼らはそれなりに楽しそうだ。エースと、一緒に船に乗っていられたらそれでいいと誰かが漏らしていた。そこまで慕われるエースは、だからきっと良い船長だったのだろう。けれども、今はもう一クルーだった。船を下りないエースが親父の首を取ることはありえないので、エースがこのままこの船に落ち着くことは誰の目にも明らかだった。能力者が増えればそれだけ戦闘に幅ができると、隊長連中は喜んでいるのだ。もちろんマルコも含めて。いい加減認めてしまえ、と心の中で呟くマルコに向かって、「あいつらはお前らが拾ったんだろ」と、エースは言った。「俺はまだお前らの頭と闘ってんだ」と続けるエースに、「道理だがな、親父はもうお前を仲間にしたつもりでいるよい」とマルコは淡々と事実を述べた。海賊団の中で、船長の持つ位置は絶対だ。それこそ数人からなる小さな船でも、艦隊を率いる数千の船団でも、船長が威厳を失くした船はあっさり崩壊するだろう。何十年も海を制する白ひげの度量の深さを、エースが理解できないとはとても思えなかった。マルコをはじめとする白ひげ海賊団のクルーは、皆一様に親父を敬愛していたが、それは盲目的なものではない。誰もが己の信念に基づいて、自分の意思で親父を愛しているのだった。その証拠に、親父は船を降りるクルーを無理に引きとめたことは一度もないし、親父と反発して船を降りるクルーもまた存在しないのである。ただ寂しいと、親父が一言いえば誰も船を去ることはないだろう。けれども親父は船長であり家長なので、息子としてはその背中を超えたくなる時もあるだろうと、いつか親父は笑って言った。とても優しい顔で。

だからマルコは、「ふざけんな」と顔を歪めたエースに向かって「仲間でもねえ奴に飯を食わせるような船だと思うか」と少しだけ厳しいことを言った。船の上で、食糧のひとかけらがどれだけ貴重なのかを、船乗りならば誰もが知っている。エースがのうのうと食い続けることを良しとしていないのは、噛み締めた唇と表情から推し量ることができた。何も惜しいことはない、仲間が餓えることなど、この船であってはならないことである。「いらねえとは言わねえだけ褒めてやるよい」と、語気を和らげたマルコに、エースは「食わなきゃ死ぬ…だろうが」と小さな声で言った。その通りである。一つ頷いたマルコは、空のトレイを脇に寄せて、エースの前に腰を下ろした。わずかに目を見張ったエースに、なあ、とマルコは言う。

「お前、死にてぇわけでもねえくせに、どうして親父の首を取りに来た」

今のエースでは親父に勝つことができない。それは過信でもなんでもない、純然たる事実だった。この広いグランドラインを、親父が何十年も制していられる理由を考えればわかるはずである。そもそも、親父が乗り込んだ時点でエースは5日間戦い続けていたのだと言う。能力者は呼吸するように能力を使うが、それも無尽蔵ではない。パラミシアやゾオン系のマルコと違い、ロギア系のエースにとって体力の限界は能力の限界だった。燃えない炎は、エースを形作りこそすれ、エースに勝利をもたらすことはない。能力を差し引いても強いエースに、それが分からないはずもない。だからこそマルコには不思議で仕方がないのだ。エースがこの船に馴染まずにいる理由が、理解できない。受け入れてしまえば、簡単に望むものを手に入れられるだろうに。エースはしばらく黙ってマルコを見ていた。何度か口を開きかけて、また閉じて、大きく開いていた瞳を半分ほど閉じて、それからエースは「別に、」と言いかけた。「別に?」と、宙に浮いたエースの言葉をマルコが促すと、エースはぎゅっと目を閉じて一気に、「俺は白ひげと戦いに来たわけじゃねえ」と言った。

「…はあ?」

しばらくぽかんとエースを眺めて、どうにか絞り出したマルコの言葉は相当間が抜けていたのだろう。エースはなんだかもごもごと口を動かして、泣きだしそうな笑いそうなそんな顔をしている。しかしそれはマルコも同じだった。2か月近く船に乗って、100回以上親父の命を狙って、同じ数だけ殴り飛ばされたエースが「戦いに来たわけじゃない」と口走ったとすれば、マルコでなければ同じ顔をするはずだ。マルコは思わずきょろきょろと周りを見回して、他に誰もいないことを確認してほっと胸を撫で下ろす。エースの今後のためにも、これはマルコ一人が責任を持っておさめるべきだった。はあ、と大きく息を吐いたマルコは、改めてエースに向き直る。傷だらけで薄汚れたエースは、2ヵ月前より明らかに細かったが、それでも臆することなく背筋を伸ばしてマルコを見返した。

「どういうことだよい」
「あの魚人には言ったが、俺は白ひげに会ってみたかっただけだ」
「それがどうして5日も続くような戦いになるんだよい」
「俺が海賊で、あいつも海賊だったからだろ」
「は、」

白ひげに会ってみたい、と、エースは言った。マルコは思わずため息のような声を漏らして、目の前に座るエースをしっかり見つめ直した。真っ黒な目と癖のある髪に、すこしきつい顔立ちをした、青年よりは少年に近い、それでも一海賊団を率いる船長である。親父とエースが散々戦った今ならば、「会ってみたい」というエースの言葉がただそれだけの意味しか持たないことを理解できた。けれども、海賊が海賊に「会いたい」ということを、額面通りに受け取る人間がどこにいるだろうか。事実、エースと同じ言葉で白ひげ海賊団に挑む輩は後を絶たないので、ジンベエを責めるわけにもいかない。その度に粉砕してきたマルコは、だからエースに向かって溜息を吐くしかなかった。ただ会いたかっただけのエースは、ただそれだけが受け入れられなかったから5日間も戦い続けたのだと言う。海賊になるような連中は皆馬鹿だとわかっていたが、その中でもエースは筋金入りの馬鹿だった。息をのんだマルコをよそに、「そんで、お前らの頭は『喧嘩を買う』と言った」とエースは続けた。確かに、どちらかが死ぬまで終わりそうになかった戦いを止めた親父の台詞は「おれが相手してやろう」だった。マルコは隣で聞いていたので、親父が随分楽しそうだったことも知っている。「それで」と促したマルコに、「買われた喧嘩を放棄したらただの負け犬だろうが」と、当然のようにエースは答えた。売ってもいない喧嘩を買われたからというのだ。さすがに、マルコも可笑しくなってしまった。これは親父でなくても可愛くなって当然だ。ふっ、と唇の端で笑ったマルコを、エースは鋭い目つきで睨んでいる。けれども、エースが親父以外のクルーに手を出すことはないのだ。親父以外のクルーがエースに手を出さないように。律儀もそこまで来たらただの馬鹿だな」と、笑いながらマルコが言えば、「うるせえ、とにかく俺はお前らとは」とエースは少しだけ語気を強めたが、その言葉を遮って「でもこれで、親父がお前を認める理由もよくわかった」とマルコは言った。「だからっ、」となおも言い募るエースを宥めて、「いいからもうしばらくこの船に乗ってろ」と、空のトレイを手に取りながらマルコはなおも笑う。「お前にもわかる」とマルコが告げれば、ますます眉間に皺を集めながら「何が」とエースは言った。不機嫌そうなエースの顔はますますこどものようで、マルコの笑みがおさまることはない。親父はいつもこんな気分で息子を増やしているのだろうか。エースの視線を感じながら立ち上がったマルコは、エースに背を向けて2,3歩進み、それから振り返って、

「何もかもだよい」

と、言った。こどものような顔をしたエースの表情が一気に崩れるのを見て、マルコは今度こそ声を上げて笑った。愛しいほど馬鹿正直な海賊だ。仲間にならないのなら適当な船で下ろしてやれ、と親父は言ったが、仲間にならないのならいっそ殺しておきたいほどだとマルコは思う。実行はしないが。

マルコがひとしきり笑って、甲板の縁をぐるりと抜ければ、そこには見慣れた悪友がにやにや笑いながら立っていた。嫌な奴に嫌なところを見られた、とマルコが笑みをおさめれば、サッチはにやにや笑いのままマルコに近づいて、マルコの肩に手をかける。重い、とマルコは無言で示したが、サッチは気にもかけずに「どうだ、懐きそうか?」と言った。「さあな」とマルコは素気無くサッチを切り捨てて、それでも「ただ、面白い奴ではあるよい」とだけ告げる。「ふううん?」と返したサッチの顔があまりにも笑み崩れているので、居心地が悪くなったマルコは「気持ち悪い顔してんじゃねえよい」と今度こそサッチを振り払った。

「ひでえなあ」と、やはり口先だけで文句を言ったサッチは、マルコを指して「お前も随分ゆるんだ顔してるけどな」と付け加える。自覚のあるマルコは素知らぬ顔で「なんのことだよい」とあさっての方向を眺めた。少しは動揺しろよつまんねえ、と口をとがらせたサッチは、「あーあ、俺も餌付けしときゃよかったなあ」と空を仰ぐ。先に話しかけたのは俺なのにな、とサッチがぶつぶつ言うので、「俺が好きでやってると思うのかよい」とマルコが口をはさめば、「嫌ならやらねえだろ」と当たり前のような顔をしてサッチは言った。間違いではないが心外だったので、「何言ってんだ」とだけ言ってマルコは口を閉じる。

サッチは腹の立つ顔でふふんと笑ったが、それ以上追及はせずに「皆あいつの事気にしてるぜ?次に海に飛び込んだら誰が助けに行こうとか」と言った。「お前も参加してるんだろい」とマルコが返せば、「当然だろ」とむしろ誇らしげにサッチは言うので、もう勝手にしろとマルコは思う。このぬるい空気に気付かないエースはむしろ大物だ。もちろん親父は本気でエースを相手にしているので、エースにとっては笑い事ではないのだが。「あいつらの仲間はもう馴染んできたのにな」としみじみサッチが言うので、「お前が馴染ませたんだろうが」と、そこだけはマルコが訂正する。エースを取り返しに来たスペード海賊団を、サッチは無理やり船に引きずり込んで、ぼこぼこにしたあと無理やり発破をかけて、何度も返り討ちにした上で居場所を与えて、あっという間に仲間にしてしまった。強くて調子がいいだけではないサッチは、「んー?まあ割と骨のある奴らだったからな、4番隊で叩きのめしたもんは4番隊のもんだろ」と飄々と笑う。その顔がやっぱり癪にさわるので、「じゃあアレは俺の隊に入れりゃいいんだな」とエースの要る方向を指し示してマルコは言った。「なんでだよ」とサッチが食い付くので、「さっき俺が叩きのめしたからな」とマルコも愉快そうに笑う。そりゃあもうぼこぼこに、精神的に。えー、と抗議の声を上げたサッチが「仲良くなったんじゃねえの?」と尋ねるので、マルコは「そりゃ無理だ」と返した。まだ無理だった。それでも、エースが正式に仲間になった暁には一番隊が引き取ることにしよう、とマルコは決める。少なくとも、四番隊には譲ってやらん。「なんかずるくねえか」とサッチが口をとがらせるので、「そんなに懐かせたいなら、寝てる間に毛布でも掛けてやれよい」とマルコはひらひら手を振った。「たぶんそういうことが一番効くはずだからな」と唇の端を持ち上げたマルコに、「そうだな」とサッチも返した。が、はたと気づいたように「寝てる間じゃ気付かれねえじゃねえかよ」とサッチが呟くので、「まあそうだな」とサッチをそこに残したままマルコはまた食堂に向かって歩き出す。マルコの食事はまだ済んでいないのだった。

親父の欲しいものを手に入れることが白ひげ海賊団の目的だが、親父の欲しいものは結局船員全員の欲しいものなので、目的と手段は良く入れ替わる。今回も、エースを仲間に引き入れるための行動を、船員全員が楽しんでいた。だからこそうまくいく、と頷いたマルコは、エースの炎がマルコの焔と並ぶ日を思ってまた少し笑った。
親父のためにもマルコのためにもエースのためにも、それがそう遠い日でなければいいと願って。

( エースとマルコの行間を埋める話 / マルコとエース+サッチ / 入隊3日前 / ONEPIECE )