いのちということ

いのちということ



おそらく刺したのだと思う。嫌な手ごたえとともに筋肉の千切れる音がした。それからそれを引き抜いて、と同時に血飛沫が顔にかかる。独特の金臭い臭気。何の抵抗もなく崩れ落ちる体。あっという間に流れ出る血の量とその暖かさ、消えていく体温。あまりにも安らかなその顔。
その顔。
あまりにも呆気ない終わりに涙も出なかった。
ただ溢れたのは

散った命の かけら
ただそれだけ、

(っ…!!)

どうにか叫び声をあげる前に飛び起きた。
嫌な汗が流れている。リアルな夢だった。
今でも飛び散った地の感触が残っているような、死に顔がまざまざと蘇ってくるような、

あの顔は文次郎だ。

「は、っ…」

上がってしまった息を整える。
誰かを殺す夢を見るのは初めてではない。いつかは来るその日を夢に見ることは不自然ではないと思う。
だがこの夢は。

(見たくなかった)

隣で寝ている男を殺す夢だなんて。
自分の鼓動がやけに煩くて、文次郎の寝息が聞こえない。

…生きて、いるのだろうか。
当たり前だ。当たり前なのだけれど、あまりにも静かに寝ているものだから不安になる。

そうっと、こちらに背を向けて寝ている文次郎の顔を覗き込んだ。
普段は皺の寄った眉根も寝ている間は安らかなもので、だからこそさっきの死に顔を思い出させる。
私を見ることもなく静かに目を閉じていた顔。良く似ていた。

本当に死んでいるんじゃないか。ふっとそんな感情が芽生えた。
そんな訳が無いだろう何を考えている。だが胸の鼓動はどくどくとおおきく音を立てるばかりで止みそうに無い。文次郎は身動き一つせずに横たわっている。

起こしてしまうかもしれないが私の心の平安のためだ我慢してくれ。と心の中で呟いて首の動脈に触れた。脈打つ感覚。良かった、動いている。ふう、と息を吐くと同時に文次郎の目が開いた。
思わず身を引いた私を認めて眉根が顰められる。ああいつもの顔だ。

「…なんだ?」

目をこすりながら起き上がった文次郎を見て、いつの間にか溜めていた息を吐く。

「どうかしたか」
「なんでもない」
「顔色が悪いぞ」

何か悪い夢でも見たか。
ぶっきらぼうな、だがその奥でこちらを気遣うような声音で言う。
普段と変わらぬその姿に、なぜか先ほどの不安は消えることなく。
悪い夢。どうだろう、あれを悪い夢と呼んでいいものだろうか。
文次郎の目を見つめながら答える。

「…お前が、死ぬ夢を見た」
「ふうん」
「私がお前を殺す夢だ」
「へえ」
「気のない返事だな」
「だって夢だろ」

ただの夢だが。
だが気づいてしまった。
他の誰を殺す夢とも同じように、それもいつかありえるかもしれない現実だということに。

(否、気づかない振りをしていただけだ)

「…夢、だが」
「だろ。気にすんなよ」

文次郎はふわあ、と欠伸をして布団に潜り込む。
もう起こすなよ明日も早いんだからと言うその背中をじっと眺めた。

忍者として生きていくという事は
金で請け負って任務を遂行するということ
ここを出たあとどういう生き方をしていくかは分からない、が
どんなに親しいものとでも戦う可能性があるということ
私が文次郎を殺すこともあるかもしれないということ

だが私はその時お前を殺すことができるだろうか?
躊躇わずにそうできると言い切れるだろう か?
その時お前は私を見てどう思うだろうか。
お前を殺すことに躊躇する私に失望するだろうか。

誰よりも忍びらしくあろうとするお前の目に私の存在がどう映るかなど何の意味も成さないのだろうけれど でも、だからこそ
その不安がいつまでも離れないからこそこんな夢を見たのだろうか

もう一度文次郎の首筋に触れる。私のものとは重ならない鼓動。もう起き上がらない背中。たぶん安らかであるだろう目を瞑った顔。

「文次郎」
「ん」
「私は、お前を殺すだろうか」
「まだ夢の話か?」
「いや、いつかの話だ」
「いつか」
「いつかここを出た後で私がお前と対峙したとしたら、私がお前を殺すかお前が私を殺すか、一体どっちだろうかという話」
「さあな、状況によるだろ」
「だろうな」

さすがは学園一忍者をしている男だ、躊躇いもせずに言う。
その背中を飽かず眺めた。

「…俺たちは忍びだからな」
「ああ」
「忍びだから」
「分かっている」

分かっている。
ここを一歩でも出れば互いに鎬を削りあうのだということ
そしてそれはそう遠い未来ではなく

(分かっている、のだ)

だが頭で理解するだけで全てがそううまく行くはずもなく
私は今でも

「私 は、お前を殺したくないな」
「俺だって嫌だ」
「そうなのか?」
「忍者に感情は必要ないけどそれがなかったら人間じゃねえだろ」
「でもお前は忍で在りたいと思っているだろう?」
「俺は忍だ」
「知っているよ」
「忍だが」

そこで一旦言葉を切って息を吐く。
首筋の鼓動が少し早くなった。

「忍である前に人間だ。そう在りたいと願っている」
「そう在りたいと?お前が?」

忍びであることを誰よりも誇示するお前が?
誰よりもこだわるお前が?
人間であり、人間として在りたいとそう言うのか?

「人として お前は私を殺したくないと言ってくれるのか」
「まあな…」

重ねて尋ねるとまた少し鼓動が上がった。あと少しで重なるのではないだろうかと思ったが、私の鼓動もそれに連れて上がっていくのでそれはない。重ならない鼓動。それでも。
重なるものも あるということを 知った。
首筋から手を放す。もう確かめる必要は無いと思った。文次郎は生きている。今は生きている。まだ生きている。

「…大切にする」
「は?何を?」
「お前がくれた言葉。お前がくれたこと。お前といたこと。今この時」

全部大切にする。
大切にするよ。

「いつか私がお前を殺すときが来ても忘れずにいるよ」

それが私の願うこと。
私が生きているということ。
END.


長かった(書きはじめから終わりまでが)…そして難しかった。
最初は、文次郎を殺すこと自体を否定することはないけれど殺したくないという葛藤にさいなまれる仙蔵、を書くはずだったんですが 間を空けたことによって違う方向に流れました
文仙のはずだったんですが仙→文になっているし なあ。

この二人は難しい。


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