夜 の メ リ ー ゴ ー ラ ン ド は 秋 色 に 似 て



白ひげ海賊団の本船であるモビー・ディック号には、常時300を超える人間が乗り込んでいる。それは海軍の一個中隊とほぼ同数であり、"村"として認められている集落の人口にも匹敵する人数だ。それだけの人数を収容する以上、船に余分な場所はなく、どこにいても人の気配を感じる。昼番と夜番がほぼ同数なのもそのためだ。少ない寝場所を広く使うために、昼夜を逆転させている。そもそも海賊船の本領は夜襲や宴にある(と親父は思っている)ので、夜番望む者のほうが多いくらいだった。まあそのおかげで、夜昼となくタコ部屋状態の雑魚寝部屋に腐臭が漂っているのは御愛嬌である。港についたときには宿を取るから、その際に徹底的に掃除している…とは言い難いが、海賊が生活できるレベルには保たれていた。しかし、もちろんそれとは別に隊長であるマルコやエースやジョズやサッチには個室も用意されているし、親父専用のスペースはかなり広めに作られているし、ナースたちの居室も乗組員の居住区域とは十分離れた場所に設えられている。

まあだからつまり、と、煌煌と輝く篝火に照らされながらうずくまる体の上に影を落としながらマルコは思う。こんな場所で、白ひげ海賊団二番隊隊長ともあろうものが熟睡している理由はどこにもねえよい、と。

今は夜だ。夜番に当たったマルコは、だからといって昼とさほど変わった生活をするわけでもなく、完全な闇には染まらない船内を見回っていた。海賊船にも多少の規律は存在する。派手な喧嘩と仲間殺しと裏切り、その程度だが、それが何より重要だ。だから、それ以外のことはほとんど気にしないようにしている。すぐ下は居住区だが、多少の騒ぎで眼を覚ますような神経を持つ人間はそもそも海賊には向かない。だからそれは、明らかに足りないスペースの中で生きている血の気の多い連中を鎮めるためでありながら、マルコ自身の暇つぶしでもあった。賭けポーカーやコインに興じる連中にはたいがいにしろよいと声をかけ、雑用に追われる下っ端には御苦労だと労いを告げる。ぐるりと広い船内を一周し、重い樫の扉を押して甲板に降りた。そこでもやはり喧騒は絶えず、どこからかかっぱらってきたらしい酒瓶で一杯やっている奴もいる。足腰が立てば戦闘はできるな、と唇の端で笑って、ゆっくりメインマストを周った、その頭上に。

「…またかよい」

溜息とも嘆息ともつかない声が漏れたのは聞き流して、マルコはメインマストにかけられたシュラウドに足をかけた。ほとんど自重を感じさせないスピードで縄を伝って、半分まで登ったところで体を丸める人物にまで行き着いた。窮屈な姿勢で横たわる姿を見下ろすのはもう何度目だろうか。エースは高いところが好きなようだ。それも、上も下もよく見えるこの場所が、特に。もう少し上まで登れば屋根つきの見張り台があるし、マストの下には船内に降りる上げ蓋もある。甲板の上にだってもっと寝安い場所はいくらだってあるだろうし、何よりコレは部屋持ちだ。これでも、この船の隊長格なのだから。けれどもエースはここを選ぶ。昼間眠っているマルコは、昼番のエースとはしばらく顔を合わせていない。だから昼間何があったかは引き継がれていても、昼間のエースに何があったかを知らない。どこででも眠れるエースは、だからもしかしなくても昼間からずっとここにいたのかもしれない。誰の気配を感じても眼を覚まさないエースはある意味豪胆なのだが、しかし不用心にも程がある。たとえ襲われてから目を覚ましたところでエースには何の傷もつかないだろうが、白ひげの名には少しばかり折り目が付くのだ。親父は気にしないだろうが。

無頓着なのはそっくりだよい、と呟いて、マルコもシュラウドに腰かけた。トップに置かれた灯りが、育ち切ったエースの体をぼんやりと浮かび上がらせている。縦にも横にもずいぶんでかくなった、と感慨深く思うのはマルコが年を取ったからだろうか。エースくらいの年の頃に自分が何をしていたか、あまりよく思い出せない。無茶はしていたはずだ。たしか、モビー・ディックを半焼させたことがある。あの時は実を口にしたばかりで、あまり能力を制御できていなかったのだ。それよりは小さな規模だが、親父の部屋を全焼させたエースの記憶はまだ新しいというのに。大きな体を小さく丸めて、自分の腕に頬を預けたエースの寝顔はいつも安らかだ。この世の何もかもを恐れずにいる、そんな顔をしている。しかしこいつは。

「お前さん、寒くねえのかい」
「んー、…」

薄いシャツを一枚、素肌に羽織っただけのエースの額をそっとつつけば、むずかるように眉をひそめて、けれども眼を開くことはなかった。数日前から気候は安定している。船は冬島へ向かっており、季節は秋。甲板で騒ぐ連中も船内で唄う連中も皆、普段着に一枚重ねていた。マルコも、普段は止めない服の前を閉じている。エースもマルコも火を扱う能力者だから寒さには強いのだが、無意識の内に発熱するような機能は付いていない。むしろついていたら船になど乗れはしない。トップに火をつけた奴でも、二番隊の誰かでも、起こして連れて行ってやりゃあいいのに、と思うが、この気持ちよう誘うな寝顔を崩せる奴がこの船にいるはずもない。サッチあたりは、風邪ひくまでそこにいさせろよと笑いながら言いそうだ。笑顔の裏にあるものは見ないことにする。とにかく、マルコも例に漏れずこの年若い隊長を揺り起こす気にはならなかった。馬鹿は風邪をひかないという。エースも大丈夫だ。海賊なんざ皆馬鹿ばかりだ。まあ朝までゆっくり寝ろよい、と結論付けて、立ち上がろうとしたマルコの膝にこつん、とエースの額が触れた。寝がえりを打ったらしい。行き止まったエースは何事か呟きながらほんの少しだけ目を開けて、片手でシュラウドの上を探っている。ばんばん、と何度か縄を揺らしたエースは、最終的にマルコの膝下に半分乗りあげるような形で目を閉じた。妙な体制だ。大分ねじれているし、どう見ても寝心地が良さそうには見えない。けれどもエースの寝顔はやっぱり安らかで、そこには悲壮感のかけらも感じられない。しかし固い脛にかじりついて何が楽しいのだろう。少しばかりの暖を求めて?

「あのな…」

さすがに揺り起こすのは忍びないとも言えず、薄布に包まれたエースの肩をぐっと押した。しかし、エースの腕はますます強くなるばかりで、少し遠い位置にいるマルコにはどうも分が悪かった。全力で押しのければ何とかなるだろうが、そこまでするほどのことでもない。少し考えた末に、マルコはゆるりと体を捻って、不死鳥に姿を変えた。エースがしがみつく足は筋張った細いものに変わり、したがってゆるんだ腕の間からたやすく抜け出すことができた。燃えることのない不死鳥の羽根は輝くこともなく、ただ篝火に煽られて鈍く反射するばかりだ。縋るものを失くしたエースの腕がまたもぞもぞと動くが、羽根布団を求められては困るので、今度こそマルコはシュラウドを後にした。2,3度羽ばたいて、人型に戻りながら着地する。船内には変わらない喧騒が響いている。エースの寝顔も含めて、いつもと何も変わらない風景だ。少しだけ移ってしまったエースの体温を冷ましながら、見回りを続けるためにマルコは後甲板を目指す。遠ざかる縄目からは、無造作に投げ出されたエースのブーツが覗いている。


夜明けまでには、誰かが毛布を掛けるだろう。
( エースとマルコで季節連作 / マルコとエース / ONEPIECE )