先の知れた未来

先の知れた未来



しくじった。
と、善法寺伊作は空を仰ぎながら深くため息をついた。

罠も何も無い見晴らしの良い場所だからと油断していたこと、そこで雨が降り出したのが災難だった。視界が悪い中、不注意に走ったその先で濡れた岩を踏み外せば、後は一直線に崖の下まで滑り落ちるだけ。

「…う、」

気がつけば滑り落ちた形のまま仰向けに雨に打たれていた。
体を起こすと右足に痛みが走る。見れば太腿に尖った石が食い込んでいた。

「うわあ…」

流れ出る血の量に一瞬目を見張ったけれど、驚いている場合ではない。
いつも持ち歩いている包帯で急いで止血する。
どうにか終えたところで力尽きた。
どうやら見た目以上に深い傷だったようで歩けそうに無い。
動脈をやられていたら下手をすると死ぬかもしれない。

(止血といっても、完全に血が止まる訳ではない からなあ)

誰か、と呼んでみるがこんな場所を誰が通るというのだ。
居場所を知らせるようなものも何一つ残してこなかったことを今更になって悔やむ。誰かと一緒に行動していたら良かったのに。もう少し分かりやすい場所で倒れればよかったのに。いろいろなことが頭をよぎるがそれも今更だ。
せめて少しでも体力を使わなくてすむように、と楽な姿勢で横になる。

そうしてもう一時も過ぎただろうか。そろそろ視界が霞んでくる。
雨は激しさを増すばかりだ。

このまま何日も見つからなければどうなるだろうか。
とりあえず止血したまま放っておけば足は駄目になってしまう。いやその前に風邪を引くのは目に見えているし、傷による発熱も起こるだろう。
そうなれば。

(死ぬ、かもしれない)

そんなことは無いと思いたいが悪条件が重なりすぎている。
じわじわと不安が広がった。

「…まだ 死にたくないなあ」

天に向かって呟いて見る。
もちろん誰かに聞こえるはずは無いし返事も返っては来ないけれど。
死にたくない。
こんな場所で死にたくない。
そろそろ雨に打たれる感覚もなくなりそうだ。その中で意識を保つためにうわごとのようにその言葉を。

「…死にたくないよ」
「誰が死なせるか」

何度目だか分からないその言葉を口に出したとき、不意に返ってくるはずの無い返事が聞こえた。
霞む視界の向こう側に見えたのは。

「文…次郎…」
「探したぞ」
「なんで」

助かった、と思う前に訝しさが先に立った。
なんでこんな所に?
尋ねると鼻で笑われた。いつまでも帰ってこないから拾いに来たんだ、と。

「不運だからなお前は、どうせその辺に落ちているんだろうと思ってた」
「そしたら、落ちてた?」
「そういうことだ。…太腿か」
「え?」
「傷だ」
「ああ…うん、そうだ」
「止血はしてあるんだな」
「うん。だけどちょっと歩けなくて」
「保健委員長が怪我だなんて目も当てられない話だな」
「僕もそう思うよ」
「しかもこんな場所でな」
「僕もそう思うよ」
「馬鹿だな。」
「そうだね」
「ほんとにな」
「そうだね…」

屈みこんで傷に触れる。直接的な痛みに小さくうめくと文次郎も顔をしかめた。少し思案してから尋ねる。

「…どう抱えれば傷に障らない?」
「普通に背負ってくれればいいよ。大丈夫だから」

少し笑んでそう言うと、顔をしかめたままゆっくりと背に乗せられた。

「しっかり掴まれよ。なるべく右足には触れないでおくから」
「うん、」

一言答えてしがみついたところで、文次郎もずぶ濡れな事に気付く。
自分が落ちたときにはもう雨は降り出していたのだ、それから探し始めたなら。
歩き出した文次郎に肩越しに尋ねた。

「傘とか、持ってこなかったのか」
「そんなもの持ってたら走れねえだろ」
「そうだけど」
「寒いか?」
「僕はもう今更だけど、文次郎が濡れる必要は」

なかったんじゃないか、と言いかけると余計なことを心配するなと返される。

「でも風邪引くよ」
「すぐ風呂入りゃ平気だろ」
「だけど」
「だけど」
「ごちゃごちゃうるせえな。少しは黙ってろよ、怪我人が」

走らないのは背中の自分をあまり揺らさないようにということなのだろう。わざわざこんな場所まで来てくれたことに対して何か言うべきだと思ったが、文次郎に一蹴されないような言葉を何も思いつかない。
それが文次郎の優しさであり本音であることは知っているのだけれど、その心はあまりにも遠すぎて悲しくなる。ただありがとうと。それだけ伝えたいだけなのに。

「…文次郎」
「なんだ」
「僕はたまに、君の中に僕を少しでも残せたらと思うよ」
「いらねえよそんなもん」
「そう言わないで。ちょっとだけでいいから覚えていて欲しい」
「だからいらねえっつってんだろ」
「そうか」

切り捨てていくのが忍だと言う。
その理論からすれば確かに必要ないものだろう。文次郎には。
でも僕は。

「…嫌だな」
「なんだよ」
「少しも思い出してもらえないのは寂しいなあと思って」
「思い出してもそこにいるわけじゃないだろうが。本物がいないなら意味が無いだろ」
「…そう、だけど」
「それに俺はお前を思い出したことなんて無いしな」
「そうなの?」

その言い草はちょっと酷いんじゃないか?
だって思い出したんじゃないならどうして今君はここにいるの。
問いかけると、節をつけるように文次郎が言った。

「思い出すとは忘るることよ 思い出さぬよ 忘れぬは」
「なにそれ?」
「さあな。自分で考えろ」

突き放すように言って文次郎は僕をそっと揺すり上げる。
重いだろう、というと馬鹿野郎これしきのことに絶えられないで忍者なんかやっていられるかと返された。怪我人がそんなことを心配するなとも。やはり優しいのだ。

「文次郎」
「次はなんだ」
「僕は お前のことが好きだったよ」
「知ってた」
「なんだ…じゃあもっと早く言えばよかったかな」

ふふ、と文次郎の背中で軽く笑う。

「ずっとずっとすきだったよ。これからもずっとすきでいたかった」
「じゃあそうしろよ」

そんな変な声出す元気があったら大丈夫だろ。
生き残るために一番大切なことは止血なんだろ、そしてお前はそれを自分でやっていた。心配することなんて無いだろうが。
もう少しだ。あと少し。
文次郎の声音に真剣なものを感じて泣きそうになった。
この年になって誰かの背中で泣く訳にはいかないから、代わりに文次郎の背中にしがみつく。

「なんだよ」
「いいのか?」
「何が」
「君を好きでいていいのか?」
「すきにしろよ」

君は僕を 忘れないでいてくれるの?
尋ねようと思ってやめた。確かに、ずっと側にいられるわけではない。
かわりにまた文次郎にしがみついて呟く。

「じゃあずっと好きでいる。ずっと君を覚えている」
「…すきにしろ」

降りしきる雨の向こう側に明かりが見えた。

「もう少しだ」

あと少し。文次郎が呟く。
それの指すものが学園までの距離なのか僕たちに残された時間なのか僕には分からなかった。それでも、

「うん、あと少し」

答えるほどの余裕は僕らにも残っていた。

END.



伊→文(伊)<方程式のような表記だな
怪我をした伊作を文次郎が拾いにいったらいい、とただそれだけの話。
シチュエーションとしては、たぶん授業で裏山に入った帰り道で道に迷って滑り落ちたとか、なんかそんなん(良く考えていない)
死ぬとか言った割に元気じゃん、伊作。喋りすぎだお前。

いろいろ突っ込みどころは多いですがこの前よりはマシだと思います

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