[ 難解プラグマティズム ]
瑞垣とは、あの試合の後も高校に入学してからもメールのやり取りだけは細々と続けていた。 部活が辛いだとか高校までが遠いとか、新しく出来た友達とか彼女とか、そういったどうでもいいような話を振ると面倒くさそうに短く、でも必ず返事が返ってくる。そのことが嬉しくて三日とあけずにメールを送っていたら、たまに瑞垣からもどうでもいい話が送られてくるようになった。どうでもいい、でもだからこそ俺が知りたくてしょうがない瑞垣の日常。絵文字も何もないそっけない文面でも全部保存してあったりして、我ながら気持ち悪いなあと思う。でもしょうがないだろう、瑞垣からの言葉なんだ。無駄に多い携帯の容量に感謝してみたり。 そんなこんなで冬が過ぎて春が来て、さらに梅雨に入った頃、瑞垣から電話が来た。 久しぶりに聞く声は少しも変わっていなくて(まあ三ヶ月しかたってないしな)やたらと懐かしくなった。用件はやっぱりどうでもいい話で、ろくに何もいえないまま都合が合うようならいつか遊ぼうとかそんなこんなで電話は切れた。遊ぼう。遊ぼうって。遊んでくれるの。そんなこと言うと、社交辞令でも何でもそれにすがるよ?というわけでそれから必死に必死さを抑えて(ややこしいな)瑞垣が暇な日を聞きだした。 俺の部活がなくて瑞垣が暇な日。でもテスト前。いろいろ悩んだ末に勉強を教えてもらえばいいんじゃないかと結論を出す。遊びと勉強じゃ意味が180度違うけれど、恐る恐る切り出すと瑞垣はあっさり承知してくれた。よっしゃあもらった!と一人で浮かれていた、そんな7月の半ば。 そうして今日、瑞垣の家に押しかけてきている。メル友から一気にお宅訪問。久しぶりに会った瑞垣は、ピアスの穴が幾つか開いている他は以前と変わりなかった。髪を染めるとかそういう話をしていたので聞いてみると、夏休みにしようと思っとる、という答え。それが自然だろうなとぼんやりと思った。 たとえ名目であっても勉強しに来た事に変わりはないので瑞垣の部屋で教科書を開く。まずはテスト範囲からの確認から。教科書は同じでも進み具合が全く違う。俺の方ではまだ障り程度の単元が瑞垣の学校ではすでに終わっていたり、流されていたり。一通り確認したところで息を吐いた。 「さすが進学校やな」 「まあな、授業の進みは結構早いな。皆塾とか行っとるからどんなに早くても上滑りするばっかなんやけど」 「お前は?」 「俺?俺は何もしとらんよ。知ってるだろ」 「でも成績は悪くないんじゃろ」 「それはまあ、何もしなくて成績悪かったらかっこ悪いし」 「そんなもんか?」 「そんなもんですよ」 そういってふふんと笑う。相変わらず白鳥みたいな奴だと思った。努力していることをひけらかさないのはもちろん、努力していることを隠すような真似さえして生きている。弱みどころか強ささえ見せないようなその姿。無言で見つめていたら何よ?と不審な顔で見つめかえされた。そりゃそうだ。 「あー悪い、なんかお前見たらちょっと焦った、かも」 「何を?」 「部活ばっかりしてる場合じゃないかなあって」 「えー?ていうかお前こそがんばっとるんやないの、毎日野球やってたまの休みにはこんなふうに勉強して、あと彼女もおるんやろ」 「野球…を、言い訳にしたくなかったからな。したい事をする以上はしたくないこともちゃんとできんと悔しいじゃろ」 「あはは、さすが元生徒会長は言うことが違うな」 「何も変わらねえよ」 「言ってることは同じでも悔しいとかっこ悪いじゃ人間性に差が出るっつうことや。俺もちょっとは真面目になろうかねー」 「ならなくていい」 「ん?」 「お前はそのままでいいよ」 「んーー、まあ言われなくても真面目云々は冗談やけど」 首をかしげた瑞垣に、自分でも何を言っているんだろうと思う。 「なんかお前、大丈夫?」 「何が」 「俺と喋るのしんどいみたいな顔してるから」 しんどい。確かにそれはそうかもしれない。俺は瑞垣のようにはなれないけれど瑞垣のようになりたいんだろうか。なりたい、姿である瑞垣にはずっと変わらすにいて欲しい。なんて。駄目だこれじゃあ、瑞垣が門脇に抱いている(らしい)思いと同じだ。おれはそんな風にはなりたくない。なりたくないんだ。 「んー?おーーい、海音寺ー?聞いてるかーー?」 わざとらしく間延びした声を出して、顔の前でひらひらと手を振る。 聞こえとるよ、大丈夫。そういって不自然ではない動作でその手を掴んで、普通に筋張って適度に硬くて冷たいなあなどと思いながら下ろした。そうだ、俺はこうやって触ることも当たり前には出来ない。瑞垣とは違う。それで十分じゃないか。 「それで、お前何がわかんねえの?」 「特に分からないところはまだないんじゃけど、とりあえずお前の得意なの教えてほしい」 「英語と数学以外。大得意って言うなら現代文と古典」 「じゃあ古典から」 ということでがさがさとページをめくる。瑞垣が出してきた妙にみっしり書き込まれたノートと照らし合わせながら訳をうつしていった。頬杖をつきながら瑞垣が見ている。 「…お前、字ィ汚いな」 「うるせえな、お前こそなんだよこの活字みたいな字は」 「俺は練習したんですー」 「変な奴だな」 「お前にそれは言われたくねえよ。ていうかお前書きなぐるから悪いんだよ、もうちょっと丁寧に」 「気にすんなよ」 余計なことを言いながら手を出してこようとするから全力で阻止した。 「なあ、瑞垣」 「んん?」 「お前、バイトはしないの?」 「ん?しとるよ、言わなかったっけ?」 「えっ?え、マジで?どんな?」 「んーー?ふふふ、飲食店」 「へえ!!いいな、どこで?」 「えー?教えない」 「ええじゃろ、教えろよ食いに行くから」 「働いとるとこ見られたくないし」 「え、もしかしてウエイターとかしとるの?いきたい、見たい」 「ウエイターっつうような店じゃねえよ。飲み屋だから、一希君みたいなのが来てもつまらないですよ」 「えーー」 「海音寺くんは、部活と彼女と勉強で清く正しく節度ある高校生活を送ってください。俺みたいにいい加減なのに関わんなくて いいの」 「………俺もバイトしてえなー」 「無理だろ。普通に」 「無理だけど」 「いいじゃん、暇なよりは忙しい方が…まあ、有意義だろ?」 楽しいかどうかは 知らない。 「そうだけどな」 「つうかさ」 「何?」 「さっきは適当に流したけどさ、お前部活ない日って本当に少ないんじゃないの?」 「少ないよ。中学んときとは比べ物になんないくらいしんどい」 「そんなんで、今日はせっかくの休みなんじゃろ?」 「そうじゃな」 「それで、俺んとこなんか来てていいの。彼女とか、いいの」 「別にええよ。彼女、クラスメイトの上にマネージャーだからほんとに毎日あってるし」 「そういう問題と違うやろーー?余裕こいてると振られてしまいますよ?」 「うん、それもええな」 「…何、一希君ほんとに、大丈夫?疲れとかそういったものから俺に走ったりしないでね?」 「走るか馬鹿」 冗談めかして馬鹿と。そういったけれど。分かってるよちょっとはのってくれたってええやないか、とぶつぶつ呟きながら教科書に目を移した瑞垣の顔をそっと伺う。 なあ知ってるか。お前に似てるんだよ、俺の彼女。 女の子にしてはちょっと背が高くて、ちょっと癖のある柔らかい茶髪で、笑うと唇の端が綺麗に上がる。目線の高さとか少し皮肉っぽくてウィットに飛んだ喋り方とか、似てるんだよ。どんなにお前に言われても彼女のことはほとんどメールで話さなかったのは 恥ずかしいとか誰にも見せたくないとか、そういうことの前にまずそういう気持ちがあったから で、 何よりも終わりだと思ったのは横手の奴に指摘されるまでそのことに気付かなかったことだ。 彼女のことが好きだという気持ちに偽りはない。でも、一人ではなかった相手の中から無意識で彼女を選んだ。そのことがもう すでに 終わりなんじゃないかって、俺がそう思ってるって、お前は知ってるか? 知るわけがない。 「お前こそ彼女は?作んねえの?」 「あーー、んーー…どうなんだろうな。そういうの面倒くさいようなそうでもねえような」 「女の子はいいよ?優しいし柔らかいし」 「うっわ、なにその余裕な発言。つうか柔らかいとかやらしいよ海音寺」 「いや変な意味じゃなくて、手とか握るとほんとに、」 今触ったお前の手なんかとは比べ物にならないくらい柔らかくてあったかいよ。という言葉はあいまいな笑みとともに飲み込んだ。そこまでいてしまうとでもお前の手の方に触りたいとか、そんなことまで言ってしまいそうな気がしたから。 「そういえばお前門脇は?」 「秀吾がどうかしたか?」 「何か連絡はあるのか?」 「んーー、連絡っつうか、電話は毎晩来るな」 「はっ?毎晩??」 「そう毎晩。あいつ図体の割に気ィ小さいところあるからな、寂しいんじゃねェか」 「お前それ、嫌じゃないの」 「んー、俺も回りの声とかうるせえしメールにしろって言うんだけどな、声が聞きたいとか言われたら、なあ?」 「いやそういうことじゃなくて、毎晩とか、そっちのほうは」 「嫌っつうか……秀吾ん家のおかんも俺の家族も喜んどるからいいんじゃねーの?」 「そんなもんなの?」 お前にとって、門脇ってそういうもんでいいの。 そんな気持ちを込めると、ああ、とうっすらと笑って言った。 「俺は別にあいつが前にいないならそれでええんや」 何が。何がいいの。毎晩電話かけてきても、別に会えなくてもいいの。 瑞垣が門脇に殴られた場面を知っている。瑞垣が門脇に殴られようとした場面を見ている。その時にも感じた思いを、門脇がいない今でも感じた。笑顔と行動だけは知っていても、その間に流れる感情は知らない。何キロ離れていようが瑞垣が野球から遠ざかろうが、門脇と瑞垣の間には俺の知らない15年間が流れていて、そしてこれからもっと長い時間が流れていくんだろう。この間には入り込めない。俺がどんなに三日と開けずにメールをしても、三馬身くらい差を明けて前を走っていくんだろう。とてつもなく羨ましくて そして、 「分かんねえ…」 「ん?どこが」 訳じゃないよ。お前らの関係。 でもそんなことを言う訳にもいかないので適当なところを指差した。んーー、ちょっと待てといいながら電子辞書を引く指を見ている。少し高めのその声が告げた訳を適当に写していると、瑞垣が俺の袖を引いた。 「な、海音寺」 「ん?」 「なんかこれ面白いで。アバンチュールって恋の火遊びって意味なんやて」 「は?何調べてんのお前」 言いながら、身を乗り出して瑞垣の指す小さな画面に目を凝らす。ああ確かに。へえ、アバンチュールってフランス語なんや、などと妙なところに感心した。暫くそれを眺めていると瑞垣がごそごそ動いたのが聞こえる。 「アバンチュール、アバンチュール」 「おい何してんだよ」 「えー?刺激のない一希君のノートに刺激をくわえてやろうかと」 瑞垣はそれをさらさらとノートの端に書いていた。その活字のような字で。 「ちょっ、それペンじゃねえか!!」 「そうね」 「そうねってお前なあ、これ提出もすんだぞ!!」 「えっ?ノート提出なんてまだあんの?」 「ある」 「えーと…ま、気にすんなよ、ダンシコーコーセーのノートなんてそんなもんよ。気になるんなら修正テープ貸してやるから」 「偉そうにしてねえでさっさとよこせ」 「まっ、ひどいわ一希くん」 「何のつもりなんだよ」 「え?彼女?」 「あほか、俺の彼女はもっとさっぱりしとる」 「悪かったなべたべたしてて」 「そういう意味じゃないけどな」 「わかっとるって」 えーと修正テープ修正テープ、と節をつけて呟きながら引き出しをかき回す瑞垣の背中を見ている。アバンチュール。火遊び。もしも俺とお前がそんな風になったら、俺の彼女と門脇とどっちが怒るだろうな。たとえ瑞垣と門脇がそういう関係じゃなかったとしても(たぶんそれはそうなんだろう)(だからこそ歪んで、いて)門脇の方が怒るような気がする。殴られるくらいですむならいいけどたぶん俺には手加減しないだろうなあ、なんて有り得ない事を考えていた。 (海音寺と瑞垣。根底にあるもの / meisai_logic) ▲ |