あ ら し の よ る に



マルコが悪魔の実を口にしたのは、二十歳を一つ二つ過ぎてからだった。
それがどんな日付だったのかはあいまいだが、大きな牡丹雪が舞っていたのを覚えている。グランドラインにいる以上、季節も雪もあまり意味を持たないが、それでもマルコは冬に生まれ変わったのだと思っている。親父の息子になって数年、下積みと実践を繰り返しながら少しずつ実績を残していたマルコの人望は厚かった。偶然手に入った実だって、本当はマルコだけではなく、その場にいた誰にだって手にする権利があったというのに、誰もそれをしようとはしなかった。今となって思い返してみれば、あの頃のマルコは今のエースと同じような立場だったのだろう。斬込部隊である二番隊の副隊長、経験以上に足りない威厳を、能力で補えということだったのだ。とはいえ、それも今となっては憶測でしかない。当時の隊員は、ほぼ全員船を下りている。白ひげ傘下で海賊団を興したり、「本島」で家庭を持ったり、行き先はさまざまだったが。ともかく、マルコは悪魔の実を食べた。実など食わなくてもマルコは強かったが、さらに上を目指したかったのは確かだ。あの頃のマルコは今よりずっと無鉄砲で、先のことなど考えたこともなかったが、今も昔も親父が全てであることに変わりはない。要は親父のために生きる自分のために、強くなりたかったのだ。マルコは。

雪の日だった。静寂が音に変わるほどしんしんと、そしてたえまなく降り積もる雪の中、本島に接岸したモビーディックの目の前で、つまりは親父の目の前で、実に躊躇いなくかぶりついた-味が酷かったのは忘れたいが-瞬間、目の前が真っ青に揺らめいた。真っ青な光は瞬く間に広がって、モビーに燃え移る。一瞬、誰も動かなかった。何が起きたのか分からなかったのはマルコだけではないらしい。燃え移った青い光、焔が、親父の足元を舐めた瞬間、マルコは羽ばたいていた。驚きも戸惑いも焦りもなく、飛べるということを、マルコは身体で理解していた。親父の襟首をつかんだマルコは、焔の届かない海岸線の先で親父を下ろして、そこでようやく我に帰った。「派手にやったなマルコ」と、特徴的な声で笑う親父の視線を追って、崩れるように人に戻った。モビーが焔に包まれている。高熱を示す蒼い色で。雪は絶え間なく降り注いで視界を奪って行く。やがて火は消し止められたが、モビーの、モビーたる所以である前甲板は真っ黒に焼け焦げて見る影もない。本当に膝から崩れ落ちたマルコを、船まで連れ帰ったのは親父だった。「大した能力だ、歓迎するぜ」と、マルコを担ぎ上げながら親父は言って、そしてやっぱり笑っていた。雪はしんしんと降り注いで、焼け焦げたモビーを覆って行く。ゆっくり歩く親父と、その肩で涙をこらえるマルコも、真っ白く雪を被っている。

幸いなことに、モビーを半焼させるほどの焔は誰も傷つけていなかった。マルコの能力が「そういうもの」なのだとわかったのもそのときだった。熱と光、静寂と轟音、死と再生を繰り返す。翌日、船大工に交じってモビーを修理しながら、マルコは二度と船を傷つけないことを誓った。船も仲間も、そして親父も。傷はすべてマルコが負えばいい。モビーが元の姿を取り戻す頃には、マルコは両腕を翼に変えて空を飛んでいた。上空から見下ろしたモビーの船首では、親父が満足そうに笑っていた。


さて、花嵐の夜である。
モビー・ディックが停泊した島は、一面にサクラが咲き誇る春爛漫の春島だった。白ひげ海賊団の一番隊隊長は、白ひげ−親父の前で、親父と酒を酌み交わしている。マルコの過去は、二番隊副隊長から一番隊隊長への昇格を経て笑い話に変わった。マルコ自身は今でも笑い事ではないと思っているが、そういえば親父は最初から笑っていたのだった。人型から不死鳥に変わる時は、今も少しだけ、…少しだけ恐ろしいと思う。悪魔の実とは良く言ったものだ。何しろ不死鳥だ。少なくとも、能力を使っている間、マルコは確実に人ではない。確実に人に戻れる保証もなければ、不死鳥に変わったマルコが人の倫理で飛んでいるのかもマルコには分からないのだった。ただ「飛ぶ」ことだけに意識が集まる時もある。あの頃ほど自分も他人も信用できなくなったマルコは、誓いを口にしなくなった。もちろん葛藤はある。それでも、マルコの能力で得られるものと失うものを秤にかけて、飛びつつけることをマルコは選んだ。だからこそ、マルコが最初に見た蒼い景色は、いつまでもマルコの脳裏に焼き付いて薄れることがないのだ。

ともあれ過去の話である。持て余した能力も、今では指先一つで操れるようになった。生物を焼かない炎は、それでも熱を伝えるので、花冷えのこんな夜にはうってつけの暖房代わりになる。花見酒に焚き火は無粋だ、というのが親父の弁で、そしてナースがどれだけ諭してもきちんを服を着ないので、マルコが駆り出されるのが年中行事だった。マルコにとっても親父と飲む酒は特別なので、さして異論はなかった。島に降りた隊員の笑い声が遠くから流れる中、港から張り出した桜の枝を肴に杯を傾ける。熱燗の温度も、つまみのスルメを炙るのも、マルコには簡単なことだった。「今更ながら便利な能力だな」と親父が言うので、「役に立って何よりだよい」とマルコは返す。本心だった。最初がなければもっと良かった、とは口に出さなかったが、親父には分かったのだろう。「辛気くせえ顔はするなよ、酒がまずくなる」と、杯を差しだしながら親父は言った。いい温度に温めた燗をとくとくと注ぎながら、「しねえよい」とマルコが言えば、「そうか」と、親父は笑って杯を傾けた。少々過ごし過ぎだが、今夜くらいは無礼講だろう。何かを我慢して生きるくらいなら全てやり尽くして死ぬ、それが白ひげだった。だからこそ、こんな無法者をまとめて「息子」と呼べるのだ。船を半分燃やされても、…居室を灰に変えられても。少し冷たい風に乗って、サクラははらはらと音もなく舞い落ちる。海賊風情には少し風雅過ぎる趣向だ。事実、若い連中は好き勝手に火を焚いて、花より宴に興じている。それもまた、悪くはないが。ごとん、と空になった徳利を置いて、マルコは一つ息を吸った。

「で、本気なのかい、親父」
「何がだ」
「あの小僧を隊長に据えるって噂だよい」

おそらく、今頃は宴の中心にいるだろう、マルコとは別の炎の能力者を指す。すっかり一身に馴染んだエースが、白ひげの誇りを背負ったのは3カ月前のことだった。親父の部屋を焼きつくしたのはさらに3カ月前で、だからつまり、敵でも見方でも、エースが船に乗ってから半年、ということになる。まだ、と見るか、もう、と取るか。エースを良く知る者にとっては、おそらく前者の方が強いはずだ。何しろ単身で親父の首を狙い続けた人間が、半年で-実質3カ月で-誰よりも親父を慕うようになっている。もともと人好きのする性格に加えて、エースが知らないエースの親父を知る世代は、血は争えないと思ったに違いない。親父は否定していたが。エースが人を惹き付けるのはエース自身の資質だと、親父は言う。マルコも(口には出さないが)そう思っている。しかし、それとこれとは話が別だった。たしかにエースの能力は群を抜いているし、小さくても1船の船長だっただけの度量の広さと、広範囲に目を配るだけの余裕を持っている。けれども、エースには圧倒的に、経験が足りなかった。実質3カ月、贔屓目に見ても半年、そしてまだ10代。ぽつぽつと語ったエースの話によれば、海に出てから2年も経っていないという。その前は、イーストブルーの小さな島から出たことがなかった、とも。
自慢ではないが、マルコが船に乗ったのは10を超す前だった。それから白ひげ海賊団の隊長になるまで、20年は海で暮らしている。良くも悪くも、生きてみなければわからないことは多いのだ。そんなことを親父がわからないはずもないが、だからこそ、マルコはこの場で尋ねたのだった。一番隊隊長のマルコの耳に入るような噂の中身が、親父から正式に下りたものでなければ問題だった。何よりこれだけの大所帯を抱える船での人事異動だ。悪くすれば船の士気に、さらに言えばエースへの風当たりにもつながる。珍しく真剣な顔をしたマルコに向かって、「なんだ、そのことか」と、と白ひげは豪快に笑った。そのことか、がそんなことか、に聞こえて、マルコはわずかに眉を潜めた。

「笑い事じゃねえよい」
「悪ィな、おめえがあいつを心配するとは思わなかった」
「別に俺はそんなつもりじゃねえが」
「ああ、まあ、そういうことにしておくか」

グララララ、と笑った親父に対して、「それで結局答えはどっちなんだよい」と、もう分かっていたマルコはほとんど義理のような気分で尋ねた。「もちろん本気だ」と、予想通りの答えを返した親父は、マルコの顔を見てまた笑った。「その顔のどこが心配してねえんだ」と親父が言うので、「息子見てえな年の野郎を心配して何が悪い」とマルコが返せば、親父は一瞬間を開けて、それから一際大きく噴き出した。「そうか、おめえももうそんな年か!」と、笑う親父が心底楽しそうなので、マルコも仏頂面をおさめることにした。相変わらずサクラははらはらと降り注いで、親父の白ひげもマルコの焔も霞みがかっている。親父の笑い声を聞きつけて、宴会から誰かが駆けてくるのもすぐだろう。

その誰かが原因だとは、口が裂けても教えてやらないが。

(マルコの過去捏造 / マルコとエースは18歳差 / 白ひげとマルコ / ONEPIECE )