[引き金に掛けた指がひとりでに / おおきく振りかぶって]



引 き 金 に 掛 け た 指 が ひ と り で に



今日はバイトだから遅くなる、と浜田は言った。
うん、と頷いて、でも阿部はぐちゃぐちゃの布団から起き上がろうとはしなかった。別に困ったような顔もせずに、出て行くときはポストな、と言って鍵を放って行ってしまった。「いってらっしゃい」という言葉は届いたのかどうか。軋みながら閉じるドアの音にはもう随分慣れた。そうしてぼふり、とぺしゃんこになった浜田の枕に顔を埋める。
浜田は誰とでも寝る男だ。男とも女とも息をするように寝てしまう。声をかけられればどこへでもほいほいとついていくし、場所がないといわれたら誰でもここへ連れてくる。お世辞にも厚いとはいえないアパートから苦情が出ないのは、浜田の部屋が空き部屋を挟んだ端の部屋だからだろう。一階の住人とは浜田を介してすでに兄弟だ。ひどい話だ、と阿部は思う。ひどいのはどっちだと思う。誰とでも寝てしまう浜田か、誰とでも寝ることを知っていてなお浜田と寝てしまった自分の方か。それでも、もう誰とも寝るなとは、言えない。突き放されるのが怖いのだ。その他大勢でしかない自分を自覚する瞬間を思うだけで足が竦む。たった一言で崩れる関係が怖くて今日も、阿部は浜田の匂いが残る布団にもぐりこんで息を潜めた。
阿部にできることはせめて、浜田が少しでも多くの人間と接触しないように「明日もやろうぜ」といい続けることだ。断ることを知らない浜田はへらりと笑って「わかった」というけれど、その口約束が果たされることはあまりにも少なくて泣けてしまう。浜田がその日寝る人間は、浜田を最後に誘った人間なのだ。早く大人になりたいと阿部は思う。大人になって、浜田を養える程度に金を稼いで、そして浜田と一緒に暮らすのだ。浜田が阿部以外の誰も見ずに生きていけるような暮らしを望んでいる。阿部とだけしていてくれればいいのだ。それ以外の何も、浜田には望んでいないというのに。
夢で終わらせる気のない夢を見ながら貴重な休日をほとんど睡眠に費やして、次に目を開いたときは半分切れかけた蛍光灯が阿部と浜田と知らない誰かを照らしていて泣きたくなった。「起こしてゴメンな」と浜田は言う。寝てていいから。そうして浜田と知らない誰かは阿部の横でゆっくりと半分だけ裸になって折り重なった。最初は追い出されていたその場面をせめて見ていたくて必死に興味のない振りをしていた頃を思い出す。複数だって珍しくないといった浜田にとって視姦なんてたいした問題じゃなかったんだろう、そのうち何もいわなくなった。
ひどい話だ、とほとんど機械的に阿部は思う。これでは浜田はただの淫乱だ。断れないだけだというのに、いつの間にか浜田が身体を重ねた人間は膨大な数になっている。誰も心配しないのか?性感染症は、浜田の身体は、誰かの外聞は。自分の全てを棚に挙げて、追い上げられていく誰かの声を聞くともなしに聞いていた。やがてゆるい蛍光灯の下で行為を終えた誰かと浜田はかわるがわるシャワーを浴びて、連れ立って部屋を出て行く。しん、とした空気の中で寝返りを打った。
そういえば、何も拒まない浜田が一度だけ顔を歪めたことがある。阿部に渡してしまった鍵の、スペアキーを作る500円すら持たない浜田に「何で金取らねーの」と聞いたときだ。足を開かせるときはともかく、足を開かれるときは少しくらい払ってもらってもいいんじゃねえの。ていうか俺払おうか。すねかじりの分際ではいた言葉はそれでも真剣だった。この身体を、誰もが無償でどうにかしていると思うと堪らなかったのだ。浜田は一瞬ぽかんと口を開いて、なんどかぱくぱく口を開いて、へらりと笑って、そして結局何も言わなかった。けれど阿部は見てしまったのだ、その日、阿部が払った五千円札で浜田がホテルに入るところを。そんなことに使うために払ったんじゃないと喚いた阿部に浜田は「他に使い道がない」といった。日々の暮らしに喘いでいる人間が何を言うんだと言ってやりたかったが、そんな風にもらった金はそんなことにしか使えないといわれた気がしてそれきり阿部も金を払っていない。阿部が浜田の部屋に居座るようになったのはそれからだ。
軋むドアが開いて、誰かといない浜田が帰ってくる。手早く着替えてするりと布団に這いこむ浜田を見るともなしに見上げて、ぼろぼろの金髪をゆるく梳いた。気持ちよさそうな顔をしているが今夜はもうできないだろう。おやすみ、と呟くと、ん、と既に半分眠りかけた浜田の声がする。明日は家に帰らなくてはいけない。その間に、浜田は何人の知らない誰かと出会うのだろうか。早く大人になって、早く就職して、早く浜田をこんな生活から開放するのだと、それだけを思って阿部も目を閉じた。
夢現に、そういえばすきだとも告げていなかったとぼんやり思った。



(ひどい話)

| 阿部×浜田 | 09192008 |