※藤本と達磨の過去捏造話

 日 本 は 美 な る 国 な る 哉 


月もなく晴れ渡る夜だった。
いつも通り唐突に達磨の部屋を訪れた藤本が、土産らしき袋を置いただけで帰っていこうとするので、「どうしたん、一杯やっていかんの」と、達磨は文机に本を置いて藤本のコートの裾を掴む。夏も冬も変わらないロングコートは、明陀宗の袈裟と同じようなものなのだろうが、それにしても重苦しい。コートの裾を引いた藤本の顔がいかにも不機嫌そうなので、「なんや、また例の上司に説教でもされたんか」と、達磨がすこしばかり声を柔らかくすれば、「そんなんじゃねえけど」と返した藤本は、それでも達磨の後ろに腰を下ろす。

俯き加減の藤本がどうにも無口なので、寝巻の達磨は遠慮なく藤本の背に背を預けると、「ところで君の双子は元気なん」と問いかけた。案の定、「元気だよ、燐も雪も、だいぶ喋れるようになって…まあ俺がこうだからあんまり構ってやれてねえけど」と、藤本が双子に関しては饒舌なので、達磨はひっそり笑うと、「ずっと一緒におっても構いきれんもんやからなあ、竜は少し泣き虫や」と、こちらもひどく幸せそうに告げる。そか、と頷いた藤本の背から、僅かにこわばりが解けるので、「とくに家には虎子もおるし、あの年頃の子は母親にべったりで、私にはあんまり構ってくれへん」と、達磨はもうすぐ3歳になる息子の成長に目を細めた。

「はは、贅沢な悩みだな」と笑いかけた藤本が、途中でまた俯くので、「…君はまた怪我しとるんか」と達磨が声を書ければ、「いや怪我はしてねえんだけど、…してねえんだけど…」と、藤本の声にはまるで覇気がない。「怪我じゃないなら熱でもあるんか?広い食いでもして腹が痛いとかか?」と、達磨が本気で心配すれば、「してねえよ!!お前俺のことわりとバカにしてるよな?!」と、言いながら振り返った藤本は、途端に顔を顰めて口元を抑えた。支えにしていた藤本の背がなくなって、畳にずり落ちた達磨は、仰向けに藤本の顔を眺めて、「もしかして獅郎くん」と声をかける。

ぶんぶん、と首を振って何かを否定する藤本に、「もしかして歯が痛い…んか?」と半信半疑で問いかけた達磨は、藤本が動きを止めるのを見て「あ、ほんまに」と疑問を確信に変えた。「…痛いっていうか…その、この間歯半分吹っ飛ばされた時に神経も傷がついて」と、藤本が観念したように告白するので、「相変わらず無茶しとるなあ」と、達磨は眉根を下げる。「仕方ねえだろ、俺しかいねえんだから」と、藤本がかなしいことを言えば、「君しかおらんくても、君がせなならんことはないやろ」と、達磨は明快に答えた。正義の味方を気取りたいわけでもない藤本が、軽く視線をそらして首をかけば、「満足な治療もできんような生活はあかんと私は思うわ」と達磨は告げて、藤本の顔に手を伸ばす。

口を押えた藤本の左手を、ぽんぽん、と達磨の手が叩くので、藤本が黙って左手を下ろすと、「口開け、あーん、て」と達磨がまるでこどもにそうするように促すので、「い、いいよ、なんでもねえよ」と藤本は後ずさったのだが、「なんでもないことないやろ」と達磨はごく静かに返した。

「こどもを殺すと言って笑えた君が笑えんくなっとるんなら、どんなに小さい傷でもなんでもないことあらへんよ」

しばらく達磨を見降ろした後で、「お前、それいつまで言うんだ?」と藤本が問いかけるので、「君が忘れん限り、ずっとかな」と達磨が答えれば、「じゃあ一緒言われるんだな」と藤本は頷いて、かぱっと口を開く。藤本の右上の犬歯が半分欠けているのを見て取って、そっと達磨が親指を当てれば、藤本はわずかに身を震わせた。「こんなの、獅郎くんの双子にもすぐわかるやろ」と、容赦なく歯を撫でまわしながら達磨が言うと、「だから食事時は会わないようにしてる」と藤本は何でもないように答えて、「どうせ食ってるモンも違うしな」と笑おうとするので、達磨は黙ってかけた歯の隙間に短い爪を捻じ込む。「いっ…?!ッ!!」と短く声を上げた藤本が、達磨の手を振り払って蹲れば、達磨は逆に体を起こして、「そんなことを言うから君はあかんのや」と、藤本を窘めた。

しばらく体を丸めていた藤本は、「いや、…人の神経抉るやつもわりと相当ダメだと思うけどな…?!」と正論を述べたのだが、「痛くないとわからんのやろ?」と、達磨の答えは厳しい。それから、「いや、痛くてもわからんのかな…」と達磨が気の毒そうな声を出すので、「口で言えばわかるんだよ!」と、藤本は達磨から距離を取りつつ叫んだ。しっ、と人差し指を唇に当てて、「私は構わんが、君はお忍びなんやろ」と達磨が言えば、藤本は苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む。
やがて、ふ、と表情を崩して、「すきな酒も飲めんのに、君はなんでここに来たん」と達磨は問いかけた。にこにこと藤本を眺める達磨の視線に負けて、「歯が、痛かったからだよ」と藤本が答えれば、「君はほんまに難儀やな」と達磨は首をかしげて、藤本を手招く。「もう口は開きません」と、藤本があからさまに達磨を警戒しているので、「もう触らんから、おいで」と達磨は両手を広げた。

「おいで、って…」と、呟いた藤本は、達磨の真意を測り損ねているのだが、達磨が腕を下ろさないので、ゆっくりと畳を這って達磨の前までたどり着く。達磨が伸ばした指に藤本が思わず目を瞑れば、「そんなに怖がらなくてもええやろ」と、苦笑した達磨はくしゃり、と藤本の前髪を撫でた。その動きがあまりにもやさしいので、「俺はお前のこどもじゃねえよ」と藤本は堅い声で言ったのだが、「御仏の子ではあるよ」と、達磨の声は動じない。「職業柄、神の子なんですけど」と藤本が目を閉じたまま唇をとがらせても、「おんなじことやろ」と、ごく低く笑う達磨には敵わなかった。
ぱた、と藤本がそのまま達磨の胸に額を当てれば、達磨は藤本の首筋に手を移して、「血が流れとるな」とごく当たり前のことを口にするので、「お前の心音も聞こえるよ」と藤本は返す。おん、と頷いた達磨が、「君の心音も、ちゃんと聞かせたらなあかんよ?たくさんな」と言うので、「わかってるよ」と藤本も頷いた。

ゆるく笑った達磨が、「獅郎くんは、理解できても実行が伴わんから心配なんや」と告げれば、一瞬言葉を失った藤本が「皆そういう」と釈然としない声を返すので、「そうやろなあ」と、今度こそ達磨は藤本の頭を両手で撫でる。「君がなんでも、しなくてええやろ。初めて会った時の君はもっと自由に見えたわ」と達磨が噛んで含めるように告げると、「……こどもができたからな」と、それだけははっきりした口調で藤本は言った。「うん、そうやな」と受ける達磨も、その答えに依存があるわけではない。「でも、君しかおらんのなら、君がこんなところで凹んでる場合と違うやろ」と達磨がごく軽く言ってのけると、はあ、と息を吐いた藤本は、「…お前、善人だけど厳しいよな」と呟いて、ずるずると達磨の膝に俯せた。

ぽんぽん、と達磨が背中を叩いてやれば、「あしたから頑張る、歯も治して、他も治して、燐と雪と風呂入って飯食って絵本読んでやって、声を聴いて寝顔を見て、寝る」とくぐもった声で藤本が宣言するので、「おん、その意気や」と達磨はまたわしゃわしゃと藤本の髪をかき混ぜる。少し癖があって柔らかい藤本の髪を撫でるのは、思ったよりずっと気持ちがよかった。
もぞり、と体を丸めかけた藤本がそのまま寝ようとしているようなので、「獅郎くん、寝る前に痛め止め飲み」と達磨は藤本の後ろ髪を引いたのだが、「いらねえ」と切って捨てる藤本の返答は素っ気ない。「粉が飲めんのならオブラートも錠剤もあるし、それもダメなら竜のゼリーで包んでもええで?甘いの」と達磨が言い募れば、「何の心配だよ!!…じゃなくて、俺もう市販の痛み止めじゃ効かねえから」と、藤本は努めて冷静に答えた。

数秒経って、言葉の意味を理解した達磨は、今度こそ優しく藤本の髪を撫でて、「…やっぱり私は祓魔師にならんくてよかった」と告げる。「なんで」と問い返した藤本に、「だってそうしたら、365日24時間君の心配をせなならんやろ」と達磨は答えて、「君と、君の大事な何かがもっと守りやすいものなら良かったんにな」とごく透明な声で続けた。「俺は誰かに守られるような存在じゃねえよ」と、間髪入れずに藤本が達磨の言葉を否定するので、「だから言っとるんや」と達磨は目を伏せる。それから、軽く体を屈めて藤本の耳に口を寄せると、

「君の神や私の仏が君を救わんのなら、君は一体何に救われるんやろなあ」

と言った。

ずいぶん長い沈黙の後で、「お前の存在には、わりと」と呟いた藤本が、「…お前は恥ずかしいことをよく平気で言うよなあ!」と、耐えきれないように髪を掻き毟るので、「いやいや、『仲直り』言うた獅郎くんには敵わへんよ」と達磨は良い笑顔で告げる。それを聞いた藤本が、「俺それも一生いわれるのかよ…!」とますます体を縮めるので、ははは、と達磨は軽く声を上げて、「そら、友達やから仕方ないわ」と藤本の耳を撮んだ。僅かに赤くなった藤本の耳は、それでも冷たかった。

ちなみに、翌朝開いた藤本の土産が海外のチョコレートだったので、「君、どこに行ってきたん?」と達磨は藤本に気の毒そうな視線を送った。気圧の関係だった。



(藤本37才 / 弱っているときに会いに来てもいいね / 青の祓魔師 / 藤本と達磨 / 111104 )