眠 り か ら 抜 け 出 し て 君 に 会 い に ゆ く



エースが食堂で目を覚ますと、大テーブルの端に人だかりができていた。さっきまで高い位置に合った太陽が傾きかけているところを見れば、昼食から随分時間がたっているらしい。起こしてくれりゃーいいのによ、と片付けられていなかった周りの皿から肉を拾うと、だって隊長起きねーでしょうが、と後ろを通りがかった二番隊が笑った。起きねえけど。起こしても起きなかった、と起こされなかった、には大きな隔たりがあるのだ。エースがもぐもぐと肉を噛みながら頬をふくらませていれば、だから起きた時寂しくないように皆周りにいるでしょうが、と冷たい水を差しだされた。

「別に寂しくはねえよ」
「でも誰もいないのは嫌でしょ」
「嫌だけどよ」

じゃあいいじゃないですか、と言った二番隊は、いいから早く皿空にしてくれないと片付かないでしょう、とエースを急かした。その気になれば一口で終わるだろう皿を見まわして、ちょっと温めたほうがうまいかなあと思ったエースは唐突にフォークを持つ右手を火に変えた。直火焼き。ちょっと焦げた。まあうまいか、と一口で食事を終えたエースがごちそうさまでした、と手を合わせたところに、二番隊はお粗末さまでした、と頭を下げて皿を運んで行った。高温で熱したフォークは、エースの手に残されている。さて、ところで。

「なあ」

と、まだ後ろにいた二番隊に声をかける。あの、隅っこにいる連中は何してんだい、と言えば、カモメが木箱を運んできたようですと二番隊は返した。何かいいものなのか?とエースが尋ねれば、さあ、そんなに大きくない箱でしたし俺ずっとここにいたんでよくわかんないです、と好奇心旺盛なはずの海賊らしからぬ答えが返ってきてエースはむくりと立ち上がる。百聞は一見に如かず。いいから、見に行こう。すたすたと広い食堂を突っ切って、喧騒の中心まで。肩越しにテーブルを覗きこめば、確かに小さな木箱が乗せられて、その中には、「…オレンジ?」のようなものが詰まっていた。

「あ、エース隊長」
「隊長だ」
「はよございますー」

声をかける連中にはおう、と声を返して、ひょい、と手を伸ばしたエースは、不格好なオレンジだな、と思いながら一つ取って皮をむいた。あー、と誰かが何か言いかけるが、別の誰かがそれを止めて、エースが皮をむく姿を眺めている。随分固く貼り付いているので、ナイフを使えばよかったか、とちらりと思ったが、たいして時間もかけずにそれは白い薄皮に包まれた状態を曝した。いただきます、と手を合わせたエースは、ひょい、と対して大きくもないそれをひょいと口に放り込んで噛み砕いて、思わぬ味に盛大に眉をしかめた。「うっわマッズ」と呟けば、周りにいた連中が一斉に笑いだした。なんだよ、知ってたんなら止めろよ。止めかけてはくれたのか。今更吐き出すわけにもいかないオレンジを噛み砕いて、途中でガリガリと種が砕けて、ようやく飲み込む頃には涙目だった。すっぱいんだけどこれ。ついでに苦い。

「なんだよこのオレンジ」
「違うっス隊長、ユズって種類のみかんですよ」
「みかん?でもマズイぞ?」
「そのまま食べるもんじゃないんですって」

皮を薬身にしたり、皮ごと煮込んだりお茶にしたり、となぜか少し誇らしげな調子で二番隊が言う。よく知ってんな、と関心したら、俺の村にたくさん生えてました、と二番隊は笑った。割と寒いところでも自生できるんで、冬になるとよく取りに行きましたよ。懐かしそうな眼をする二番隊は、確かエースより二つ三つ年上の、グランドライン出身だ。故郷は春島だと聞いた。良い所なんだろう。そうか、と頷いたエースに、ええ、と頷き返して、でもたぶん今日のコレはそのままじゃなくても食うもんじゃないと思います、と二番隊は言った。じゃあ何に使うんだ、と首を捻ったエースに向かって、二番隊は「風呂に入れるんですよ」と笑った。

「一年で一番日が短い日にユズ湯に入ると、次の一年健康で暮らせるんです」

と。海賊船にそんなものを送りつける輩の気が知れなかったが、たしかにその不格好なオレンジ、基いユズは味はともかくいい香りだったので、風呂に入れたら気持ち良いかもしれない。いいな、と言ったエースに、いいですよ、と二番隊は言って、久々に大浴場用意してもらいましょう!と珍しく張り切っている。木箱には手紙が付いていたらしく、ユズ湯を知らなかった連中もそのつもりだったようだ。船上で真水は貴重品だが、モビー・ディックの大浴場は海水を沸かした海水浴場である。だからつまり火を焚くものがあればいつでも入れるわけで、ということはつまり。

「お前ら俺を火種に使う気じゃねえよな?」

エースの言葉に、二番隊をはじめとした輩は皆目をそらした。まさかそんな。能力者であるエースは海水に浸かるわけにはいかないので、蚊帳の外に置かれるのはともかくとして、道具扱いされるのは寂しすぎる。せめてマルコに押し付けよう、と思ったエースの前で、まあそれは冗談なんですけど、と二番隊がまた笑っている。それほど大きくない木箱に詰まったユズは、それでも両腕では抱えきれないほどの量だったので、いくつかある浴場に分けて皆で楽しむことになったらしい。親父とナースの分も取り分けて、そうしてエースの前にもいくつかユズが置かれた。ん?と首を捻ったエースに、コックに頼んで、飲む方のユズ湯作ってもらいましょう、と二番隊は言った。ちゃんと調理すればあまくておいしいです、と子供に告げるような顔で二番隊が語るので、まあ仲間はずれでもいいか、とエースは思った。

そうして傾きかけていた冬の陽が沈む頃には、食堂の向かいに設えた浴場には隊員がひしめいている。二番隊が先導して作った"ユズ湯"(といっても輪切りにして沈めただけだ)に浸かった隊員たちは、一様に顔を緩ませている。再開して終えた昼飯からたいして間を開けずに夕食を口にするエースは何となく面白くなかったが、能力者は他にもいるので溜飲を下げている。しかし、普段は気にならないシャワーだけで済ませる入浴を味気なく思うのはエースのせいではないだろう。俺隊長なのに、と呟いたエースの頭に、乾いた掌が乗せられたのはその時だ。一緒にかけられた体重を加味して、エースの頬にフォークが刺さる。痛い痛い痛い、と念仏のように喚けば、何してんだよいとあきれたようなマルコの声が聞こえる。お前のせいだよ。掌をぺいっと振り払えば、ひらひらと手を振ったマルコはエースの隣に腰をおろした。「あ、それうまそうだな」かたん、と下ろしたマルコのトレーに手を伸ばすと、自分で取ってこいと素気無く跳ねられた。確かにそうなんだけどよ。仕方がない、とがたがた椅子を引いて、空になった皿を持って行列に並ぶ。俺取ってきますよ、と通りすがりの二番隊が声をかけるが、自分の食いぶちくらいは自分でよそえるとエースは手を振った。まあそれくらいは。作りも洗いもしない以上は。

皿を山のように持って席に戻ると、マルコはちびちび酒を飲みながら、食堂の入口を眺めていた。またがたがたと椅子を引いたエースに視線を送らないまま、アレは何の祭りだ、とマルコが言うので、「柚子湯」と返せば、随分風流なことしてんなあ、とマルコは笑った。知っているらしい。良く知ってんな、とエースが料理を頬張りながら言えば、飲みこんでから話せ、と小姑のように叱りつけてから「倭の国の風習だよい」とマルコは言った。マルコはそれなりに博識だ。そんなことを聞かされたところで、エースにとってはふうん、で終わってしまうのだが。さすが、亀の甲より年の甲、と小さな声で呟いたエースの指を、マルコのフォークが情け容赦なく貫いた。能力者じゃなかったら血ィ見るっつうの。あぶねーよ、とそれでも料理を掻きこむ手を止めずにエースがマルコを睨むと、ろくでもない声が聞こえたからだよい、と澄まして付け合わせのインゲンを口に運んでいる。フォークの熱など気にもせずに。マルコといるときは能力を制限する必要がなくて楽だな、とエースが笑ったら、俺とお前の能力は別物だぞ、と釘を刺されてしまった。知ってるけど。なんとなく会話が途切れて、良く噛みながら食事をつづけていると、「で、なんで柚子湯なんだ」とまた唐突に話の続きが始まった。目を覚ましたら木箱が、と話したら、本島からきたのかもな、とマルコは言った。白ひげ海賊団がねぐらを構える島はいくつもあるが、その中でも"本島"と呼ばれる場所は流通の盛んな島だ。エースは一度しか訪れたことがないが、活気に溢れる島だ。溢れすぎている、ともいえる。金を積めばおよそ何でも手に入る。食材も、宝石も、医薬品も、悪魔の実も、命さえも。なるほど、と頷いて、ちらりと大浴場(があるあたり)を眺める。まあ。

「まー俺たちは入れねーけどな」
「そうか?」
「海水じゃねえか」

真水だって浸かったら力抜けるけどな。普段もシャワーで済ませてるだろ、とエースが口をとがらせたら、でもお前さん入りたいんだろ、とマルコは図星を突いた。う、と言葉に詰まったエースを見て、やっぱりな、とマルコは唇の端だけで笑った。そうして、大丈夫だろ、と軽い口調でマルコは言う。モビー・ディックの大浴場は浅い半身用だった。能力者とは言え、捕まる場所さえあればそう簡単に溺れはしないだろう。そもそも。

「あんだけ人がいるんだ。溺れ死ぬ前に引き上げられるだろうよい」
「…まあ、…そりゃそうかもしれねーけど」
「隊長格が二人して溺れてりゃあ指さして笑われるかもしれねェけどな」
「二人って」
「当然俺も入るよい」

風物詩は大事にしねえとな、と軽く言い放ったマルコの皿はいつの間にか空になっている。トレーを持って立ち上がったマルコは、「何してんだ」とやはりあきれたように言った。「え、」と返したエースに、「置いてくよい」とマルコは告げて、そのまますたすたと返却口へ歩いていく。えええ、と思いながら残りの皿を掻きこんで(さっきも同じことをした)ガタガタとまた椅子を揺らしてマルコの後を追った。ごちそうさまでした!と怒鳴ったエースに、コックの一人が「さっきのアレ、できたから取りに来いよ」と笑いかけて、アレ?って何?と聞き返そうとしたエースの視線の端をマルコが横切っていく。何かはわからないままコックに手を挙げて、またマルコの後に続く。食堂で走るな、と何度も言われているので、エースは早足だ。入り口でようやく追いついて、ひとまず着替えを取りに部屋まで戻ることになった。エースとマルコの部屋は、隊員の居室からそう遠くない廊下の突き当たりを挟むようにして向かい合っている。広さは同じくらいだが、詰まっている物の量は違い過ぎる。脳みその中身と比例してんだろ、といつか笑ったのはサッチだった。ひでえよな、と思いつつ間違ってはいないので、エースは何も言わなかった。堅実な経験に基づいた知識、はともかく、純粋な情報量ではとても敵うわけがない。だから亀の甲より、と呟きかけたエースは、先ほどのフォークを思い出して言葉を飲み込む。マルコは割と見境がない。不死鳥の嘴でつつかれたら、きっと炎も痛いはずだ。とりあえず、今必要なのはタオルと下着である。

さて。

「なあ」
「なんだよい」
「本当に入るのか」
「ここまで来て何を言ってる」

腰にタオルを巻いた姿で湯船を見下ろすエースを、少し高い位置からさらに見下ろしたマルコは鼻で笑う。湯船にはすっかり水分を含んだ不格好なオレン…ユズが浮かんでいる。立ち込める水蒸気だけで幾分体力を奪われている気がする。もうずいぶんいい香りだからこれでいいんじゃねえかな、と言ったエースの背中を、何の初動もなくマルコが突き飛ばした。え。湯船のふちにいたエースは、当然そのまま湯船に突っ込んだ。ばしゃん、と派手なしぶきをあげたエースを尻目に、マルコはゆっくりと湯に腰をおろした。死ぬ死ぬ死ぬ、と思ったエースが、湯船が浅いことを思い出したのはそれから一分後だった。生きてる、が、やはり力は入らない。殺す気ですかマルコさん、と思わず敬語になったエースに、寝言は寝てから言え、とマルコは冷たく言い放った。寝言じゃねえよ。逆らってもかないそうになかったので、エースはおとなしく体を引きずって湯船の淵に体を預けた。背を向けていると引きずられそうだったので、肘を掛けて頭を預ける形だ。あまり調子は良くないが気分はいい、という良くわからない状態に陥って、無防備ってこういうことか、とエースは思う。あまり熱くない湯が心地よいことは心地よい。たまに、輪切りになった不格好なオ、ユズが流れてくるのは御愛嬌だろう。気持ちいな、と言ったエースに、そうだな、とマルコが返すので、海水もたまには悪くなと思った。

「ああ、いい湯だよい」

湯を掬って顔を洗う、その仕草を見ていたエースがやっぱり亀の甲より年の、と言いかけたところで、マルコはエースを湯船に沈めた。隊長?!!!と二番隊が声を上げたが、マルコは笑いながらエースがもがく様を眺めていた。のだろうと思う。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、と洒落ではなく思っていたエースが湯船から引き揚げられたのは、それから二分後だった。

それでもコックが作ってくれた柚子湯はマルコと一緒に飲んだ。
( エースの三人称は「お前」 / マルコとエース / ONEPIECE )