[何もいらないと、言える自分が欲しいのだ、と / おおきく振りかぶって]



何 も い ら な い と 、 言 え る 自 分 が 欲 し い の だ 、 と



がつん、と鈍い衝撃が走って、それから頬に焼けるような痛みが生まれた。一度、二度、三度。三度目で骨と歯が皮膚を食い破って、生ぬるい血が唇の端を伝って流れる。古い鉄のようなその味を感じながら、俺はただ榛名を見上げていた。単純に驚いた。榛名が俺を殴るのは何も珍しいことではないが、今日は驚きの次元が違う。左手だ。榛名が、左手で俺を殴った。 俺が呆けて固まっていると、榛名は小さく舌打ちをして俺を殴るのを止め、その代わり俺の、服のボタンを外し始めた。一つ、二つ、三つ目で我に帰る。何してんだよアンタ最低だ、ともがくと、うるせえととどめのようにもう一発。頬骨に。痛い。
じっと痛みに耐えている間に、呆けた気分は治まって次は怒りがわいてきた。何のつもりだ。何のつもりなんだ、こいつは。 普段アレだけ肩を気にしている人間がこんなときにだけ左手を使えるなんてどういう理屈なんだろう。小さく顔を歪めると、不貞腐れたように「お前が逆らうから悪いんだろ」と榛名は俺の顔を撫でる。やっぱり左手だった。俺の顔より自分の手を気にしろよ、思いっきり殴ってるんじゃねえよ、筋肉は、骨は、傷ついてないのかよ。こいつみたいに野球しか出来ない人間から、野球以外を望んだことなんてないのに、こいつはそれすら簡単に捨てられるんだろうか。ふざけんな、と小さく吐き捨てる。俺はもうお前となんて何もしたくないんだ。野球が出来ないなら、他の何だって、お前となんて。怒りで気分が悪くなって、榛名の顔から目を背けた。これからもっとひどいことをされる。わかっているのに暴れることも出来ないのは、傷つけることを恐れているからだ。こいつが唯一持っているものを、失くしてしまうことが怖かった。俺には何も与えてくれないこいつのことなんて本当はもう何も考えたくないのに。 それでもこいつの肩を気にしてしまう俺が惨めで少しだけ泣いたら、何を勘違いしたのか「悪かったよ…」とやはり不貞腐れたように榛名が言った。乱暴に目元を拭われて、引き攣れた皮膚が痛む。 相変わらず何かを勘違いしている榛名は、そのまま俺の服を剥いでいく。 俺が何を怒っているかなんて、知ろうともせずに。 こいつには何も伝わらない。
やっぱりこいつは最低の、投手だ。



(俺との野球は、俺の身体よりどうでもいいものだったか?)

| 榛名×阿部 | 04132008 |