丈夫な心が欲しい痛いのはもう嫌なんだ

丈夫な心が欲しい 痛いの

はもう嫌なんだ



いつものように保健室で暇をもてあましていると(今日は新野先生もいなくて本格的に暇だ)、開けっ放しの障子から入る光が急に途切れた。
目を向けると、戸口を塞ぐように文次郎が仁王立ちになっている。
どうしたのかと問いかける間もなく入り込んできた文次郎は、見上げる僕をもろともせずに僕の前に腰を据えた。
文次郎がここに来るのはとても珍しい。
改めてどうしたのかと尋ねると、怪我をしたんだだからここに来たんだ当たり前だろとあきれたような顔で言われた。 いやだって珍しかったからさ、と言い訳のように言う。

「ちょっと待って」

救急箱を取り出すと、文次郎は無言で腕を差し出した。
右腕を斜めに走るのはどうやら苦無の痕のようだ。
固まりかけた表面を押し破るように奥から血が沸いてくる。…これは、

「これ結構深いよ」

救急箱から慌しく医療器具を取り出しながら声をかける。
文次郎は、たいしたことはないと言いながら顔をしかめた。
たいしたことがなかったら君はここにはこないじゃないか、いや俺はたいしたことはないといっているのに仙蔵が無理矢理。

「仙蔵が?なんで」
「仙蔵の代わりに受けた傷だからだ」

その言葉に一瞬手が止まった。
が、それと分からないうちに急いで次の行動に移る。
動揺 を、気づかれてはいけない。

「珍しいね、君が誰かのために怪我するなんて」
「仙蔵を庇ったわけじゃない。ただ、俺の方が受けやすい位置にいたから手が出ただけだ」
「そういうのを庇ったって言うんじゃないのかなあ」
「俺は忍として最小の被害で終わらせようとしただけだ」
「別にいいけどさ」

むきになる文次郎がおかしくて少し笑った。
その時の最善を判断するだけの能力が君にあることを、そしてその君と対等である仙蔵のことを羨ましいと思わないといえば嘘になるけれど。

「でも僕は君が怪我してる姿を見たくないんだ」

薬を塗ってきつく包帯を巻く。
もう二度とほどけなければいいとおもうのは一種の独占欲だろうか。
無事を願う心の裏側でここに来ることを願っている 矛盾した心。

「君が、というか誰のであってもね。傷を見るのは怖いよ」
「何言ってんだ、保健委員だろうが」
「好きでやっているんじゃないよ。ただできることがこれしかないから」
「必要なことだろ、卑屈になるな」
「今は良くてもこれからどうなるかなんてことは分からないよ」

ぐるぐると必要以上に包帯を巻く。
たとえば僕が君の後ろを取れるくらい優秀だったら、もしくは背中を預けられるくらい信頼されていたら、こんな思いは抱かなかったかもしれない。
手が届く存在なら焦がれることもなかったのに。

思考を断ち切るように包帯の端を切り落とす。
文次郎は具合を確かめるように何度か腕を摩った。
すぐに出て行くと思ったのに、終わりを告げてもなぜか文次郎はそこを動かない。

「どうかしたか?」
「…いや」

妙に歯切れの悪い文次郎に首をかしげた。
まあ他に怪我人や病人が来そうな気配も無いからいいか、と思って気長に待っていると。

「伊作」
「ん?」

今日初めて名前を呼ばれて。

「お前は ここにいるのが 辛いのか?」
「なんで?」
「いや」

辛く、見えるだろうか。
あまりにもあっけなく過ごしているだけなのだけれど(確かに人よりは不運ではあるけれど)辛く見えるのだろうか。文次郎には。
心配してくれているんだろうか。きっとそうなんだろう。
やさしい ひとだから。
そう思ってから、眉を顰めた文次郎の顔にその言葉はあまりにもそぐわなくてやっぱり笑った。

「そうだなあ」
「ああ」
「辛いとか…そういうのは良く分からないけど」

けど?

「ここで皆に会えたことを幸いに思うけれど恨むこともあるよ」
「何故」
「いつかは、ここを出るときには捨てていかなければならない縁だから」

どうせ切り捨てなければならない情なら最初から全部持たせないでくれればいいのに。親愛も信頼も全てその後の足枷になるのかと考えると

「この学園はとてつもなく冷たい場所なんじゃないかとたまに思う」

そうだ。ここを一歩でも出れば僕たちは忍で、この戦乱の世で次に出会うときは敵同士であるかもしれない。
そのとき、

(ああ そうか そのとき)

たぶん僕は君を殺せる。君だけでなく誰であってもきっと躊躇わず。
もしかしたら僕はそのときを待っているのかもしれない。

(そんなことは願っていないのだけれど)

「どういう意味だ」
「どうなんだろうね。僕にも良く分からない。君には分かる?」
「お前が分からないことを俺が分かる訳ないだろ」
「そうだね。僕には文次郎のことが分からないから文次郎も理解しようとしなくていいよ」

そう言ってもう一度笑う。
文次郎はそれを見て嫌そうに顔を背け、ガリガリと頭を掻いた。
その姿をなんだろう面白いな、と眺めていると、文次郎は顔を背けたまま僕の腕を引く。
文次郎の胸に倒れこむ形で抱きとめられた。

「どうしたんだ」
「お前見てるとイライラする」

もっとはっきり喋れ自己完結するな諦めたように笑うな。
イライラする。と呟きながらきつく抱きしめられる。少し痛い。
先ほどきつく巻いた包帯を思い出して、どちらのほうが痛いだろうかとぼんやりと思った。
畳に押し付けられて、文次郎の眉間の皺を下から眺めることになる。
どうでもいいけれど障子は開いたままだ。

「放したほうがいい。傷に障るから」

きっと穏やかに見えるだろう顔で言うとまた顔を顰める。
そんな顔をしないでくれればいいのに、と思う割に満たされている自分を感じて自己嫌悪に陥りそうになる。
こんな風に、こんなことを、したいわけじゃないんだ。

「この状態で良くそんな口が聞けるな」
「だって君にはできないから」
「何を」
「できないから」

ここで僕を見下ろして君が何を感じるの。
僕が君を見下ろして感じることはたくさんあるだろうけど(優越感とか背徳感とかそれはもうどうしようもない渦)君は何も感じないと思う。
そしてゆっくりと繰り返す。

「できないよ、君には。興味のない人間をどうこうできるほど強い人間じゃない」

この場合何もされないことの方が僕にとっては辛いんだけどな。
でも言わないよ、そんなことは。
死んでも言わない。
ただ穏やかに見つめ返す。

「俺がお前に興味が無いなんて」
「ないだろう?君は忍者なんだから」

三禁を知っている。
君は忍者だからそれを認めるわけにはいかない。
そうして、それ以外の感情を君は僕に持っていないだろう?

「…そうだな」
「そうだろう」

何度かその応酬を繰り返したあとで、抱きとめられたのと同じように不意に突き放された。
振り向かずに去っていく背中を見送りながら。

本当はこんなことを言いたいわけではないんだ。
どうしようもなく歪んでしまったことは理解している。
だから戸惑えばいいんだ、君も。
僕がそこまでいけないのなら君がここまで堕ちてくればいいのに。

この感情に付ける名を教えて欲しい。愛ほど気高くはなく憎しみほど純粋でも無い。
ただ、焦がれてやまないだけの。

(君が 三禁なんて忘れてくれたら)
(僕が余計な劣等感さえ抱かなければ)
(二人で堕ちる覚悟があれば)
(あるいは、)

散らばってしまった医療器具を片付ける。
ほどけてしまった包帯をきれいに巻き取りながら思う。

君はこれからも血を流すだろう。
そしてそれよりもはるかに多くの血を流させる。
忍であることを何よりの誇りとしている君のこれから。

それはきっと気高いのだろうけれど

「早く 壊れてしまえばいいのに」

不意にそう思った。
そうだ。文次郎が僕より先に忍でなくなればいい。
それが死であっても喪失であってもどんな形でもいい。
とにかく壊れてさえくれれば、そうすればきっとこの思いから逃げ出せる。

「早く、早く、早く、」

壊れないのなら壊してしまいたい。
この場にそぐわない呟きはだれの耳に届くこともなく僕の心に吹き溜まった。
END.


薄暗い伊文伊。意味不明に無駄に長く。
基本的には文→伊、なんだけどドロドロしてるのは伊作。
伊作ってすげえいい奴のイメージがあるんですが、心の中ではこんな風だったらもっといいなあと思う。薄暗い奴がすき。


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