誓 わ な い と 誓 っ た 日 か ら 、 三 分 経 過



自宅以外で、オズマとブレラが出会うことはあまりない。軍を離れたとはいえ、SMSの任務はもう公のもので、復興と新興を同時に行う世界ではあまりに多忙だったからだ。有能は人材は細かく分断されて、毎日忙しなく飛び回っている。とくにブレラは、マクロスギャラクシーから持ち込んだVF-27と体質(サイボーグ)のおかげで未踏査地域の探索に当たっているため、市街地の護衛とバジュラの調査に携わっているオズマとはまるで行動がかみ合わなかった。だからどうというわけでもないんだが、とオズマは小さく溜息を吐いた。日中まるで顔を合わせないのに、それでも毎日会っているのが問題だ、と。

(なんだかなあ…)

ブレラにたたき起こされたオズマは、半熟卵をトーストに乗せてかじりながら、目の前でプチトマトを解体する(執拗に種を抉りだしている)ブレラを半目で眺めた。いつもと同じパイロットスーツを着たブレラは、オズマの視線など気にも留めず、いつもと同じように顔色一つ変えずに背筋を伸ばしている。
一緒に暮らし始めてからほぼ毎日、朝と夜、オズマとブレラは同じ食卓を囲んでいる。お互いに多忙を極めているというのに、それでも毎日家に帰って、すっかり慣れてしまったブレラの手料理を食べるのだ。ほとんどない上に噛み合っていない休日ですら、食事の時間だけは変えずにいるのだからこれはもう、アレだ。何かおかしいとオズマは思う。おかしいと思うまでに2カ月かかった。だからといって何も言わずに帰らないのも問題だし、しかしブレラの端末に『今日は遅くなるので飯はいらない』などとメールを打つ、自分がオズマには想像できない。仲間内で飲みに行くことも、キャシーと出かけることも、そういうわけで2カ月、していない。ランカと会うときはブレラも一緒なので問題外だ。おかしいと思う。二人暮らしを始める前はもっとドライな関係を想像していたのに。いや、ドライはドライなのだ。会話らしい会話があるわけでもないし、オズマが黙って遅くなったところでブレラは顔色一つ変えないに違いない。しかしそれが嫌だ、と思うオズマが一番おかしいことはわかっていた。妹であるランカの兄、だから弟、のようなものだと思っているブレラが心配なのだろうか、と考える。心配は心配だった。食事以外の生活習慣があまりにも人間離れしているものだから、つい手や口を出すこともある。ブレラはほとんど逆らうことも従うこともないので、オズマ一人で空回りしているような気もする。

つまるところは、ブレラがこんなに大きいのが悪い、とオズマは思う。もっと小さければよかったのだ。ランカのように、9歳でオズマのところに来たのならもっとずっと簡単だった。いや簡単というのは語弊があるが、しかしここまで悩むこともなかっただろう。優しくして、甘やかして甘やかして懐かせてオズマを好きになってもらえばよかったのだ。

「っておい、なんかそれ違うだろ」
「何がだ」

思わず口に出してしまった乗り突っ込みに反応されて返答に詰まった。オズマが冷や汗交じりになんでもない、と言えば、なんでもない顔でブレラは食事に戻る。噛み合わない視線に安堵しながら、引かない汗にオズマは動揺を悟った。何を考えたんだ俺は。良く考え直したほうがいいと思うが、考えてしまうと怖い想像に辿りつきそうで嫌だった。餌付けされたのが悪いんだろう、とオズマは思う。気の使い方を間違えたのかもしれなかった。何の不満もない生活に慣れ切ってしまったオズマ自身が、なんだか怖かった。良くないと思う。これ以上はなんだかとても良くないと思う。


だからその日、たまたま誘われた飲み会に付き合ったのは、そしてブレラに何の連絡もしなかったのは、偶然ではなくオズマの防衛本能だった。自宅でもランカの店でもキャシーの家でもない場所で飲み明かすのは本当に久しぶりで、「付き合いが悪い」と言われたことに動揺しながら楽しく楽しく午前様だった。こういうのもたまにはいいよなあと思いながら気分良く帰った、のは良い。しかし。

(なんでこいつまだ起きてんだよ…?!)

扉を開ける前から、リビングに明りがついているのは少しばかりおかしいと思っていたのだ。オズマは普段、夕食の後すぐ自室に引き上げてしまう。几帳面な性格だから、オズマがいないときは電気は消しているのだ。けれどもオズマは酔っぱらいだったので、おかしいとおもいながら玄関に鍵が掛かっていなくて良かったと、千鳥足で踏み込んだらテーブルにつくブレラと目が合って一気に覚めた。

「…」
「…」
「…あー…、その、」
「なんだ」
「た、…だいま…」

噛み合った視線が痛くて、無理やり視線を引きはがして帰宅の言葉を呟いたオズマに、ブレラは何も言わなかった。ブレラには挨拶の習慣がない。おはようもいただきますもおかえりもおやすみもごちそうさまもおかえりも、オズマがほぼ一方的に口にしている。一度だけ返してもらった「おやすみ」が、今になってはものすごく貴重なものに思える。オズマにとっても、それはランカと暮らす上で身についた習慣だったから、ブレラに対して何の含みもない。と言ったら嘘になるが、強要する気もなかった。もしかしたら知らないのかもしれないと思うことがあったからだ。当然のことが当然にできないブレラの姿を、オズマは何度も見ている。そのたびに口や手を出している。ブレラは何も言わない。迷惑だともありがとうとも、何も。ランカに対して笑いかける姿、アルトに対して怒りをぶつける姿、どちらも見ているオズマに、ブレラは何の感情も向けない。それがどうしたといわれてしまえばどうもしないというしかないのだが、それしかないことにたまに焦れていることを自覚している。ブレラはしばらくオズマを眺めて、それから「夕食はいるか」と言った。飲んで食ってきたから要らないということを告げれば、ブレラは「そうか」と頷いて立ちあがった。そのために待っていたのか、と、玄関から動けないままオズマがブレラを見ていると、ブレラはすたすたとキッチンに向かった。何を、と思うオズマの前で、ブレラは非常用の固形食糧を取りだしている。固形食糧とミネラルウォーターのペットボトルを持ってテーブルに戻ったブレラは、もそもそとそれを食べ始める。これは、なんだ。

「おい」
「なんだ」
「お前、飯食ってねえのか」
「ああ」
「なんでだよ。いつももっと早い時間に食ってんだろ」
「そうだな」
「そうだなって…」

ブレラはなんでもない顔で固形食糧を水で流しこんでいる。オズマがブレラと暮らし始めて、そんなものを食べるブレラを見たのは初めてだった。ただひたすら咀嚼し嚥下するエネルギー補給、それだけの行為。じわじわと言い知れない感情がこみあげて、オズマは掌で額を支えた。これは、もしかして、もしかしなくても。酩酊感以外の理由で眩暈がする。その間にも、ブレラは着々と食事を-食事とも言いたくないが-を進めている。

「…おい」
「なんだ」
「もしかして、お前俺を待ってたのか」
「ああ」
「先に…作って食えばよかっただろ」
「二度手間になる」
「俺だって自分の食うもんくらい自分でどうにかできる」
「それがどうした」
「どうしたって、」
「効率的だろう」

ブレラの言葉はいつでも簡潔だ。つまり、ブレラ自身の食事を作って食い、オズマが帰ってきてからオズマの食事を用意するのは『二度手間に』なって、そうではなくてオズマ自身が帰ってきてから二人分作るほうが『効率的だ』と、言うらしい。しかし午前1:30だった。その辺はもう少し考えろと言いたい。しかし何の連絡もしなかったのはオズマで、そしてブレラにはそれを責めるつもりもないらしい。今更一人分作るのも面倒だから固形食糧で終わらせるのだろうか。それともふたりで固形食糧をかじることになったのだろうか。どちらにしてもブレラが何の感情もなくそれを行っていることが、オズマには耐えられなかった。家族ではない人間と、同居している状況に、どうしても違和感が拭えない。つまりはそういうことだった。最初は確かにランカの願いで一緒に暮らし始めたが、二ヶ月もたてばブレラ自身にも愛着は沸く。それがどういう意味であっても、好意につながる。だからこそずっと一緒に食事をしていたのだ。ほとんど無理やり定時に上がり、毎朝同じ時間に目を覚まして、ブレラとの時間を作っていた。ブレラ側にその気がなくても、オズマはそうしたかった。家族のようでありたかった。けれども。

「…空しいな」
「なにがだ」
「こっちの話だ」
「そうか」

最後のひとかけらを飲み下して頷いたブレラは、空になったボトルを潰して、固形食糧のパッケージを折り畳んでいる。律儀に返事をするくせに、何一つ踏み込もうとはしない。そうか、と唐突に思い当たる。オズマはブレラに笑って欲しかったのだ。ランカと同じように、オズマといることで笑うようになってほしかった。オズマに好意を持って欲しかった。けれどもそれがかなわなかったので、せめて怒りを向けて欲しくて飲み歩いてみた。しかしブレラの表情は何も変わらない。現に、今も。ブレラはオズマに何の興味もない。とてつもなく空しい話だった。おそらくブレラにとって、同居する人間が誰であろうと何も変わりはしないのだろう。ランカ以外の、誰であっても。

「…は…、」

眩暈以上の頭痛を感じて、倒れるように玄関扉にもたれかかった。がしゃん、と想像以上の音を立てて扉が軋んだが、オズマに構う余裕はなかった。「なかよしごっこ」がしたいわけではない。ブレラとの二人暮らしに不満があるわけでもない。けれども、居心地のいい空間が、オズマにとってだけなのだと思うことが耐えられなかった。同じではなくても、ブレラにもそう感じてほしかった。オズマのことを、気にかけて欲しかった。気づいてしまえば単純な話だ。それだけだった。しかしそれがあまりにも遠くて笑いそうになる。それ以上に、気を抜いたら泣いてしまいそうだ。初めのランカとは違って、感情を持っている相手だというのに、ブレラはオズマにそれを向ける気がない。何を言えばいい。冗談めかしても、そんなことを望む相手ではないというのに。飲むんじゃなかった。こんな気分を味わうのなら、ずっと二人で食事をしているほうがすっとよかった。そこに、感情が見えなくても。

「おい」

ずるずると背中から崩れ落ちて、玄関に尻もちをつくような形で座り込んだ頃、唐突にブレラの声がした。食事を終えて、とっくに階段を上ったと思ったのに。閉じていた目を半分だけ開くと、思ったより近くにブレラの顔があった。何も言えずにぼんやりとぞの無表情な顔を眺めていると、ブレラはオズマの手に冷たい何かを握らせる。視線を下に向ければ、ふたを開けたペットボトルが見えた。またゆっくりとブレラの顔を見上げれば、心なしか、ほんの少しだけ眉をひそめたブレラが口を開く。

「それを飲んで寝ろ」

オズマは何も言わなかったが、ブレラが視線を外さないので、そろそろとペットボトルを口に運んで、冷たい中身を飲み下した。うまかった。緊張してのどが渇いたからかもしれないが、というか酔っていたからだろうとは思うが、びっくりするくらいうまかった。何度かそれを繰り返して、もうたくさんだと思った頃に蓋を探したら、ブレラがペットボトルをさらって蓋を閉めた。そうして、もう一度「寝ろ」と告げてオズマに背を向ける。。キッチンへ向かうブレラの後ろ姿をぼんやりと眺めて、さっきまでよりずっと覚醒した頭でそおろそろと立ち上がる。ブレラは振り返らない。冷蔵庫の前で何かしている。

「…おやすみ…」

オズマが呟いても、ブレラは何の返事もしない。けれども、その背中が少しだけ揺れたことにオズマは気づいた。もしかするとずっとそうだったのかもしれないとオズマは思う。明るいリビングは、それでも普段よりずっと静かで、横切るオズマの靴音がとてもよく響く。階段を登りきってすぐ、オズマの部屋。靴も脱がずにベッドに倒れこんで目を閉じた。寝ろ、と言われた。命令形がこんなにうれしいとは思わなかった。夢もない深い眠りに引きずり込まれながら、明日の朝食のことを一瞬だけ思った。ブレラと二人でいることに、もう何の疑問もないことには気づかなかった。


冷蔵庫に詰め込まれた真空パックの料理を眺めながら、明日は帰ってくるんだろうな、とブレラは思う。今日の夕食だった。オズマが帰ってこないとは考えもしなかったから、いつも通り二人分の料理を作り、何の疑問もなくオズマを待っていた。10時を過ぎたところで、ほとんど使わない携帯端末をいじってみた。11時を過ぎて、連絡してみようかと思った。12時を過ぎて、何かあったのかもしれないと、ランカとアルトにメールを打った。幾分迷惑そうなアルトから、飲み会に行ったらしいという返事が来て、ものすごくほっとした。どうしてそんな気分になるのかは知らなかったが、何もないならよかったと思った。それから、帰ってきて夕食を食べるかもしれないオズマを待つ時間がまたとてつもなく長かった。二人分作った料理を一人で食べる気にはならなかったので、要らないと言われた夕食は明日に回すことにして固形食糧を食べた。味気ないと思わなかったのは、目の前にオズマがいたからだろう。理由は知らないが、突っ立ったままブレラを眺めているものだから、普段と変わらない気分だった。食べ終わったところでオズマが崩れ落ちて、もしかしてこれは気分が悪かったのか、と水を持っていったらものすごく不思議そうな顔をしていた。おとなしく飲んで、割としっかりした足取りで寝室に向かったから大丈夫だとは思うが、明日の朝食は消化の良いものを作るべきだろう。

「…中華粥か」

冷蔵庫と常備棚に、卵、アサツキ、ザーサイ、鶏ガラスープ、もちろん米もある。飲むのは別にかまわないが、あまり過ごすなと言ってやるべきだろうか。普段あれだけ人に口出ししてくるのだから、たまには良いだろう。間違ったことは言われないので従っているが、実際小うるさいと思わないこともない。ガキだと思われているようなのが堪らないので何もない顔をしているが、やり込める機会があるのは良いことだ。よし、と頷いて冷蔵庫を閉じる。とにかく、食事の要らない日くらいは連絡するように伝えるべきだろう。ぱちろと電気を消して階段を上る。オズマの部屋の扉をちらりと眺めて、声には出さずおやすみ、と呟いた。おはようもおおやすみもおかえりも、全て。それ以上はまだ。その瞬間、少しだけ口角が上がっていることに、ブレラは気づかなかった。

( もどかしさが売りです / 本編後 / オズマとブレラ / マクロスF / 20091031 )