忘れた昨日も 許せない今日も 明日も未来も いらないなんて

れた昨日も 許せない今日も 明日も 未来も いらないなんて



いつもの五人で食堂に向かう途中で、鉢屋と不破に会った。長屋から食堂へ続く道、二人は帰ってきたところらしい。別にどういう関係でもないがすれ違えば挨拶くらいは。ということでだらだら声をかける。ようとかやあとか今日のランチはどうだったとか、他愛のない言葉。だったのだけれど。

「こんにちは」
「こんにちは、七松先輩立花先輩中在家先輩善法寺先輩」

俺達と同じように一言で済ませた不破とは異なって、鉢屋はにっこり、という形容詞が見えそうなくらいの満面の笑みを浮かべながら名前を羅列した。4人分。…ん?4人?

「ちょっと待て」

そのまま通り過ぎようとする鉢屋の腕を掴む。と、乱暴に振り払われた。
振り返った顔にはすでに笑顔のかけらもない。なんだこいつ。

「何ですか」
「俺に挨拶は」
「嫌です」
「は?」
「潮江先輩にはしたくありません」
「はあ?」
「ちょ、何言ってんだ三郎」

隣で慌てている雷蔵や俺の周りで目を丸くしている小平太達には見向きもせずに嫌だ、という。
その受け答えが馬鹿丁寧なくらい丁寧なので、却って馬鹿にされているような気分になる。
なんだこいつ。

「俺が返事をしない理由が先輩には分かりますか?」
「はあ?」
「分かりませんよね。先輩には分かりませんよ」

分かるはずもないし、分かられても困るんです。
何だ。何を言っているんだコイツは。何なんだ一体。何か言ってやろうと思ったが、挑むような目に射抜かれて睨み返すことしか出来なかった。暫くそうして睨みあって(見詰め合って?)いると、急に鉢屋の目から力が抜ける。なにやら視線を泳がせてから、

「失礼します」

一言だけ言って、そのまま背中を見せて逃げるように走っていってしまった。
暫く呆然としたあと、

「え?あ、ちょっ…あ、すいませんでした先輩!あとで謝らせますから!」

おいちょっと待て三郎!!と叫びながら鉢屋を追う不破の背中をやはり呆然と見送った。何なんだ一体。ともう一度心の中で呟く。何も言わずに二人が消えた方を睨んでいると、様子を見ていた小平太と仙蔵が口を開いた。

「鉢屋…ってさあ、なんか妙に文次に突っかかるね。何かしたの?」
「するか」
「何もないにしてはちょっと反応がおかしいな。いじめたのか」
「してねえよ。ていうか何で俺が悪いことが前提なんだよ」
「だって文次だし」
「相手は鉢屋だしな。意味もなく反発したりはしないだろ」
「理由になるか!!」
「あはは、まあないっていうなら何もないんだろうけどさー。じゃ、行こっか」
「ああ…」

すっきりしない気分で食堂までの道を歩く。さっき奴はなんといっただろうか。『先輩には 分からない』?ああそうだ、分からないと言った。俺には。何がだ、何が分からないんだ。ていうかじゃあ誰になら分かるんだよ、不破か?それとも他の同級生か。考えているとなんだか無性に腹が立ってきた。わけの分からないものは嫌だ。それをそのままにしておくのは、もっと嫌だ。

「文次?何ぼーっとしてんの」
「…あーー、悪い、先行ってくれ」
「ランチなくなるぞー!」
「構わん」


腹は減っていたけれど、(不愉快なことだが)その気持ちの悪さの方が勝ってしまったので仕方がない。純粋な怒りとはすこし違う、だがやはり叱りつけるつもりで二人が消えた方向へと走った。

途中で困惑気味の不破に会う。俺の顔を認めて、まかれてしまったみたいでいないんですいろいろすいません先輩に向かって、とひたすら謝罪するその頭を一撫で。お前も可哀相になあんな奴のお守りで、という気持ちを無言で込める。少し驚いていたけれどそれでも手を避けはしなかった。鉢屋とは違う、本当にいい奴だなと思った。すいませんもう少し探しますから、と言う背中をいいから昼飯食ってこいと後押しする。少し迷っていたけれど、いいから行けと手を振れば すいません失礼しますと何度も振り返りながら歩いていった。

その姿が見えなくなったところで一度ため息を付いて、また鉢屋を探す。広い学園の中を走ったり覗いたり見上げたり。昼時なので人はいないけれどあまり見られたい姿ではないなあと思った。随分(と言ってもまだ誰も出てこないからそれほどではないが)たった所で、見上げた木の上に鉢屋を見つけた。たくさんの白い花をつけた木の上に、まるで鳥か何かのように綺麗に座っていた。暫く見上げていると、視線を感じたのか鉢屋がこちらを振り向く。少し目が大きくなったような、気のせいだったような。どちらにしても平然とした声で。

「潮江先輩」

平然と名前を呼んだ。なんなんだこいつ。

「何してんだ、そんなところで」
「花見、ですかね。一種の」
「不破はどうした。探してたぞ」
「潮江先輩こそ先輩たちはどうしたんですか」
「先に行かせた」
「へえ…で、何しに来たんですか?説教ですか?」
「いや…何しに来たんだろうな」

はあ?と軽い非難のような声が頭上から降ってくる。やっぱりなんだこいつ、と思ったけれど気にせずにその気に背を持たせかけた。叱り付ける気も失せてしまったので暫く黙ってそうしていると、上から白い花が幾つか落ちてきた。見上げると、その辺の枝から鉢屋が毟り取って落としているところだった。

「お前なあ…、」
「空木、卯の花」

何してんだよ。という間もなく鉢屋が呟いた。

「…何?」
「空木、卯の花。この花…木の名前」
「うつぎ、うのはな」
「空の木、と書いて空木。見ますか」

ほら、といって枝も毟り取って花と一緒に落とす。結構太い枝だったので軽く身をひねってかわす。危ねえなこの野郎、と毒づきながら拾い上げると、枝の中は空洞だった。空木。

「だから空木」
「へえ。良く知ってんな」
「常識じゃないですか?」
「…その物言いがなけりゃ」
「なけりゃ、なんですか?」
「なんでもねえよ」
「もっと可愛気があるのに?もっと子供らしいのに?もっと、」
「やめろよ、誰もそんなこと言ってねえだろ」
「言わなくても思ったでしょう」
「いちいち人の言葉尻捕らえて突っかかるんじゃねェよ、ていうか卑屈すぎなんだよお前は」
「先輩には、関係ない話です」
「それならそれなりの態度をとれ。関係ないとか言うなら、嫌いだとかそういう感情も持つな」
「嫌いだなんていってないです」
「じゃあなんなんだよ」
「だから言ったでしょう、先輩には分からないんだって」

分からないんですよ。先輩には。
ああそうだ、俺はその言葉が嫌でここまで来た。何が分からないんだ、お前の考えていることか。それは確かに分からないけれど、それとは違う気がする。なんなんだ。気持ちが悪い。
問い詰めてやろうと思って枝の上を見上げる。と、鉢屋もまた俺の方を見ていた。目を反らすような素直さを求めていたわけではないけれど、少しは慌ててもいいんじゃないか。先ほどの続きのように見つめあう。数度か、瞬きをした後に鉢屋が不意に口を開いた。

「知ってますか?この時期に降る雨を卯の花腐しと呼ぶんです」
「うのはなくたし?」
「ええ、卯の花が腐ると書いて、うのはなくたし」

そしてゆっくりと目を空木ー卯の花に移した。

「この花は散るんじゃなくて、ゆるやかな雨でゆっくりと腐って落ちる」

だから俺はこの木がすきなんですよ。
分かりますか。

「良く分かんねえな」
「例えて言うなら先輩はきっと桜みたいに 綺麗に散るんですよ。最後を見せずに散る。でも俺はたぶん最後まで無様に足掻きます。この花のように、ゆっくり朽ちる」
「…だから?」
「だから俺はそれに俺を重ねてる。分からないでしょう?」

先輩には何を言っているか分からないでしょう。

「分かんねェな」
「俺はそんなことばっかり考えてるんですよ」

こちらをみないように淡々と語る口調は、自嘲している様でもそれを悲しんでいるようでもなくただ菅に透明で、だからこそ悔しかった。…悔しい?何が?芽生えた感情が何なのかは知らない、けれど その当たり前のように腐ると言ったその口を、別の形に変えてやりたいと思った。笑うんじゃなくてもいい、歪むのでも曲がるのでも。ただそんなふうに、なにもかも享受したような顔だけは変えてやりたいと思った。でも、どうやって?
鉢屋から目を反らして俯くと、白い花が落ちているのが見えた。鉢屋が毟りとって降らせた 花。それを見た瞬間に、なんだよと思った。なんだよ。腐って落ちるとかいったくせに、お前はこれを綺麗なまま落としたじゃねえか。そう思ったら笑いがこみ上げた。なんだよ。じゃあそれでいいんじゃねえの。それで、いいんじゃねえの。

「…なんですか?」
「いや。でもきれいじゃねェか と思って」
「…え?」
「この花。白くて、小さくて、ああ匂いもいいな。それだけで十分なんじゃねえの」

散り際なんざ知る必要はねえだろう。
咲いている姿が美しければ それで
鉢屋の顔色は変わらない。

「俺が見せている外見は虚構で中身は空でも?」
「空かどうかなんててめェが決めるもんじゃねえだろ」
「俺以外の人間に誰が分かるんですか」
「知るか。でも俺はお前が空じゃねェと思う」
「…先輩は、いいですね。したいこととかすればいいこととか、ちゃんと分かってて」
「はあ?そんなもんお前だって分かるだろ」
「俺に分かるのは何をすれば効率がいいか、だけですから」
「何が違うんだよ」
「先輩みたいに人と関わろうとしたりはしません」
「その割に俺には絡むよな」
「それは先輩が」
「俺は何かした覚えはないぞ」
「先輩があんまりきらきらしてるから」
「………………きらきら?」
「そんな嫌そうな顔しないでくださいよ、俺だって言いたくないですよ」

でももう我慢できない。
から。

「俺が先輩に構うのは、先輩が俺を突き放さないから です」
「はあ?意味がわかんねえよ、ていうかそれを言うなら不破の方がよっぽどそうなんじゃねえのか?」
「雷蔵?」
「そうだよ」

考えても見ませんでした、とぽつりと言った。

「雷蔵は俺に顔を貸してくれてる」
「そうだな」
「他の誰もがいやだと言っても、あいつは嫌がりはしなかったんですよ。困るだけで」
「それっぽいな」
「でもだから、それ以上俺を背負わせる気なんてこれっぽっちもなくて」

そうか、雷蔵。なんで雷蔵はきらきらして見えないんだろう。
いつも俺と一緒にいて くれてるのに

「そうして、くれていることを当たり前だと思っていないから、かも知れません」
「当たり前じゃない?」
「雷蔵がそこにいてくれてることに俺はいつでも感謝している」
「それってゆがんでるぞ」
「そう…ですか?…そうでしょうね」

そうしてようやく、ふ、と唇だけで笑みを浮かべた。歪んでいる。美しく。
それは確かに不破の顔なのだけれど、不破ならば決してしない(いや、できないだろう)笑み。

「それで結局、俺のことはどうなんだよ」
「先輩のこと?」
「不破は当たり前じゃないんだろ。俺は?」
「先輩のことは……当たり前だと思ってる」
「なんだそりゃ」
「…なんでしょうね。なんで当たり前なんでしょうね」
「なんだよ。お前にだって、お前のこと分からないじゃねえか」
「…そう、ですね。分からないです」

少し考え込むような姿を見せた後で、鉢屋はまた目を反らした。そしてまた花を摘んで降らせる。手の届く範囲の花を摘み終わるまで、それこそ雨のように。その手が止まるまで(俺が花だらけになるまで)待ってから声をかけた。

「おい」
「なんですか」
「いつまでそんな上にいる気だ。目上の者を見下ろしてんじゃねェぞ」
「嫌ですよ、俺はここが好きでこうしてるんですから。気に障るなら先輩が登ってくればいいじゃないですか」
「…じゃお前もうちょっと上まで行け」
「え?」

ほら早く、と足を押しやりながら一気に上まで上った。意外と丈夫な枝だった。

「…本気にしないでください」
「じゃあ最初から言うなよ」
「あんまり動かないでくださいよ、枝折れたらどうするんですか」
「お前なあそれは忍者に言うセリフじゃねェぞ」
「だってまだ忍たまですし」
「そうだけどよ」
「あーもう、俺も先輩のこと良く分かんないです」

といって緩やかに笑った。歪んだ笑みではなくて、朗らかに、楽しそうに。なんだよ、そんな顔も出来るんじゃねえか。そしてそれが消える前に鉢屋は顔を伏せた。立てた膝の間から、それでも明瞭な発音が聞こえる。

「…先輩」
「なんだよ」
「なんで、追いかけて来たんですか。慰める気もないのに」
「なんで慰める必要があるんだよ、傷ついてもないくせに」
「…なんで分かるんですかそんなこと」
「傷ついてるところを見せる気がないならそうなっていないのと同じことだ。慰めて欲しいなら、何が辛くてどうして欲しいかをちゃんと言え。話はそれからだ」
「…厳しいですねえ、先輩は」
「俺ははっきりしねェものが嫌いなんだよ」

ていうか傷つけられたのはどっちかっていうと俺の方だろ。お前ぽんぽん言いたいことだけ言って走ってくし、不破にはすまなそうな顔させるし、小平太と仙蔵にはあらぬ疑いをかけられるし、そんでお前なんか追ってきちゃうし、昼飯は食いっぱぐれるし。

「で、結局慰めて欲しいのか?」
「いいえ」
「じゃあいいじゃねェか」
「ですね」

そうですね。
伏せた目は上げない。立てた膝も戻さない。コレだと本当にただ枝に座っている形だな危ねえな、と思ってさりげなく腕を掴んだ。振りほどかれることはなかった。鉢屋の手が届かなかった上の枝から卯の花の香りがする。

「いい匂いだな」
「そうですね」
「お前、授業は」
「今日はもういいです。先輩は」
「別に半日くらい休んでも支障はねえよ」
「じゃあ もうちょっと ここに」

日差しは穏やかで気持ちが良くて、さすがに寝たら落ちるだろうなと思ったけれど、不思議と眠気は襲ってこなかった。穏やかな気分で、ただずっと二人でそこにいた。
END.



わかんねえ…妙なシンパシーーを感じている文鉢文、のつもりで書き始めたのですがただ電波発している鉢屋と振り回されてる潮江になりました。卯の花腐しという言葉が好きで書き始めただけなので空木についてはいろいろ間違ってると思いますがその辺は目をつぶっていただけると幸いです。ちなみに実物を見たことはありません(駄目駄目だ…)

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