[ 哀傷ココロジー ]



「お前そこ違う」
「どこ?」
「そこや、2章の3問目。なんで1,2ができてそこで間違えるんや」
「だってこれ文章題」
「何度も言うたやろ、式は絶対に文の中にあるんだからよく読め」

瑞垣に促され、細々とした問題を読み返す。
えーーーーーーーーと。・・・何度読んでもさっぱり分からない。
ちらりと顔を上げると、さも呆れたような顔の瑞垣と目が合う。
しばらく凝視しあった後、机の上に突っ伏した。

「あーーーもう疲れた。もういやだ」
「いやだって、俺は別にええけどお前はまずいんじゃろうが。また赤点取る気か」

推薦取り消されるぞ。

「そういう事言うなや・・・」
「事実だからしょうがないじゃろ」
「お前とは頭の出来が違うんじゃ。どうしたらそんなに頭良くなるん」
「簡単な話や、勉強しろ」
「それができないから困っとるんじゃろーが」

早く野球だけやってりゃいいようになりたい。
しばらくごろごろしていると、瑞垣が妙な目をしているのに気がついた。
怒られるのだろうか、と思って居住まいを正すと、瑞垣が口を開いた。

「知りたいか?俺が努力するようになった理由」
「は?そんなのあるんか」
「ある」

それも俺は言いたくないし多分お前はも聞きたくないような理由。
知りたいか?
やはり妙な・・・妙に据わったような目でこちらを見つめる眼に押されて小さく頷いた。

「お前に追いつきたかったからや」
「先に行くのはいつもお前じゃろ」
「そう見えるか?」
「見える」
「なら俺の努力も無駄じゃなかったんやな。それでも空しいけど」

そして瑞垣は俺から目を反らした。
随分長い時間が経った後で目を反らしたまま口を開く。

「本当は言わないつもりだったけど」

でも 俺ももう苦しいから

「一度しか言わないから良く聞けよ。俺は」
「うん」
「俺はお前と対等でありたかった」
「対等?」
「同じ立場でいたかった、ってことや」
「そんなのずっとそうじゃったじゃろ」
「違う」

相変わらず目を伏せたままゆるく首を横に振る。
違う。

「そう思ってたのはお前だけや。俺はずっとお前に劣等感を感じてた」

お前が 野球で どんどん先に行くから
ずっと。そうずっと劣等感を感じてた

「だけど認めたくなかった。認めたら俺が惨めでしょうがない し」

俺はお前と対等でいたかったから 野球以外の全てをお前よりできるようになろうとしたんだ

「だけどそれでも俺の劣等感は消えずお前は劣等感を抱く事もなく」
「俊、それは」

違う、と言いかけて、でも違わないと口を噤む。
どこかでそれを知っていたのかもしれないと思う。
確かに自分は自分の持たないものを望んだ事はない。欲しいものはいつでも手を伸ばせば届く距離にあったからだ。

「だから結局俺の努力は劣等感の上に罪悪感を重ねただけで」
「罪悪感?」
「一方的なお前への敵視に対する」

何も変わらないどころかずっと苦しいよ。前よりも ずっと
俺の答えを聞く事もなく、瑞垣はぽつぽつと続ける。
語ったことを後悔しているような、そうでもないような曖昧な態度で。

「お前は ずるい」
「何がや」
「って、俺はずっと言いたかった。言いたくなかったし言う気もなかったけど、ずっと言いかった」

こっちを、向いてくれ。
そんな静かな声でそんなことばを聞きたくない。
もっと感情的になってくれれば、俺も激昂して何も考えずに済むのに。

「お前は俺のコンプレックスなんだよ」

そうありたかったすべての者を兼ね備えたやつが親友だなんて。
誇らしさを感じる前に凄まじい嫉みの対象だ。
そうしてまた長い時間が過ぎた後で。

「俊、」
「・・・なんてな」

おずおずと声をかけた俺にくるりと向き直って、瑞垣はにやりと笑った。

「まあそれが俺が勉強できるようになった理由や。悔しかったらお前もなにかそういう対象を見つければいい」

まあお前みたいな単純な奴にそういうのができるかどうかは分からないけどな?
そしてまた笑う。
今はむしろ強制的に合わせられる視線。
目を反らしていた瑞垣と、瞬きもせずにいる瑞垣と、どちらが本当なのだろうか。
それは、

「ていうか無駄な時間食っちまったな。お前テスト大丈夫?」
「テストなんか、」
「なんか、って言うな。俺はそれに結構しがみついてる」
「・・・悪い」
「なんで謝るんや、お前別に悪くないじゃろ」
「それでも、悪い」

お前がそんな理由で勉強してるなんて 俺知らなくて
それなのに こんな風に教えてもらったりして

「今では勉強も好きや」
「本当に?」
「本当に。お前がどうとも思わなくてもお前より上なのは嬉しいしな」
「やっぱり」

お前の基準は俺なのか?

「・・・なんでお前泣きそうなの」
「俊が泣かないからじゃ」
「なんで俺が泣かないといかんの。しかもお前の前で」

お前の前で泣くくらいなら何があっても笑ってる方がずっと楽や。

「なんで言っちゃったかな。いつもあんなことばっかり考えてるわけじゃないんやぞ」
「それでも、」
「ああもう、俺は忘れるからお前も忘れとけ」
「忘れられるわけないやろ」
「忘れろよ。別にどうというわけでもないんだから」

「俺は泣かないからお前も泣くなよ」

少し呆れたような顔で俺の頭を何度かかき回す。
先ほどの妙な目つきは欠片も見当たらない。
どちらが嘘なのかは口にするまでもないほど明白だが、

「というわけで勉強するぞ」
「・・・おお」

この距離にいられる間は瑞垣の嘘に甘えていたいと思った。


(門脇と瑞垣。無自覚な加害者 / meisai_logic)