0 4 . 薔 薇 の 比 喩   

大型書店の三階に設けられた喫茶店で、花宮は日向と向かい合っていた。偶然でもなんでもなく、一緒に入ったからこの結果は当然なのだが、水が運ばれてくるまでの数分が果てしなく長かった。日向は、花宮の逡巡に気付きもしない顔で、先ほど買った本を広げている。そもそもなぜこんなことになっているのかと言えば、全部この本屋が悪いのだった。

日向と顔を合わせたのは、七階参考書エリア右端の赤本コーナーの前だった。まだそこまで真剣に考えているわけではないが、二年生も終わりに近づいて、ぼつぼつ進路選択の時期である。今はネットで何もかも揃うが、思い立って都心の大型書店まで足を運んでみたのは、やはり目で確かめたかったからだ。こんなにあるのかよ、と改めてうんざりした花宮の隣で、同じようにげっそりした溜息を落とすものだから、同志よ、と横目で様子を伺ってみたら、日向だったわけだ。うわ、と腰が引けた花宮を余所に、「おう、久しぶり、花宮」とごく普通に言った日向は、そのまま花宮に志望校を訊いてくる。まだそこまで絞ってるわけじゃないが、といくつか背表紙を指すと、「そういえば霧崎第一って進学校だったな」と感慨深く頷いているので、「誠凛は、お前らが第一期の実績になるのか」と思わず花宮は会話のキャッチボールをしてしまった。
そうだな、と頷いた日向が、俺はこの辺、と示したのはそれでもそれなりにレベルが高い私立高で、「国立は」と花宮が問いかければ、「まあ、併願で」と日向は渋い顔を作る。
「受験なんてしなくても、全国でここまで勝ち残ったんだから、バスケで入れるんじゃねえの?あの人数なら、全員」と投げやりに花宮が言えば、「木吉はあの様だし、他は全員誠凛だから戦えてる、ってところがあるからな。実際、火神と黒子がいなけりゃどうにもなんねーことが多いよ」と、木吉の名に動揺した花宮を仰ぐこともなく、ごく冷静に日向は返した。
「それに、選択肢は多い方がいいだろ」と続けた日向が、思いついたように「花宮お前、今暇か?」と尋ねるので、「忙しかったらこんなところにはいないだろ」と花宮は軽口で答える。
じゃあ暇なんだな、と頷いた日向は、「二千円分本を買ったら、コーヒーチケットくれたんだ。二枚あるから、休憩しに行こうぜ」と、花宮の返事を待つこともなくエスカレータに向かった。花宮はしばらく日向の背を眺めていたが、「早く来いよ」と何の含みもない声で日向が花宮を呼ぶので、なんとなくついて行ってしまう。

まあ席について三〇秒で後悔したわけだが、と、無料のコーヒーと一緒にモンブランを頼む日向を眺めながら、花宮は踵で椅子の足を蹴った。二つ、と言う日向の手を止めかければ、「ああ、モンブランじゃない方がいいのか?チーズケーキは?ブラウニーか?」と日向はメニューを立てる。毛結局「…チーズケーキで」と言った花宮は、店員が去った後で「食いたきゃ一人で食えよ」と苦情を述べたのだが、「せっかくだからな」と日向は言うばかりだ。何が、と尋ねたい花宮は、日向の買った本が参考書でも赤本でもなく時代小説だったことに少しばかり憤慨している。バスケをしていればいいのだ、日向は。

やがて運ばれてきたコーヒーに口を付けて、「…それで、何が目的なんだ」と花宮が切り出せば、「別に、ただ一度バスケから離れた場所でお前と話してみたかっただけだ」と、スクエア型のモンブランをざっくり切り取りながら日向は答える。「バスケ以外に接点なんかないだろ」と花宮が嗤うと、「でもバスケに関してはもう冷静に話せねえしな」と、日向はコーヒーに砂糖を一杯流し込んだ。

ティースプーンでぐるぐるとコーヒーを掻き混ぜる日向が、花宮に食って掛かったのはそう昔のことではない。公に認めはしないが、花宮自身は木吉の故障が花宮の指示によるものだとわかっているし、木吉も、日向ももちろんわかっている。むしろ日向の方が激昂していたくらいだ。木吉の鼻を明かしたことで、花宮の胸が多少なりとも透いたことは確かだが、その裏には相応の覚悟もある。木吉が花宮を殴りに来るような人間だったら、花宮はそもそも木吉に拘ることなどなかったのだ。

日向の意図が読めずに、花宮が使いもしないミルクポットを弄っていると、「気持ちはわからないこともない」と不意に日向は言った。花宮が眉を潜めてもお構いなしに、「俺は始めあいつの押しつけがましいところが嫌いだったし、勝てないバスケにもうんざりしてた。もうバスケなんて二度とやらないつもりで、誠凛に行ったんだ」と日向は続ける。
「でも結局出戻ってるんじゃないか」と花宮が指摘すれば、「全部木吉のせい…いや、おかげ、だな。相変わらず負けりゃ悔しいし、木吉の発言に腹の立つこともあるけど、結局それもあいつがいたからどうでもよくなっちまった」と日向は少し笑った。コーヒーカップを置いた日向は、顎の下で手を組んで、「何にしても、俺はお前が木吉にしたことを赦せねえけど、でも、お前がいたから俺は木吉だけに寄り掛かることを止められたし、…何にしても、お前らバスケが好きすぎるんだよ」と最後は花宮の顔をまじまじと眺めて言う。
 好きじゃない、と首を振っても、「嘘吐け」と日向は簡単に花宮の言葉を振り切って、「好きでもないのに、八百長までして勝ちに行くかよ。次の年には、キセキの世代がまた勝ち上がって来るってわかってんのに、それでもバスケを続けられるかよ」と花宮に突きつけた。

花宮が何も言えずにいる間に、日向はもう一度、「すげえよお前ら。そういうところには、一生かかっても追いつけない気がしてる。だから、俺はお前を赦さねえし、次も絶対勝つけど、…お前のことは嫌いじゃねえよ」と言い残して、コーヒーを飲み干すと、伝票を手に取る。チーズケーキ、と腰を浮かせかけた花宮に、「ダァホ、奢りだよ。じゃあな」と手を振って日向はさっさと行ってしまった。いつの間にか、モンブランも綺麗になくなっていて、卓上には空の皿と花宮のチーズケーキだけが残されている。

レアとベイクドの中間のような舌触りのケーキには、ブルーベリーではなくラズベリーのソースがかかっていて、酸味が花宮の舌を小さく刺した。分からない程度に。

いっそ嫌われている方がマシだった、と思える立場でないことは、花宮自身が一番よくわかっていた。


( 花宮と日向 / 121007 )