[ 幻影カレイドスコープ ]
5月の連休の真ん中、練習帰り。朝瑞垣を気にしながら家を出て、午前中は雨でぐちゃぐちゃになったグランドの整備を半分位して、残りはどうしようもないから延々とジョギングをしていた。午後は午後でキャッチとストレッチ、道具の整備。また雨が降ればいいとちらりと思ったが、そんな気配はまるでない青空から夕暮れへとゆっくりと変わる色の下にいた。 で、帰宅。もしかしたら瑞垣がまだいるかもしれないと思って二人分の夕食を買ってきた。といってもホカ弁なんだけど。いや、でも最近の弁当は侮れない。自分で作るより絶対うまいのは確かであるし、と誰にしているのかもわからない言い訳を考えながら鍵を開ける。まわした鍵に反して開かないドア。そういえば鍵をかけ忘れた…というか瑞垣がいたからかけなかったんだよな、と思いだして逆方向に鍵を回す。今度は抵抗なく開いたドアの向こうに、瑞垣の靴がなかった。 「…帰ったのか」 そうか、帰ったのか。なんとなく拍子抜けして溜息をついた。朝の雰囲気ではあのまま居座るような気がしたのだが。よく考えてみれば、早朝から夕方まで一人で他人の家にいる可能性を考えるほうがおかしかったかもしれない。弁当が余るな、まあいいか明日食べれば。と靴を脱ぎながら考えた。 とりあえず汗だくの体が気持ち悪かったので、ユニフォームを脱いでシャワーを浴びる。少し考えたけれど、誰もいないのでバスタオル一枚でバスルームを出た。そのまま階段を上ってすぐの自分の部屋。何も考えずにドアをあけてすぐのクローゼットへ。下着まで身に着けたところで後ろから声が聞こえた。 「んー…?お帰り?」 「ただいま」 …ん? 反射的に返事を返してから目を見開いた。何だ、今のは。幻聴?そんな馬鹿な。じゃあ今のは。戸惑いながら振り返ると、俺のベッドの上にうつ伏せで横たわる瑞垣がいた。 「うおぉわっ?!!」 「…なんやその反応」 もそもそと布団から這い出た瑞垣は、ちょっと傷つくんですけどー?といいながら大口を開けてあくびをする。 すまんと返してから、いやいやそうじゃなくてと首を振った。なんでいるんだ。いやいたっていいんだけれど、あれよくはないのか?待て待て、だから帰ったんじゃなかったのか?そうだ、なんでまだいるんだ。 「だってお前、帰ったんじゃ」 「ええ?なんで」 「だって靴」 「靴?ああ…干しとけ言うたやん。お前」 「それは言ったけどよ…」 「俺だって帰ろうと思いましたよ。でも鍵もないし、服も乾いてないし、もちろん靴もだし」 「ああ…」 確かに、今朝は慌てて飛び出していったので鍵の置き場所も返し場所も指定していかなかったなと思い返す。その辺を引っ掻き回せば簡単に見つかる場所においてあるのだが、瑞垣はそういうことをするような人間ではない。 そうか、そうか。まだいたのか。なぜか緩みそうになった頬を隠すためにTシャツをかぶった。 「ところで今何時なんや?」 「は?」 「いや…お前が出てって、飯食って、ちょっと本棚覗いてすぐ寝て、起きたらお前がいたから」 「はあ?!何時間寝てたんだお前?!」 「だからそれを聞いとるんやろ」 あーだこーだと言い合って、結局午前9時から午後5時くらいまで寝ていたんじゃないかというところに落ち着いた。8時間。夜中眠れなくなるんじゃないかと心配になる量だが、瑞垣は夜中眠れなかったようなのでたぶん大丈夫だろう。できれば今日は夢を見ずに寝るといい。昨日は魘されていたから。 「…っつか、悪かったな」 「は?何が?」 「お前の休み、一日つぶした」 「別にーー?お前の家にいてゴロゴロしてるか自分の家にいてゴロゴロしてるか、ただそれだけの違いだから」 「そう…なのか?」 「ん、家にいたらゴロゴロしながら本読んでる。むしろちゃんと寝たの久しぶりだから俺のほうが感謝してる…っていうか、そうだよ泊めてもらったんだもんな」 「いや、それは別に」 ありがとうございました。と深々と頭を下げた瑞垣の姿に少し戸惑った。 そんなのは別にたいしたことじゃないし、なんなら今日も泊まっていけばいいし。 ああそうだよ、泊っていけばいい。 「それは悪いだろ…ご両親もいないんだし、勝手に二日も居座ったりしたら」 「いや、…いや。母さんたちは9連休だって嬉々として出かけてったからな。俺が瑞垣を泊めて怒られる筋じゃない」 「そういう問題なのか…?」 「そういう問題なんだよ。」 きっぱりと言い切ると、瑞垣はなんだか困ったような顔をした。そうか、俺がよくても瑞垣のほうはまずいか?一応連絡はさせたけれど、中学校時代に野球の試合をした相手、なんてあるかなしかの繋がりの人間のところにいることを不可解に思うかもしれない。 「瑞垣のほうが二日もとまっていく理由がない、か?」 「え…、あ、着替えもないしな、それはそうなんやけど」 「そんなんは貸すけど」 「え?う、うーん?」 なんだろう、またおかしな空気が漂った。なんだこのぐだぐだな感じ。困ったような顔をしていた瑞垣は今度は何か得体の知れないようなものを見る目で俺を見ている。今までの会話を反芻。…俺なんか変なこと言ってるな。俺が言われたら絶対引くな、これ。 「あ、別に泊っていって欲しいわけじゃ、や、だからって泊ってほしくわけでもなくて、ええと…だからええと」 「な、何テンパってるんですか」 「何言ってるか良くわからなくなってきたから!だから、瑞垣が迷惑じゃなければ泊ってけばいいんだよ!」 ああこれって逆切れだよなあとはりあげた声のこちら側でぼんやりと思った。 瑞垣はまた困ったようなそうでもないような顔に戻って俺を見る。嫌なら嫌といえばいいし、俺は気にしないし、たぶん瑞垣も気にしないんだろうと思った。返事は? 「ええと…」 「うん」 「じゃあ、お言葉に、甘えて、今日もお世話になります」 「はい」 「よろしくお願いします」 「こちらこそどうぞよろしく」 言葉につられて深々と頭を下げあう。片方はベッドの上で、もう片方はほぼ下着姿で。いっそすがすがしいくらいシュールな光景なのでもうあえて考えないことにした。俺は何も見てないし何もしてない。これはただ普通の挨拶なんだ。 しばらく間の抜けた沈黙に襲われた後、買ってきたホカ弁のことを思い出した。 「ところで瑞垣」 「ん?」 「カツ丼とデミグラスハンバーグ弁当とどっちがいい?」 「えーと…カツ丼」 「わかった」 「何、買いに行くの?ついてく?」 「や、もう買ってきた」 「へ?二人分?俺いるかわからないのに?」 「いいんだよ、いなかったら俺が二人分食うつもりだったんだから」 「へええ?」 「なんだよその笑いは」 「べーつにー?一希くんはいいひとだなあっておもっただけですよ〜」 「その言い方が腹立つんだけど」 にやにや。確実にそう形容するのがふさわしい顔で笑う。さっきまでのアンニュイ(って言ってる俺が笑いそうだが)な雰囲気はどうしたといいたいが、こっちのほうが瑞垣らしいのでなんだか俺は嬉しかった。 というわけで、今度こそちゃんと服を着て、寝起きの瑞垣を引っ張るようにして階下へ。冷めてしまっていた弁当を電子レンジに放り込んで1分。その、1分の間。 「…そういえばお前なんで俺の布団で寝てたんだ?」 足元に布団敷いてあるのに。自分で言うのもなんだけれど、もう何週間か干していない布団でシーツも敷かないようなベッドよりは、母親が気を使っている客用布団のほうがずっと寝心地はいいはずなのに。 「んーー?んー…内緒?」 「はあ?」 「たぶんお前怒るから、言わない。とりあえず床で寝るのが嫌だったから、ってことで」 怒るだろうから、といいながら愉悦そうに笑う。 「なんだよ、ゴキブリでも出たのか?」 「ええ?なんで」 「いや…床で寝たくない理由っていうのがそれしか思いつかなかった」 「出るの、奴」 「俺は見たことないけど、母さんは…ていうか奴って」 「うわーーー、ちょっと待てよほんとに床で寝るの嫌になってきたじゃん」 「や、だから俺の部屋で見たことはないって」 「そんなんお前が見ないだけで夜中そっと横切ってる可能性はなきにしもあらずだろ!えー、えー、…帰ろうかな俺」 「はあ?!ふざけんなよ、ゴキブリ程度で」 「程度って、お前アレ素手でつぶせんのか?!」 「なんで素手なんだよ?」 「もしも夜中に俺の上を横切られたら素手で触るのと同じくらいのダメージってことだよ!」 「だから出ねえっていってんだろ!」 「お前が変なこと口に出すからだろーー?!!」 「んだよ、そんなに言うならお前もベッドで寝ればいいだろ?!」 「言いやがったなこの野郎、狭くても絶対に出て行ってやらないからな?!」 「上等だ受けて立つ!」 低レベルな罵り合いが一応の終結を迎えたところで、電子レンジが鳴った。一瞬の静寂の後。同時に腹がなって、思わず間の抜けた顔を見合わせた。 「…とりあえず飯」 「…だな」 がつがつと弁当を平らげて、ついでにお菓子の袋を開けて、さらにその辺にあった缶詰まで開けてようやく人心地。俺は野球してるからいいけど、瑞垣はそんなに食って太らないのかな、瑞垣に限ってそんなことはないのかな。あ、別に太ったっていいのか。 というか冷静になって考えるとさっきの台詞はまずかったんじゃないかな瑞垣がここに来た理由はそういえば門脇に「やられちゃった」から。受けて立つって使わねえよなああいうとき。でもいまさら俺が床に寝る、って言うのも意識しているみたいで…って何を? さらにどつぼにはまるだけな気がしたので、それ以上考えるのはやめておいた。 なんだかどっと疲れた気がした俺の横で、瑞垣がひとつ欠伸をこぼした。 (海音寺と瑞垣。意識したこともない / meisai_logic) ▲ |