[あらゆるものの為の鍵ではない / おおきく振りかぶって]



あ ら ゆ る も の の 為 の 鍵 で は な い



近隣の高校教師を集めての会議、ということで半日授業だった。どこか行くか?と聞いたら「風呂」と帰ってきたので思わず「風呂ォ?」と聞き返してしまった。遊びに行く、のが風呂。あまり聞かないような気がする。けれども浜田は至極真顔で「スーパー銭湯に行きたい」と言った。なんでも平日半額券をもらって、その期日が今月中なのだとか。「一枚で4人まで。行こうぜ、梅も誘ってさ」と続けるので、あいつ今日は用事あるらしいぞ、と言うと少しばかりガッカリした顔でじゃあ二人か、ちょっと惜しいかな、と呟く。俺は決定なのか。「だってヒマだろ?」暇だけどさ。
そしてスーパー銭湯へ。何の記念日でもないただの平日の昼間、風呂屋はガラガラに空いていて、当然のように高校生などいやしない。うわっ場違い、と思った俺を置いて、浜田は「大人二枚」とチケットを買っている。売り場に居る女の人はちょっとかわいくて、浜田はヘラヘラと嬉しそうだった。ろくでもない。あとで精算な、とぺいっと寄越された半券を受け取る。よく来てるのか?と尋ねると、たまに家の風呂で我慢できなくなると、と浜田は言った。ふーん。へぇー。素足で通路を渡る間に、今日の変わり湯は何かな草津の湯がいいな、とか浮かれている浜田の後姿を見ている。風呂好きなのか?うん好き。言ったことなかったっけ。聞いてねえよ。そっか。結構楽しいよ、と言いながら浜田は「男」と書かれた暖簾をくぐった。 これ使えよ、と渡された手拭を見て「持ち歩いてるのか?!」と聞いた俺を浜田はかわいそうなものを見るような目で見つめて、いやそこに置いてあんじゃん、と壁際を指差す。籠の中には手拭とバスタオルが積まれている。すげえよなここ無料なんだよタオルなかなかないぜこんなとこ。と、言われても。他を知らねぇんだけど。さくさく服を脱ぐ浜田に習って俺もロッカーに荷物を詰め込んだ。
なんとなく連れてこられた割に、中へ入ってみるとなかなか楽しかった。当然のように4つも5つも風呂があって、サウナがあって、露天も充実している。ちなみに変わり湯は草津ではなくワイン風呂だった。やった俺コレすき、と諸手を挙げた浜田に、お前なんでもいいんじゃねえの、と言うと、うん実は別に何でもいいと浜田は笑った。うん。でも、確かにワイン風呂は楽しかった。いいにおいだろ、となぜか自慢げな浜田に「まあなあ」と告げて沈み込む。ふう、と息を吐いて、ガラス戸の向こうに目を向けると空には真昼の青空が広がっている。や、なんかこれ。すげえ気持ちいいかもな。俺や浜田なんかは自宅のバスタブで思い切り足を伸ばすことは出来なくて、だからこの広い風呂桶がとても魅力的なのは当然の話で。ああやべえこれは通ってしまうかもしれない。と顎まで湯に浸かりながら思った。
のんびりした俺と対照的に、浜田は忙しなかった。どの風呂にも1分くらい浸かってみて、よし次!とざばりと湯を揺らしている。迷惑だ。人が少ないのでそのことについては何も言わなかったが、お前ここ初めてじゃないんだろ?と薄く上気した浜田の背中に話しかける。そうだけどー、やっぱ全制覇は基本だろ!と打たせ湯に入りながら浜田は当然のように言った。それはどこ基準なんだ。そうして内風呂に入り終わった浜田は、くるりと振り返って「次は一緒に露天な」と笑う。いいけどさ。楽しそうだしな。
…とは思ったんだけれどな。コレは、なんか違うんじゃねえか。おい浜田。何が?とごくごく普通の顔で言う浜田は、今俺の脚の上にいる。今俺たちは壷湯の中だ。一人用の。ここだけ天然温泉引いてるんだぜ!とやっぱり自慢げな浜田に促されて入ったのはいい。ただのお湯と温泉の区別がつくような人間ではないのだが、なんとなく他より気持ちがいい気がするのは俺に流れている血のせいだろう。日本人万歳。どうよ?と満面の笑みで聞く浜田にいいなコレ、と返したところまではよかったんだ。だろ?じゃあ俺も入るな、と言った浜田が乗り越えてくるまでは。
何が?じゃねぇだろ、重いんだよ何考えてんだ。ええ、だってなんか入りたかったから?なんでそこで疑問系だよ。だって梶山が怒ってるみてーだから。怒ってるっていうか、どけって言ってんだよ俺は。ええ〜?せっかく入ったのに。アホか?!どう考えても絵面的におかしいだろ?!そうだよ、ちょっと考えてみて欲しい。標準よりちょっと背の高い俺と、明らかにでかい浜田と、男二人で狭い風呂の仲で向かい合っているのだ。考えただけで体温が3度くらい下がりそうな絵だろ?そう思うだろ?!なんでこいつは平然とした顔でこういうことができるんだろうか。ほわほわした顔で俺の膝に座っている浜田の顔を見ながら、こいつ本気で何も考えてないよなすげぇな、と逆に感心してしまうくらいだ。
「浜田、どけって」
「もうちょっと、いいだろ。誰も見てねーから」
こんなん珍しいんだぜ、露天に誰もいないなんて。貸しきり気分でさ!とさらに近づいてくる浜田の肩を押しやりながら、そういう問題じゃねえ、と思う。お前、そこは俺があえて気にしないようにしてきたというのに。裸で二人きりで、しかもこいつはこんなに近いわけだ。おあつらえ向きに膝の上にいるし、そろそろ腕が絡みついてきそうな雰囲気でもある。うん。いやいやいやいや。何も考えてない奴に振り回されて溜まるものか。溜まってはいるけど。何考えてんだ俺。公衆衛生公衆衛生。
「…とりあえず頼むからどいてくれ。足痺れてきたから」
ギリギリのラインでそう告げると、不満げな顔でそれでも浜田は離れていく。ああよし、真剣なのは伝わったみたいだ。大体お前は広い風呂を求めてここに来てるんだろ。 なんで一緒に入る必要が。後ろめたさを隠すように壷湯の縁に肘をつきながら言うと、浜田は呆れたような顔で溜息を吐いた。なんだよ。 べぇっつにぃ〜、と妙なアクセントで浜田は隣の壷湯に乗り込んでいる。ざぶん、と湯を跳ね返して、そのまま縁に足をかけて寝転がった。そして横目で俺を見て、「梶山はカイショナシだと思っただけ」と。あとは目を瞑って鼻歌なんか歌っている。このやろう。確信犯か。抜けるほどの青空に、浜田の声と湯気が立ち上っている。けれども俺にはこの風呂桶を乗り越えて浜田に乗り上げるほどの根性はないのだった。



(家に帰ったら覚えてろ、ってコレはすでに負け犬か)

| 梶山×浜田 | 04262008 |