[そのいき方はおれじゃない / ONE PIECE / 現代パラレル]



そ の い き 方 は お れ じ ゃ な い 



目を覚ましたら、目の前の網戸にヤモリが張り付いていた。
暗闇を背景に白い腹のシルエット。半分千切れた尾が気になって、網戸越しにそっと触れてみる。ぴくり、と爬虫類独特の動きで少しだけ逃げる。もう一度。逃げる。もう一度。逃げる。面白くなって身体を起こしたら、「あ」と間の抜けた声が後ろから聞こえた。軽い足音で近づいてきた声の主はべりっと俺を網戸から引き剥がす。なんだよ。振り返ると、ダメ、と厳しい声で窘められた。

「虐めんなよ。かわいそうだろ」
「なに、知ってんのこれ」
「毎晩来るんだよ」

この辺が縄張りなんだろうな、とサンジはわずかばかりの愛しさを込めた声でそっとヤモリの軌跡をなぞる。ゆるりとした動きはまるで生温い愛撫のようで、ゾロは不自然に目を反らして言った。

「今日の飯は」
「ん?めんたいパスタ。すきだろ」
「おー。もう食えんのか」

出来たから起こしに来たんだよ、さめねーうちに食おう。早くしないとめんたいこが麺にくっついてぼそぼそに。急いで、という割りにまるで焦りを感じない動作で、散歩でたどりつくテーブルに食器を並べた。くああ、とひとつ欠伸をこぼしてゾロものそりと移動する。さめたってうまいのはわかっていても、サンジの機嫌を損ねる気はなかった。

ゾロとサンジは高校時代の同級生だった。入学式で隣り合ったお互いの髪で同時に先輩から呼び出しを食らい、ふたりで瞬殺したところから腐れ縁が始まった。実家の小料理屋を手伝うサンジと、朝から晩まで部活(当然のように剣道だ)に明け暮れるゾロとではまるでライフスタイルが異なったけれど、暇があればつるんで馬鹿なことばかりしていた。わずかばかりのプライベートすべてをふたりの記憶で埋め尽くして卒業したのが2年前。大学と専門学校で進路が分かれたはずなのに、自宅から通えるゾロの大学とサンジの選んだ専門学校は電車で一駅の距離で、ゾロより2年早く社会に出て家を出たサンジのアパートは今までよりずっとゾロの家に近かった。入り浸ってもう数ヶ月になる。

卒業後は実家に戻るものだと思っていたサンジは、当然のように学校近くのレストランに就職した。和食を極めるにはそれ以外も知るべきだというのはサンジの祖父-小料理屋の主-の談だ。本人もサンジの生まれる前までフランス料理の大家だったというから、反論の余地はないらしい。自分の金で生活しだしたサンジは、高校時代から吸っていたタバコをすっぱりやめて、「だってこれ一箱でトイレットペーパー買えるんだぜ」と笑った。かと思えばたまの休みにゾロを映画に連れ出して、「社会人だから」と笑いながらゾロの分まで金を払ったりする。わけがわからないようなそうでもないような、なんにせよゾロは今日もサンジの家で飯を食っている。

短時間でめんたいパスタを食べ終わり、水を飲んでサンジの顔を見て「美味かった」と言う。サンジは「お粗末さま」と笑って立ち上がる。ゾロは体面キッチンの向こう側に食器を渡して、サンジがリズミカルに洗剤を落とす仕草を見ている。片づけまでが料理だから、とゾロはなかなかキッチンに入れてもらえない。それこそ水の一滴まで管理されたその場所はサンジの領域だ。ということは、毎日のようにここで生活しているゾロの身体もそのうちサンジの管理するものになるのだろうか、とちらりと思った。

サンジの働くレストランは学生にはちょっと敷居の高い店で、それでも割安なランチは何度か食べに行った。ただサンジはほとんど厨房に篭っていて、たまに顔を出しても当然ゾロは客なので張り付いたような笑顔を見せられる。だからどうというわけでもないが、商売用ほど手は込んでいなくても家に行けば顔を突き合わせて同じ味が食えるのに、と思ってから店には行っていない。気に入らなかったか、という問いには金がないと返して、サンジに非があるわけではないという証拠に、飯を食った後は必ずサンジの顔を見ながら美味いと言っている。今更照れも何もない。サンジは毎回笑って頷いている。

カウンターに頬杖を付いて、洗った食器を拭きあげるサンジの手元を見ている。5年半ひたすら飯を食わせてもらっているが、ゾロの見ている前でサンジが皿を割ったことは一度もない。そこまで丁寧に扱っているとも思えないのだが(食べるのがゾロだけの場合皿が飛んできたりもする)丁寧でないのと粗雑なのには深い隔たりがあるんだろう。
「あまってるから」と、なんでもないような顔で合鍵を渡されたのはつい最近だ。少しの家電とテーブルとベッド、これだけは立派な調理道具が一揃い。それだけしかない部屋の鍵がどうしてこんなに嬉しいのかわからないと思いながら受け取った。サンジのいない部屋に来る理由がないので必要ないと思ったが、でもそれでサンジが出勤したあとも寝ていられるようになったので受け取ってよかったのだとおもう。

サンジの部屋にはゾロよりもゾロのほしいものをよくわかっているサンジがいるのでとても居心地がいい。外では夏の嵐が吹き荒れて窓を揺らしている。この転機だったら今日も泊まっていける。明日の講義は3、4時限目だけなので、朝急ぐ必要もない。電車で一駅、サンジの作る朝飯を食ってから家に帰って着替えても充分間に合う距離だ。

「風強いな、今日」
「え?あー、うん、ちょっとこえーから雨戸閉めるか。いいか?」
「おう」

カウンターを離れて、三枚綴りの雨戸に手をかける。ちらりと目の端に動くものが見えて、反射的に掴むと先ほどのヤモリだった。風の中で、まだ網戸に貼り付いていたらしい。そっとベランダに下ろそうとして、少し考えてからつめたい皮膚をゆるく握ってサンジに声をかける。清潔なタオルで手を拭っていたサンジは素直にゾロの下までやってきてヤモリを受け取った。お前虫はダメなのに爬虫類は平気なのか、と尋ねると、足が多くなければ平気だと返された。ふうん、と頷いて、立て付けの悪い雨戸をがたがたと閉じた。

その間にサンジはどこかから広口のガラス瓶を取り出して、ヤモリを放している。そこの浅い瓶なのでどう考えても逃げられるのに、ヤモリはなぜか底でじっと息を殺している。サンジのいる部屋はとても居心地が良いので、それは正しい選択だとゾロは思う。風が収まればサンジはヤモリを逃がすだろうが、それでもここにやってくるに違いない。サンジが住み着いて三ヶ月の、この部屋に。
こいつあとどんだけ生きんのかな、ヤモリの寿命ってお前知ってる?軽薄そうな金色の頭でヤモリを眺めるサンジを適当にあしらって、灰色の背中をそっと撫でた。短い尾は先が少しだけ他と色が異なっていて、これがきれいに生え揃うまでは生きるだろうと漠然と思った。サンジの家まで電車で1駅、歩いて30分。大学帰りに寄るにしても、毎日では金と時間がかかる。そのうち家に帰る方が面倒になって転がり込む日も近いだろうと思っているのは、まあ公然の秘密といっていい。何しろサンジの隣はとても居心地がいいので、そこから離れて生きることはゾロにはもう考えられないのだった。



同棲まであと2週間(大学が夏休みに入ると同時に)

| 現代パラレル | ゾロとサンジ | 12252008 |