※メフィストと藤本の過去捏造話


宵 月 、 そ し て 星 空 、 う つ く し か つ た 。




満月に近い月が昇りかける夜だった。金曜だと言うこともあり、校舎から寮へと続く道は人通りも途絶えて、戯れに傘を差したメフィストは鼻歌交じりに石畳を踏む。今はもう慣れてしまったが、虚無界には赤い月しか昇らないため、初めはずいぶん眩しかったものだ。飾りのような傘はその名残である。びっちりと着込んだスーツや手袋やトップハットなども、つまりは。まあただ少し熱くて痛いだけなんですけれども、と、人間で言うところの日焼けのような感触を思い出しつつ歩くメフィストに、明確な目的はない。その気になれば1時間足らずで片付くはずの書類に飽きた振りをして放り出して、ふらふらと当ても無く歩く無益な人間のような行為が、メフィストは好きだった。理事長と言う肩書きを考慮して、夜を選んでいるだけメフィストの厚意を汲んで欲しい、と言うのはメフィストの勝手な言い分で、きっと今頃書面を積み直しているであろう補佐官の心労には触れないで置く。メフィストは悪魔なので。月は昇るにつれてますます明るさを増し、メフィストの学園にやわらかく青い影を落とす。いい夜ですね、と誰にとも無く呟いたメフィストは、そこでふと誰かの話し声に気づいた。メフィストは悪魔で、美辞麗句や聖句は目の前で吐かれない限り耳を滑っていくため、これはろくでもない会話なのだろう。立ち止まったメフィストの視線の先には男子寮があり、声は中庭から聞こえるようである。メフィストはどうしようか少しばかり悩んだのだが、声の中に耳慣れたものが混じっていたために結局門を飛び越えて音も無く寮内に踏み込んだ。ちなみに、わりと無差別な結界が仕掛けてあるため、メフィストも踏み越えるとかなり痛い。痛いことばかりだな、と表情を変えることも無く中庭の隅までやってきたメフィストがそっと覗き込むと、予想通りというかなんというか高等部の生徒が集まって、ランプと月明かりの下で集会を開いていた。聖十字学園に門限や消灯時間は存在しないし、集会行為も禁じては居ないのだが、その中身にはそれなりに制約がある。つまるところ未成年なのに酒が入っているような集会はダメですよ、ということだった。メフィストは悪魔なので、誘惑に弱い人間の理念や特性をわりと正確に把握していて、何もかもを糾弾するつもりは無かったが、こんなに人目につく場所ですることもないだろう。寮内には集会室もあるのだし、屋上だってあるのだ。

大方誰の発案かは予想が付くメフィストは、薄く息を吐いてから「アインス、ツヴァイ、ドライ」といつもの呪文を唱えて、缶ビールやチューハイを缶ジュースに、乾き物や柿の種をチョコレートやクッキーに、咥えタバコを棒つきキャンディーに、肌色の多い雑誌やビデオを漫画週刊誌にすり返る。どよめいた集団の前に、「こんばんは」といつもどおりの良い笑顔でメフィストが現れると、奥の方で寝転がっていたおそらく首謀者がダッシュで逃げようとするので、メフィストは軽く傘を振って足元の芝を結んだ。点数をつけても良いくらいきれいに躓いて転んだ首謀者の前まで歩いて、「はい、逃げない藤本君。君にはお話があります」とメフィストがしゃがみこんだところで、寮の正門を開いてやってきた見回りの教師が「何をしているんですか、君達」とやや厳しい声を掛けた。どうやら寮内から苦情があがったらしい、と言うことはメフィストにも知れて、でも転がっているのがやけに健全な菓子類ばかりなので教師は少しばかり不可解な表情をしている。ついでにメフィストを見て更に目を丸くしている。そこで、無様に転がっていた藤本がくるりと反転して起き上がって、人好きのする笑顔で「月がきれいだったので宴会してました、先生も1ついかがですか」とチョコレートを差し出した。教師は毒気を抜かれたようにそれを受け取って、「もう夜なんだから、騒がしくしないようにね。それからあまり遅くならないように、理事長先生も」と釘を刺す。それで終わりにして去っていく教師をの後姿を、ひらひらと手を振って見送った藤本は、正門が閉じたところで、藤本は立ち上がって汚れた膝を払うと、「今日は解散な」と周囲に告げて、「じゃあ連行してください、ファウスト先生」とメフィストにも笑いかけた。藤本は優秀な祓魔師である上に優秀な生徒で、あらゆる方向に人望が厚いのだが、メフィストにはたまにどうしてコレがこんなに好かれるのだろう、と首を傾げたくなる瞬間がある。今もそうだった。「あの理事長、確かにこれ仕組んだの藤本だし、エロビデオ用意したのも藤本だけど、藤本が全部悪いわけじゃないんです」と祓魔塾にも通っている生徒が言いかけるのを、「それフォローになってねーけど、でもいいからお前ら」と制して、「行きましょう、先生」と藤本は軽くメフィストの背を押す。これではどちらが連れて行かれるのかわからないな、と思いつつ、見送る生徒に軽く手を振ってメフィストは歩きだした。

背の高い寮の正門をきちんと閉じて、石畳をしばらく進んだところで、「ありがとうございます」と不意に藤本が言うので、「何の話です?」とメフィストは軽く首を傾けて藤本を見下ろした。藤本は、咥えた棒つきキャンディーをからりとまわして、「酒とタバコ隠してくれて」と続ける。ああ、と頷いたメフィストは、藤本から視線を外して「君の場合停学になっても楽しんでいそうですからね」と笑った。むしろそれを望んでいた節がある、とは口に出さずにいると、「ファウスト先生」と藤本に声を掛けられて、「なんでしょう」と、メフィストは軽やかに答える。「先生は、俺がタバコ吸って酒飲んでいても怒らないんですか」と藤本が尋ねるので、「君がというか、誰がどうしていても怒りはしません」とメフィストは返した。興味が無いからだ。そもそも毒のようなものを好んで口にすること自体が馬鹿げているので、始まりが早かろうが遅かろうが大差はないと思っている。ただ、どうせ短い命なのなら好きに生きて死んだ方がいい、と言うのはいつか知り合った祓魔師の弁で、メフィストも概ね賛成だった。永遠にも近い命を持つ、あるいは命を持たないメフィストにはあまり関係のない話だが、とアルコールではほとんど酔えないメフィストが脳内麻薬の弄り方を考えていると、「…ちょっと寂しー」と藤本が呟いたので、メフィストは少し考えて、「怒りはしませんが、背が伸びなくなりますね」と、メフィストより20cmは下にある藤本の頭を見下ろしながら告げる。「もう平均身長は超えてるんでいいです」と顔を背けた藤本は、そもそも今からどう頑張ったって先生を追い越せるわけないですしー、わざとらしく唇を尖らせていた。だからというわけでもないが、もう少し考えて、「君に興味がないという意味ではありませんよ」とメフィストが言えば、藤本はなぜか目を丸くして、「先生にそんなことを言われる日が来るなんて」と割と失礼なことを口走っている。月はあくまで静かに藤本とメフィストの行く手を照らして、そこで思い出したように藤本は言った。

「ところで、どこに行くんですか?」
「私の部屋です」

そこに送っておきましたから、とメフィストが暗に中庭へ広げられていた肌色のもろもろを指し示せば、「…いやあの、いつもああいうの見てるわけじゃないんですよ?」と言いながら藤本は不自然な角度に目をそらす。「なるほど、たまには見ていると」と、メフィストが特に何の感慨もなく返すと、「ファウスト先生は見ないんですか、エロ本」と逆に切り込んでくるので、「見ませんねえ」とメフィストはあっさり返した。なんとなくほっとしたような顔をする藤本に、「見たければ直接女性にお願いします」とメフィストが続けると、藤本は何度か瞬きをして、少しずつ表情を変えて、何事か呟いてから、「ファウスト先生は巨乳好きですか」とひどく真面目な顔で尋ねる。「どちらでも」と言ったメフィストは、じろっと藤本を眺めてから「君もぺったんこですしね」と藤本の胸に一瞬手を当てた。それから、藤本が何かを言う前に「このまま歩いていると夜が明けてしまいそうですから、近くまで鍵を使いましょう」と、メフィストは手近な門を指す。「はい」と頷いた藤本は、随分神妙な顔をしていた。


祓魔塾経由で理事長室の隣にあるメフィストの自室までたどり着くと、酒の缶とつまみと本とビデオがきちんとサイドテーブルに積まれていて、メフィストは自身の魔術の腕を少しばかり誇らしく思う。それから、本とビデオの山を軽く崩して一瞥すると、「君の趣味は分かりやすくて良い」と、メフィストは感想を述べた。わああああ、と何事か叫んだ藤本は、「いやっ、だからそれ俺だけのってわけでもなくて、というか巨乳が嫌いな男なんていません!よね?」と最終的に疑問形になるのでメフィストは「どうでしょうね」と、ビデオを一本取りあげてしげしげと眺めた。そわそわとメフィストの動向を伺っている藤本に、「折角ですから、見ましょうか」とメフィストがにこやかに提案すれば、「先生と?!AVを?!俺が?!今から?!」と、やたら区切りを付けて藤本は後ずさる。「ならひとりで見ますから、もう帰っていいですよ」とメフィストが扉を指すと、「いやっ、それもちょっと、ていうか先生そういうの見ないって言ってましたよね?!」となぜか藤本が必死に止めるので、メフィストは少し考えて、「君のオカズを知っても笑ったりはしませんよ?」と言ったのだが、「そう言うことじゃないんです…」と藤本は深く肩を落とした。軽く首を傾げたメフィストは、「ではやはり一緒に見ましょう、藤本君」と告げて、さっと傘を一振りすると、ソファの上にたくさんのクッションとお菓子と紅茶を用意して、藤本をすとんと座らせる。まだ咥えたままだったキャンディの棒を藤本の口から引き抜いてゴミ箱に放り込んだメフィストは、藤本の隣に腰を降ろすとリモコンを握ってっぱちっとビデオとTVの電源を入れた。「たくさんありますからね、今夜は泊って行くと良いですよ」と、藤本に持たせたティーカップに紅茶を注ぎながらメフィストが上機嫌で言えば、「…先生わりと俺に嫌がらせするの好きですよね…」と、もう諦めたように藤本が呟くので、「そうですね」とメフィストは素直に頷いた。メフィストは悪魔なので、性格以上の本能レベルで人間の嫌がる姿が好きである。特にそれが気に入った人間のものならなおさらだった。藤本は、メフィストが何をしてもあまり嫌がったりはしないので、肌色のビデオには感謝をするべきところだろう。大画面のブラウン管に映し出されたぐねぐねと絡まる男女を眺めながら、藤本がクッションを抱えてだんだん縮こまって行く姿は、メフィストにとってなかなか興味深かった。ちなみに、内容は

一本目を見終わったところで、藤本が「先生、俺トイレに行きたいです」と根を上げたので、わりと楽しんだメフィストが軽く頷けば、藤本はほとんど走るようにメフィストの部屋を出て行って、人間とは不便な生き物だ、とメフィストは顎髭を捻る。感情と生理現象とが連動しているところに全ての元凶があるような気がして、借り物の掌をじっと眺めたメフィストだったが、しかし今さらメフィストがこの身体を解放したところで持ち主はとうに死んでいるのだ。なかなか面白い人間だったので、魂をもらった後に肉体ももらったのである。腐らせるのはなんとなく忍び無かったのだった。とは言えメフィストは悪魔なので、もっと良い肉体が見つかれば当然そちらに乗り移るつもりなのだが。500年見つからなかった新しい肉体が早々見つかるとは思えないけれども、とほとんど減っていない藤本のティーカップの中身を飲んでしまったメフィストは、アインス、ツヴァイ、ドライ、と唱えて手早くソファをベッドに作り変える。いつだったか、藤本と一緒にベッドで寝たら思い切りひどく蹴飛ばされたので。メフィストが適当な寝巻きと、歯ブラシとタオルと、その他寝る前に必要そうなものをあれこれ準備していると、よろよろと返ってきた藤本の顔が少しばかり赤いので、「おかえりなさい」とメフィストはにっこりほほ笑んだ。「あ、はい」と頷いた藤本が、「…もういいんですか?」と尋ねるので、「見たければ見ましょうか?」とメフィストがビデオをさっと掲げれば、「もういいですごめんなさい今度からは人目につかないところでやります」と藤本は90度に腰を曲げて謝罪する。いいでしょう、と頷いたメフィストは、軽く羽根枕を叩いて膨らませると、「どうぞ、君のベッドですよ」と元・ソファのベッドを示した。え、と虚を突かれたような顔をした藤本が、「…帰っても良いですか?」と戸口を伺うので、メフィストは壁に掛けられた柱時計を指して、「もうずいぶん遅いですからダメです」と首を振る。それは別に嫌がらせでも何でもなく、午前0時を過ぎると結界の効果が一時的に薄れて、理事長室から祓魔塾までの道が低級悪魔の巣窟となるからなのだが、「俺、退治できますから」と藤本がねばるので、ふむ、とメフィストはまた顎髭に手を当てた。それから、「そんなにひとりで眠るのが嫌なんですか」とメフィストが尋ねれば、藤本は即座に「どうしてそう言う答えになったんですか」と問い返したのだが、メフィストは構わずに傘を振ってベッドをソファに戻す。「まあ、痛いだけですしね」と蹴られる覚悟をしたメフィストが呟けば、「何の話ですか?!」と藤本は赤くなったり青くなったりして声を上げるので、「別にそういう話じゃありませんよ」と涼しい顔でメフィストは答えた。案外素直に歯を磨いて着替えた藤本が、ソファの上でクッションを抱えようとするので、メフィストはまた少し考えて、ひょいと藤本を担ぎあげて歩いて10歩のメフィストのベッドに落とすと、藤本の頭の下に枕を当てがって薄掛けを首まで引き上げる。それなりに暴れた藤本の力などもろともせずに。ぎりぎりとしばらく攻防は続いたのだが、メフィストが黙って藤本を見下ろしていると、やがてふっと藤本から力が抜けて、「俺寝姿が悪いんです」と困ったような声で言った。「ええ、知っています」と返したメフィストは、藤本の耳からするりと眼鏡を外して畳んでサイドテーブルに乗せる。特に眠くもないメフィストが藤本の隣に横たわると、「…痛いだけってそう言うことですか」となぜか薄掛けを目元まで引き上げた藤本がくぐもった声で呟くので、「そうですよ」とメフィストは簡潔に答えた。傘を振るまでもなく指を鳴らして電気を消したメフィストが天蓋を眺めていると、やがて薄く溜息を吐いた藤本が「おやすみなさい、メフィスト先生」と声をかけるので、「おやすみなさい、藤本君。良い夢を」とメフィストは言って、ふと思い立って手を伸ばすと、藤本の腹をあやすように軽く叩く。ひそやかに笑う気配がして、「先生俺のことすげー子供だと思ってますよねえ」と藤本がようやくいつも通りの声を上げたので、「そうですね、私は子供が好きですから」とメフィストが答えれば、「それは光栄です」と藤本は澄ました声で言った。 それから藤本の寝息が聞こえるまで、メフィストはそっと藤本に触れていた。



( メフィストは藤本神父の軽く嫌がる姿がすきだといいですね / 青の祓魔師 / メフィストと藤本 / 110806 )