死にもの狂い の カゲロウを見ていた 「なあ文次郎」 「んーー?」 「お前それ楽しいのか?」 「別に楽しいとかそんなことは…」 委員会の仕事だからな、やるべきことはやるだけの話だろ。 「そうか」 仙蔵はさっきからずっと外を眺めている。確かに気持ちの良い日ではあるが、見慣れた風景を見て何か楽しいのだろうか。まあどうでもいい、とりあえずこの計算を終わらせることが先だ。 「お前こそ楽しいのか」 「別に」 「そうかよ」 聞き流しながら筆を走らせる。よし、あと少しだ。 生返事を繰り返していると、窓枠に頬杖を着いたまま仙蔵がこちらを振り返る。 「なあ文次郎」 「んーー」 「好きだ」 「んーー…はあ?」 同じように聞き流そうとして、その言葉に思わず筆を取り落とした。せっかく終わりかけていた計算の上に墨が落ちる。なんてことだ。いやそんなことより、 「なんだって?」 聞き間違いではないかと思って聞き返す。 だが帰ってきたのはやはり同じ言葉。 「好きだよ」 「何が」 「お前が」 「誰が?」 「私が」 「は?」 「は?じゃなくて」 間の抜けた会話をしているとおもう。 「なんで、」 「なんで?」 仙蔵は俺の言葉を繰り返す。それから口の端をゆっくりと笑みの形に吊り上げて言った。 「理由など無いよ。ただ私はお前を想っている。それだけの話で」 ぞくりと背筋に悪寒が走った。何だその顔は。怖い。怖いぞ。 落とした筆の先から墨が広がっていくのが分かる。 同じように、ゆっくりと胸にわけの分からない不安が広がっていった。 「ええと」 「なんだ?」 「それを俺に言ってどうする気だ?」 言葉を選んで口を開いた。ぴくりと仙蔵の口元が動くが何も言わない。思わず引きそうになった身を抑えてさらに続ける。 「お前は俺をどうにかしたいのか」 「私?」 笑みの形のままゆっくりと口を開いて、 「私は」 返事を聞く前に俺はそこから逃げ出した。 窓際にいた仙蔵を掠めるように、障子を開いて廊下に飛び出す。通りかかったらしい誰かが声をかけたらしい。らしいが、答えている場合ではない。理由は分からないがとにかく衝動的に全速力で裏山へ走った。 背中で声がする。振り返りたくないんだが見ないわけにも行かず、ちらりと一瞥すると見慣れた長髪。 (追ってくる…!) 仙蔵が全速力で追いかけてくる。かなり怖い。相当怖い。とても怖い。とにかく怖い。逃げ、きれるだろうか。 体力は互角だが、俺の今の精神状態は最悪だ。どこかに隠れるにしても、向こうは俺の行動パターンを良く知っている。圧倒的に不利な状況だ。 山道を登って下る。いつまで追ってくる気だ。俺もいつまで逃げる気だ。また後ろを振り返ると、無表情で唇を噛み締めた仙蔵の顔がずいぶん近くにあって驚いた。いつもより足が速い。…俺が遅いのか? 「文次郎!」 叫び声が聞こえる。良く喋れるな、俺は無理だ。そろそろ苦しい。 だがいつまでも聞こえてくるその声をいつまでも無視するわけにも行かなくて、 「なんっ、なんだよ、お前はっ!」 「お前、こそなんで逃げる!!」 「お前の態度が怖ーんだよ!」 「逃げるな!」 「嫌だ!!」 というわけでとにかく全速力で逃げる。 態度というか顔というかなんというか。 自分の顔がとてつもなく整っていることを自覚していないのだろうか。 黙って笑っているだけで物凄い圧迫感だと言ってやりたい。 やりたいんだが。 とにかく今は逃げるのが先だ。速度を上げないと追いつかれる。急がないと、…と、思うと同時に。 「うおっ…!!」 張り出していた木の根に躓いた。なんてことだ、不覚。だが振り返りながら全速力で走っていれば当たり前のこと。受身を取って右に跳べば逃げられる!と思うのもつかの間。いつの間にか追いついていた仙蔵に腕を取られていた。白くて細いが、見た目よりも強い腕が体重を支える。 「大丈夫か」 「放っ」 力いっぱい振り払おうとした手は思いのほかあっさりと開放されて、バランスを崩したまま地面に転げる。まずい背中を見せたやられる!と思い振り返ってみたのだけれど。 そのまままた走り出そうとしたのだけれど。 見上げた仙蔵の顔がどうにも。 痛かったので。 「…仙蔵?」 「なん、で逃げるんだ」 「だからお前の顔が怖かった、から」 どうにも痛い仙蔵の顔が歪む。 何だその顔は。さっきとはまた違った意味で。怖い。 気づけば深い森の中で、荒い息遣いだけが響いた。 「そんなに、嫌だったか?」 逃げるほど嫌だったか? 瞳が揺れる。 「…なん、なんだよお前は」 「追い詰める気はなかった。ただ知って欲しかっただけで」 さっきの答えだって。お前をどうこうしようというわけじゃないんだ。 ただ私がお前を好きだということをお前に知っておいてもらえばよかっただけで 「悪かった。私の勝手な感情でお前を傷つけて」 「べ、つに」 傷ついたのはお前の方だろう。 そんな顔で謝るな。さっきまでの妙な迫力はどこへ行った。そんな顔をされると俺のほうに罪悪感が生じるじゃないか。 そう思うと、強張っていた体から力が抜けた。 改めて仙蔵の顔をまっすぐに見つめる。 「俺、は」 さっき胸に広がったわけのわからない不安がさらに広がって、薄くなって消えていく。気がした。 「お前が俺にそんなことを言うなんて夢にも思わなかっただけで」 そうだ、そんなことはありえないとおもっていた だからこそ 気付かない振りをしていた。 視線にも声色にも行動にも、気づかない、振りをしていた。 「別に嫌、だったわけじゃない。ただ少し驚いただけで」 だから本当はずっと知っていたんだと、だからあそこから逃げ出したんだと(本当はいつだって逃げ出したかったんだと)、ようやく自分の行動が腑に落ちた。 「本当、に?」 「今だってお前が追いかけてこなけりゃ裏山で頭冷やして終わりだったんだ」 たぶん、と心の中で付け加える。 怖かったのは確かなんだ。ただ何が怖かったのかは分からない。 へたりと仙蔵が俺の隣に座り込む。膝に顔を伏せたその姿に。 「…泣くなよ」 「誰が泣くか」 「情緒不安定のくせに」 「逃げた奴に言われたくない」 「あ、れはお前の顔が綺麗で怖かったんだよ!」 怒鳴り散らしてやろうかと思ったが仙蔵の目元が赤いのは確かだったので止めた。弱みを突くのはフェアでは無いからな、と心の中で呟いくに留めておく。 「…綺麗、か?」 「綺麗だろ。その上色も白い」 「そうか」 と呟いて自分の腕を眺めている。本当に自分では気がつかないものなんだろうか。仙蔵は俺を見て、自分の腕を見て、また俺を見て、頷いていった。 「お前も 綺麗だとおもうよ」 「は?俺が?」 「直ぐな目と何者にも侵されない心を 私は美しいと思う」 「…ありがとよ」 字面だけ見れば背中が痒くなりそうな台詞も仙蔵の顔から出ると不自然に感じないところが凄いと思う。それはたぶん仙蔵の顔が綺麗だというだけでなく、仙蔵が心からそれを告げようとしているからだ。 ああそうか、と不意に思う。 だから怖かったのか。 仙蔵の思いは全て真実だということが分かっていた。 表情も声色も行動もその全てが真実だということが分かっていた。 だから 怖かったのだ。気づくことも認めることも。 怖かったのだ。 「…文次郎」 「なんだ」 「触っても、いいか」 「は」 思わず間の抜けた声が出た。 仙蔵は、口に出してからしまったという顔をして、そういう意味ではないと言う。どういう意味だと突っ込んでやろうかと思ったが、慌てたことによって言うまでもなく目元だけでなく顔中が薄く朱に染まった。頬に手を当てる姿に、仙蔵だから許される行為だなと思う。 分かってるよという意味で手を差し出すと、まるで何かとても大切なものであるかのように両手に抱いて目を閉じた。同じだけのことをしているはずなのにいつまでも細くてしなやかな指。長い睫が白い頬に影を落とす。倒錯的な光景だと思いながら見ていた。 しばらくそうしたあとで、仙蔵が静かに息を吐く。声を出さずにありがとうと口が動いた。目を開いて手が放される。なんとなく気恥ずかしくて目を反らすと、木々の間から青空が見えた。 何の返事をしたわけでもないのだけれど、とりあえず仙蔵が落ち着いてくれて良かったと思う(というか俺が落ち着けてよかったと思う)。 手を握るくらいならいつだって、いくらだって。 とにかく今はそれで十分だ。 仙蔵に見えないように 俺も声に出さずにありがとうと言ってみた。 空気を震わせずに、だが確実にそれは届いていたと思う END.
…うわあ!なんだこれ!(ほんとにね)やっぱり書けません文仙文。 最初はものすごいアレなかんじの仙蔵攻を書きたかったんだと思います が、書き終わってみれば(ある意味アレなかんじですが正直)仙蔵攻じゃなくなってます なんてことだ。 文仙文…は、やるときはやってくれる子たちだと思うんですがどっちも手をつないで眠るだけの関係で十分幸せなのvvというタイプなので(はあ?)進展しません。こんなんばっかり。ワオ!(うるさい) 次はもうちょっとまともに忍者モノが書きたいです |