女 神 の 微 笑 み は 救 い で あ り 警 告 だ



飲み屋でほほ笑んだランカの望み通りに、オズマとブレラは一つ屋根の下で暮らすことになった。そもそもブレラにはずっと乗っていたVF-27以外に帰る場所がないので、不可抗力と言えば言えないこともない。だからランカを帰る場所にしたかったのに、とは今更言えない。ランカが兄と呼んでくれるのだったら、あの毛むくじゃらとの二人暮らしとやらにも耐えてやろう。たまには遊びに来てくれると言っていたし。こくこく、と頷いて、ブレラは今日もオズマとブレラの家に帰るのだった。

バジュラとの戦闘でオズマとランカの住処もすっかり荒れてしまっていたため、ふたりは新市街-星の上に建てられた街-に新しい住居を求めることになった。ランカと二人で10年暮らした住居には愛着があったが、いずれ解体される船の中でいつまでも暮らすわけにはいかない。といってもブレラは何の興味も示さずに、値段だけ見てワンルームタイプのマンションを刺したりするので、ほぼオズマの独断で決めた。休日ごとに物件を探すオズマは、なんでこんな新婚みたいなことを、と思ったが、口に出すとおぞましいことになりそうなので何も言わなかった。10年前は失意と後悔の中で行った行為を、今またこうして繰り返している。しかしそれも、相手が成人済みの男だというだけでどうしてこんなにしょっぱい気持ちになるんだろうか。いや、成人前だったらいいというわけでもない。オズマにそういう趣味はない。ぶるぶると首を振って、ファミリーユースの物件を覗いていく。SMSの基地に近く、ランカとシェリルの滞在するホテルにも近く、三星学園にも近い住居となると、なかなか難しいところだった。。もういっそ自分でたててしまおうかと思ったが、しばらくはブレラと二人暮らしなのにそんな新婚みたいな真似、と、思考はどんどん泥沼化していく。数週間後にようやく部屋が決まる頃には、オズマはすっかり疲れ果てていた。いっそバジュラと闘っている時のほうが楽だった。何しろ余計なことを考える暇がなかった。

ぼろぼろになるまで考えてオズマが決めた部屋は、メゾネットタイプのマンションだった。SMSまでは少し遠いが、海が見える風呂と吹き抜けのリビングが気に入って借りた。ブレラは対して反応しなかったが、引っ越しを手伝ってくれたキャシーやランカには評判がよかったので何よりだとオズマは思う。二人のために選んだような部屋だ。けれども、オズマが引っ越しを終えた、次の日にやってきたブレラの荷物の少なさに目をむいたのも確かだった。少ないというより、ほとんど手ぶらだった。片手に収まりそうなケースの中に、数枚のカードとランカから渡されたらしいランカのCD。それだけだった。

「お前、もうちょっと…着替えとか日用品とか、ねえのかよ」
「必要になったら買い足す。今は特に、何も要らない」
「要らないっつったってなあ…」

勘当されて家を飛び出したというアルトにだって、細々とした荷物はあったというのに。ブレラの生い立ちを考えれば当然のことだったのかもしれないが、オズマはわずかに眉をひそめた。ランカといるときにはわずかでもほほ笑んでいたブレラが、SMSにいる間中ちらりとも表情を変えないことも気になっていた。ブレラには、生きていく気があるのだろうか。生命維持というだけではなく、命を謳歌するという意味で生きていくつもりが。惑星に降り立ってから二ヶ月になるが、ランカのボディガードをしていたころから今までずっと、同じ服装で過ごしている姿も気にかかる。SMSのシャワールームでクリーニングはすぐ終わるが、それでもそういう問題ではないような気がする。がりがりと頭を掻いて、オズマは苛立ちにも似た溜息を吐いた。生来のおせっかいと兄貴体質がむくむくと首をもたげている。何より、今までランカをさらっていく相手として認識していたが、ランカの実の兄なのだ。ということはオズマの弟といっても過言ではない。なぜ二人暮らしを、と思っていたが、ランカが帰ってくるとしたら、オズマとブレラとランカの三人で暮らすことはとても自然な気がした。はあ、ともう一度溜息をついて、自分の部屋が示されるのを待っているブレラの襟首をつかんだ。ものすごい勢いで振り払われた。そうだった。サイボーグだ。

「なんだ」
「いや…」
「用もないのに、人の襟首をつかむのか?」

返す言葉もないオズマに、いいから部屋を教えろ、と言われて二階の突き当たりを差した。8畳の部屋には、ベッドフレームと一畳のクローゼットしかない。何も問題はない、という顔でベッドに腰かけたブレラに、寝具くらい買いに行かないのか、と声をかければ、このままで支障はないと返された。そりゃあVF-27のコックピットよりはましかもしれないが。あとは、せめてタオルとか。いやタオルくらい使って構わないんだが。部屋の中を見回ることすらしないブレラに、オズマのほうが焦った。だめだ。だめだと思う。これは良くないと思う。もう一度ブレラの襟首に手を伸ばして、いやそれはだめだと首を振って、見渡して、仕方がないので手首を掴んだ。腕を引くと、案外素直に立ち上がる。

「なんだ」
「ベッドマットと布団と枕とカーペットとカーテン」
「は?」
「あとクッションと部屋着とソファな」
「何を言っている」
「車出してやるから買いにいくぞ」

手首を握ったまま部屋を出ようとすると、ようやくブレラが反応を示した。ぐい、と腕を引いて立ち止まるブレラに引っ張られて、少しばかり踏鞴を踏む。ブレラの表情は少しも変わらないが、あまり機嫌が好さそうではない。それはいつだってそうなのだが。

「必要ないと、いった」
「ランカが心配するといってもか」
「なに?」
「こんな寂しい部屋で、自分の兄貴が寝てたら悲しくなるぞランカは」
「ランカは、」
「あいつの部屋を見ただろ」

ランカの部屋は、その性格を示すような温かなパステルカラーに囲まれた、やわらかい感情の溢れる部屋だった。壁に貼られたポスターも、バジュラの幼生を飼う巣穴も、ベッドカバーもカーテンも。年頃の女の子が喜ぶような小物や、幼い頃に撮った写真。そのすべてに胸が締め付けられるような感情を覚えたことは、オズマには何も言っていないというのに。けれども。

「俺とランカは違うだろう」
「じゃあお前はランカがこんな部屋で寝てたらどう思うよ」
「…だから、俺とランカは違うだろう」
「だからこそだ。お前はそう思うかもしれないが、ランカは違う」

わかるだろ、と、実の兄なんだからそれくらい分かれっつーの、という思いを込めて鼻で笑ってやると、ぐぐっとブレラの腕に力が籠るのがわかった。強化内骨格が仕込まれたブレラの腕は、どれだけ細くてもオズマの首すら簡単に引きちぎれるのだろう。けれども、人間では耐えられない加圧を受けても顔色一つ変えないブレラが眉をひそめたのでいいことにする。

「…」
「だから行くぞ」
「…必要最低限だ」
「だから、それだけ言っただろう。あとはタオルとか歯ブラシとか下着か?あといつまでもそんなへそ出してると風邪ひくぜ」
「引くか」

引かないんだろうけどよ。視覚的というか、気分の問題だ。オズマの。ランカの衣装も、肩だしへそ出し生足は体に悪いと思っている。かわいいけど。かわいいけれども。ブレラの手首を握ったまま、上ったばかりの階段を降りる。階段を降り切る瞬間にブレラがちらりと階上を振り返った。オズマが同じように振り返ると、向き直ったブレラと目が合う。そらす理由もないのでそのまま眺めていると、あんたの部屋はどこだ、とブレラが言った。階段の真上を指さすと、ブレラは一つ頷いてさっさと歩きだす。何の意味があるんだ、と思ったが、握ったままの腕にひかれてオズマも歩を進めた。


結局オズマ自身の買い物も含めて、山のようになってしまった荷物を運びこむ。明日も休暇にしといてよかったな、と思う反面、ブレラとの二人暮らしに三日も費やしてしまうことに物悲しさを覚えなくもない。キャシーやランカとも約束はないのだ。ベッドマットを抱えて溜息をつくと、ブレラがひょいとそれを抱えて、ついでに他の荷物もすべてまとめて家に運びこんだ。ブレラが買ったもの以外を、リビングの床に器用に並べて、山のような荷物を軽々と抱えたまま階段を上っていく。

「おい、手伝うぞ」
「必要ない。あんたはそれを仕舞ったらどうだ」

床に並ぶ荷物の半分は食料品だった。フリーザーと冷蔵庫に入れなくてはならないものも含まれている。ブレラはそういうことを一切声に滲ませてはいないが、たぶんそういうことだ。なんだか舌打ちしたい気分で、オズマは乱暴に食材を冷蔵庫に押し込んで、あとは袋に入れたまま階段を上った。開け放された扉の向こうでは、ブレラが寝具を整えている。まだタグが付いたカーテンを持ち上げて、引きちぎろうとしてできないことに気付く。やればできるかもしれないが布地を炒めそうだ。ばさりと羽根布団をふるったブレラに声をかける。

「鋏とか持ってくるか」
「刃物なら間に合ってる」

言葉とともにブレラの腕が諸刃に変化して、オズマの持つタグを切り落とした。それはもうすっぱりと。便利な腕だな、と揶揄するわけでもなくつぶやいたオズマに、まあな、と返して、そうしてブレラとオズマは部屋の二面にある窓にカーテンを吊った。日が暮れかけた惑星の夕焼けが差し込む部屋は、それだけで随分暖かく見えた。ほらやっぱり、必要性より気分の問題だろ。オズマがふふん、と鼻を慣らすと、細々したものの封を破っていたブレラの手が一瞬止まる。けれどもそれは一瞬すぎて、オズマが気づくことはなかった。やがてぽつりとブレラが、ゴミ袋は必要だな、と言うまで、オズマはブレラの隣で包装紙とビニールをまとめていた。


やがて訪れた夕暮れのリビングで、オズマは少しばかり頭を使っていた。これからの食生活についてだ。食料品を買い込んではみたが、オズマはあまり料理が得意ではない。一人で食べる分には支障がないだろうが、ブレラに食わせるようなものが作れる気がしない。幼いころオズマの料理を食べて育ったランカは、シンクに背が届くようになると同時に料理を始めたから、つまりそういうレベルだ。というか何より、ブレラは何か食べるのだろうか。オイルとかだったらちょっと困る。一緒に暮らす相手の食生活がそんなんだと、オズマも酒だけ飲んで寝てしまいそうっだ。オズマが悩んでいると、薄暗くなりかけたリビングに足音もなくブレラが降りてきてびくっとした。す、とセンサーに触れたブレラの上に明りがともる。もちろんオズマの上にも。

「何をしてる」
「や…ちょっと。考え事を」
「そうか。キッチンを借りるぞ」
「あ?借りるっつーか、お前のもんでもあるんだから好きにすればいいが、何するつもりだ」
「夕食を作る」
「は」

間の抜けた声をあげると、ブレラがオズマを振り返ってわずかに目を細めた。いや。別に咎めるわけじゃねーんだが。ちょっと意外で。ほりほりと頬を描いて、相変わらずへそと言わず腹と言わず胸まではだけた使用用途の掴みづらいパイロットスーツを着込むブレラを眺めた。

「お前、飯食うのか」
「食べるが」
「そうか…サイボーグも飯は食うのか」
「人工皮膚と筋肉ではあるが、内部には消化器官と欠陥も走っている。生脳とそれらを維持するには食事が必要だ。タブレットでも構いはしないが、キッチンがあるのなら作る」
「…へえ…」

答えを聞く気もないのか、さっさとオープンキッチンに向かうブレラの背中を、見送るともなしに見送る。そうなのか。とくに知る必要もないと思っていたから、ブレラの精密検査の結果にも目を通していなかったが、ブレラの口から聞かされるなら罪悪感もない。何より、ここまで流暢にしゃべったのは初めてじゃないのか。ちゃんと喋れるんじゃねえか。しかしこれで『ブレラの食事を作る』というプレッシャーからは解放されるわけだ。オズマはオズマ自身が食えるものを適当に作ればいい。少しばかり張っていた肩をばきっとならして、元の家から持ち込んだソファにどっかりと座りこんだ。なんとなく落ち着いた。やっぱり家はいいものだ。キッチンが空くまでの暇つぶしに、とかちかちとテレビのリモコンを操っているうちに、引っ越しの疲れか気が抜けたせいか、少しうとうとしていた、らしい。

「おい」

気が付いたら、ブレラがオズマの肩を揺すっていた。軽く。んあ、と寝ぼけた顔で肩越しに振り替えると、顔色も変えないブレラが腰もかがめずに立っている。何やらいい香りが漂っていて、こいつ料理うまいのか、とぼんやりオズマは思う。ふわあ、と大きなあくびを落として、またばきりと肩を鳴らした。

「悪ィな、キッチン空いたのか」
「空いたが、何かすることがあるのか」
「おいおい、俺だって夕飯前なんだぜ?」
「知っている」
「じゃあ俺だって何か作んねーと食えねーだろ」
「足りないのか」
「足りないもなにも何も食ってないんだって……何がだ?」

どうもブレラとオズマの会話はかみ合っていないらしい、と気づいたオズマは、軽く首をかしげて言った。言われたブレラも少しだけ目を細めて首をかしげる。8°くらい。ふっとブレラから目をそらしたオズマは、傾けた首のおかげでテーブルの上を見ることができた。並んでいる皿の数が一人分にしては多いような気がする。というか明らかに二人文並んでいる。

「…もしかして俺の分もあるのか?」
「二人分作るほうが経済的だ」
「…えー…」
「食えない素材は使っていないから食えるはずだ」
「あ、いやそういう意味じゃねえ」
「そうか」

無表情に戻ったブレラは、そのままオズマに背を向けてテーブルに着いた。オズマを待つこともなくフォークを取るので、オズマもあわててブレラの向かいに腰をおろした。サラダとスープとバゲッド、メインにチキン。黙々と手と口を動かすブレラに習って、オズマも手を合わせて食事を始める。

「…うまいな」
「そうか」
「うまいぞ」
「そうか」

ブレラはオズマに視線も向けず、かちゃかちゃと最低限の動きで皿を空にしていく。オズマも負けずに、掻きこむように料理を口にした。うまかった。何より、どこかランカの味付けに似ているのが不思議だった。もしかしたらふたりの母親の味付けなのかもしれない。そそくさと立ち上がり、食器を片づけるブレラと、これからの話を少しした。家賃と生活費の折半、生活習慣、非番の過ごし方、SMSでの接し方。ブレラはほとんど頷くだけだったが、それでもオズマは最初ほど二人暮らしに苦痛を覚えていない自分を感じた。いつかも思った通り、ブレラはランカの-兄なのだし。会話を終えて食器洗い乾燥機を稼働させたブレラは、それきり何も言わずに階段を上る。もう寝るのだろうか。それとも。どちらでも構わなかった。何もなかったあの寂しい部屋ではなく、寝具とカーテンと小物が揃った部屋で、ブレラは眠るのだから。サイボーグの睡眠がどのようなものかはわからないが、生脳と内臓が残っている以上生身とそこまで変わるわけではないだろう。だったら。テーブルからソファに移動していたオズマは、唇の端をあげて口を開いた。

「ブレラ」
「なんだ」
「おやすみ」
「……ああ。おやすみ」

ブレラはやはり振り返らずに、硬質な声で、けれども確かに挨拶を返した。二人暮らし。大事なことは、それだろう。一人ならばまだしも、誰かがいるのに会話がなければ寂しいものだ。少なくともオズマは寂しいし苛立つ。逆にそれができるのならば。

「割と楽しめるかも知れねー、…なんてな」

最後に誤魔化すように茶化したオズマの語尾は、誰にも届かずに消えていった。

( ブレラはそこまでクールじゃないといい / 本編後 / オズマとブレラ / マクロスF / 20091012 )