世 界 は 仮 定 の 上 に 成 り 立 っ た こ と は 一 度 だ っ て な い



バジュラ改めギャラクシーの残党-というかグレイス-との戦いが終わり、戦闘の後始末に追われていたSMSの面々がようやく落ち着いたころ、その抗争は始まった。抗争といっても人が物理的に傷ついたり、建物が壊れたりするようなものではなく、ごく一部の人間以外にとってはどうでもいいことだった、というのが救いなのかどうかは判断が分かれるところだ。前置きが長くなったが、つまるところはそう、あれだ。ランカの兄オズマと、ランカの兄ブレラの、ランカをめぐる切なくもなければ美しくもない、本人以外にとってはあまりにもくだらない争奪戦である。

さて、バジュラクイーンの巣から助け出されたランカと、戦闘中の機体で歌い続けたシェリルも、争いで疲弊したフロンティア内を駆け巡り、しばらく息をつく暇もなかった。そのふたりがSMSの面々と合流し、再会と再生を祝して完敗、となった席でのことである。飲み始めてしばらくは、アルトやシェリル、ルカにミハエルといったメンバーと一緒にいたランカだったが、酔いが回って混乱する面々の中で少しずつ引き離され、いつの間にかオズマとブランに挟まれるようにして座っていた。アルトは向こうでクラン・クランの膝に乗せられているし(ミハエルはうらみがましい目でルカにのしかかっている)、シェリルはテーブルの上で即席ライブを展開している。『あたしの歌を聴けーーvv』と、機嫌良く歌うシェリルの足元では屈強な男どもがこぶしを突き上げている。あの角度だときっと見える。とにかく、皆楽しそうで何よりだった。ランカは隣にいる兄ブレラと、隣にいる兄オズマとににこにこ笑いかける。オズマとブレラは同じように笑い返して、それからお互いをにらみつけた。なんだろう。火花が散っている。ちょうど運ばれてきたアツアツのマグロ饅をほおばりながら、ランカは頭の上で散る火花を見上げて、ああきれい、と笑う。酔っている。酒は一滴も入っていないが、雰囲気に酔っている。笑うランカを見て、オズマとブレラも口角をあげる。しかしお互いはにらみ合う。傍から見れば滑稽だったが、傍で見ている人間は誰もいなかった。皆自分のことで忙しいのだ。
で、誰も止めてくれない静かな抗争は、ブレラの一言で騒がしいものに変わった。

「ランカ」
「なあに、お兄ちゃん」

こてん、と首を傾げる角度がかわいい。ランカはかわいい、とブレラは満面の笑みを作る。といっても本人が描く満面の笑みと、実際浮かんでいる表情には差があった。なにしろ口の端がちょっぴり持ち上がっただけだ。小奇麗な作りの顔と相まって、少し怖い。サイボーグは表情筋が固いのかも知れない。けれども、相手は言葉を介さないバジュラと交流できるランカだ。やさしくてかわいい緑の子に不可能はない。笑みの形を崩さないランカの口の端に付いたマグロ饅をそっと拭って(口に入れようとしたらオズマがものすごい勢いでその手を拭っていった)、ブレラは言った。

「もう少し、この星に慣れたら、俺と一緒に暮らそう」

相変わらず口の端をちょっと上げただけで、目の色が何も変わらないブレラの顔は割と怖い。これは緊張しているのだった。満面の笑みと、ぎこちない笑みが、同じ形をしている。ブレラは、ランカと一緒に暮らすことを悩みはしなかったが、ランカに切り出すタイミングと瞬間は決めかねていた。二人きりになることがなかったからだ。プロポーズはロマンチックなほうがいいと幼いランカも言っていた。もう全部思い出した。ランカの手を取って、ぎこちない顔で笑うブレラに向かって、ランカが口を開きかけた、ときに。

「何言ってやがる、ランカの保護者は俺だぞ。俺と一緒に暮らすに決まってる」

横から伸びてきた太い腕が、ランカの小さな手をブレラから浚っていった。ランカの手に新しいマグロ饅を握らせて、ふわふわした髪を撫でる。素直に温かいマグロ饅を頬張って、ランカはまた嬉しそうに笑った。銀河の果てまで抱きしめたい、とブレラとオズマは思った。俺の命に代えても。オレンジ色の照明の下で、緑色の髪が碧く光る。がっしりと置かれたオズマの指をサイボークの力で引きはがして、ブレラもランカの髪を撫でる。ランカを引き寄せて、オズマの目を睨みつけた。今度はちゃんと表情が変わる。使い慣れた表情、ということなのだろうか。何事も慣れが必要だ。

「俺はランカの兄だ」
「俺だって兄貴だ」

その視線を真正面から受け止めて、オズマはランカの肩を抱いた。ぐぐっとブレラの眉がひそめられる。それでも、赤の他人だろうと言えないのは、ランカと一緒にいられなかった10年の負い目があるからだ。後悔を、している。もっと早く会いにくればよかった。もっと早く、思い出せばよかった。もっと早く、気づいていれば、よかった。けれども後悔は、これからの布石になる。今までの10年を、これからの日々で補っていきたいのだ、ブレラは。だから。ランカの頭を抱きしめて、オズマに対抗する。負けるものか。

「あんたはあの女性と一緒に暮らすんだろう?新婚生活にランカは邪魔じゃないのか」

あの女性、というところで、オズマの隣に座るキャシーを示す。妹を構うオズマの片腕を抱いて、それ以外のことには興味を示さずにくいくいグラスをあけていたキャシーの目は泳いでいる。シスコンに対しては体制があるのだ。何しろ10年前のことがある。そこを越えられなければキャシーの未来はなかったのだ。適応だ。ブレラに指さされたところで気にもせずに、次のグラスを注文している。オズマはそのキャシーを片腕で引き寄せて、ついでのようにランカも引き寄せて、叫ぶように言った。というか叫んだ。

「馬鹿野郎!!家族が邪魔なわけあるか!」

いろんな意味で引いたブレラに向かって、そもそもランカを邪魔だと思うような奴と一緒になるつもりはない、と身勝手にも思えるセリフを吐いたオズマの向こうで、キャシーは頬を染めている。喜んでいるらしい。確かに聞きようによれば、俺の選んだ相手は心の広い女性なんだ、と受け取れなくもない。新婚だもの。『ロリコンだと思って別れた男と誤解が解けて一緒になれてすごくうれしい』という顔でほほ笑むキャシーにとっても、ランカの存在はかわいい義理の妹らしい。ランカはかわいい。それはわかるが納得はできないブレラは、ぐぐっとオズマに顔を近づけて、低い声で言った。

「俺はランカの実の兄だ」
「血の繋がりよりも大事なものだってあらあな」

飄々と言ったオズマの顔もやっぱり怖い。オズマとブレラの顔が近い。ほとんど見つめあうような近さで、お互いに一歩も引かない。間に挟まれたランカは、オズマとブレラの膝に乗せられる形でキャシーを「お姉さん?」と呼んでいる。キャシーは上機嫌でグラスを空けていく。異空間だ。5人掛けの長椅子に男女4人でゆったり腰かけていたはずが、ほとんどふたりぶんぐらいにまで体を近づけている。見つめあっているのは男二人と女二人だ。ぐぐぐぐぐ、と眼球がくっつきそうなくらい近づいたところで、よし、とオズマが言った。その呼吸すら届くような距離で、なんだ、とブレラが返す。

「ランカに決めてもらおう」
「ランカに?」
「ランカが俺とお前、どちらを選ぶかだ。勝っても負けても恨みっこなしだぞ」
「…わかった」

すっと表情を変えて、オズマとブレラの距離が遠ざかる。オズマの腕が、膝の上のランカをひょいと持ち上げて、くるりと反転させた。向き合う形で。マグロ饅の最後の一口をのみこんだランカは、もうひとつほしいな、というような顔で厨房を振り返っている。ランカ、と、かける声が重なって、ランカは緑の髪をぴょんっと逆立てた。なあに。

「ごめんな、食べてるのに」
「ううん、大丈夫だよ」

優しいブレラの声にランカが答えると、ブレラはそっと笑ってランカの髪を大事そうに撫でた。そんなに簡単に壊れないよ、大丈夫だよ。大丈夫だよ。お兄ちゃんは、時々愛くんみたいな顔をする。お兄ちゃんの髪に触れると、弾かれたように顔をあげる。うん、やっぱり似てると思う。だいすきな、だいすきなわたしのおにいちゃん。ハーモニカは無くしてしまったけど。

「ラーンーカー」

うらみがましい声が聞こえて、ランカはもう一人のおにいちゃんに目を向けた。ランカに、ランカのために10年間をくれた人だ。今のランカに必要なものも、必要ではないものも全部、全部全部。おにいちゃんで、おとうさんで、おかあさんだった、おにいちゃん。大事な大事な大事な、おにいちゃん。ひと房だけ流れた前髪をつかむと、しかめられていた眉が笑みの形に歪む。小さいころから、抱きあげられたらここを握っていたんだって、おにいちゃんが。おにいちゃんに言われなくたってちゃんと覚えてる。これからだって、きっと。

それで?とランカが首をかしげると、オズマとブレラはごほん、と咳払いして居住まいを正した。もう笑ってはいない。真剣な顔で、ランカの手を握る。ランカ。

「「俺と暮らそう」」

重なった声に、声をあげてランカは笑った。だいすき、だいすき。だいすきなお兄ちゃんたち。すごくうれしい、だけど、でもね。

「ごめんね、お兄ちゃんたち」

括られた!という顔でショックを受けたオズマとブレラは、次の言葉で完全に崩れ落ちた。

「わたし、しばらくシェリルさんと一緒に暮らすから」

シェリル。銀河の妖精、シェリル・ノーム。先ほどまでドレス姿だったはずの彼女は、どこから取り出したのか分からない軍服に着替えて歌い続けている。あれなら見えない。見えないかもしれないが、今度は上半身が危うい。短い上着の裾から、きっと見える。たぶん見える。あのシェリルと、ランカが?ランカを挟んだまま固まったオズマとブランをよそに、ランカはかわいい笑顔でシェリルに手を振っている。気づいたシェリルも、優雅な笑顔で鞭を振ってこたえる。それこそどこから出したんだ。持ち歩いているのか。手を振り終えたランカは、オズマとブレラの顔を交互に見上げながら続ける。

「シェリルさん、家族もいないっていうし、一人暮らしってあんまりしたことないから、ルームシェアしないか、って誘われたの。シェリルさんと一緒なら、アルト君も遊びに来てくれるかもしれないし、コンサートも一緒にやることになったしちょうどいいかなあって思うの。だから、ごめんね」

一緒に暮らせなくてごめんね、と。柔らかな口調は、しかしはっきりとした拒絶を示していて、オズマとブレラはなんだか泣きたくなった。もう大人になってしまった。かわいいかわいいランカは、自分で自分の道を決める権利があって、それを止める権利が、ふたりにはないのだ。どちらか、ではなくどちらも選ばないランカを、オズマとブレラは祝福するべきなのだろう。相手がアルトでないだけ幸せなのかもしれない。しかし、あのシェリルとランカが。シェリルと。今夜はやけ酒だ。にらみ合いが一転して相身互いに変わってしまった。

「そ…うか」
「あー、…うん…まあ、…あの嬢ちゃんと一緒なら…きっと心配ないんだろうが…」
「うん、大丈夫だよ」

あんまり家に帰ってこないおにいちゃんも、10年間一緒にいてくれなかったおにいちゃんでもなくて、ずっと一緒にいられる歌姫がいるんだもの、大丈夫だよ。にっこり笑って。これくらいの意趣返しは許されるだろう。だってランカだって、寂しかったのだ。だいすきなだいすきなだいすきなおにいちゃんたち。だけどね。だからね。今度こそはっきりショックを受けたような顔で肩を落とすオズマとブレラを、ふたりまとめて抱きしめた。っだいすき、だいすき。おにいちゃんたち。

「いいこと考えた」
「な、…なんだ?」
「お兄ちゃん達が一緒に暮らしてくれたら、わたしも会いに行きやすくてうれしいんだけどな」

一緒に暮らすとしても、そのときどっちかなんて選べないから、どっちも一緒にいてくれるといいな。大事な大事なだいすきなだいすきなおにいちゃんたち。わたしがすきなら、仲よくしていて。一緒にいて。わたしをかなしませたりしないで。もうどこへもいかないで。ねえ、おにいちゃん。

「俺と、こいつが」
「一緒に?」

ランカの顔を見ながら顔色をなくしたオズマとブレラが、ランカの表情を見て逃げられないと思ったのはまあ別の話だ。なにしろ、かわいいかわいいランカの頼みは絶対なので。それでも何か言いかけたオズマとブランの口に、ちょうど運ばれていたマグロ饅を押し込んで、ランカはシェリルの隣に掛けていく。がばっと机に飛び乗って、ちょうど見えそうで見えない角度が美しい。サイズなんて問題じゃなありません、形です。いいえケフィアです。

「抱きしめて!銀河の、果てまでーー!」

かわいいかわいいランカの歌声を、抱きしめあうくらい近い距離で聞きながら、オズマとブレラは深いため息をついた。かわいいかわいいランカが欲しかっただけなのに。こんな毛むくじゃらはいらない、とブレラがとげのある口調でつぶやけば、俺だってこんな固い体の男はいらねーよとさらに刺々しくオズマが言った。キャシーはとうとう酔い潰れて、ソファの端で撃沈していた。シェリルとランカの乗ったテーブルにはいつの間にか脱がされたアルトまで参戦していて、大混乱のまま宴会は幕を閉じた。オズマとブレラは、大時空捩じ切りシンデレラから片時も目を離すことなく、最後まで口汚く罵りあっていた。

かくして。
キャシーとオズマが結婚するのはまだしばらく先のことで、それまではお互い別々に暮らすつもりだったので、結局オズマとブランは成り行きで二人暮らしを始めることになったのだった。
( ミハエルは生きてるよ、もちろん / 本編後 / オズマとブレラとランカ / マクロスF / 20091011 )