[ 臨界パラドックス ]



それはもう良い夢を見ている。
具体的にはひとりでテレビを見る夢だ。
俺がこの世にいなければどうなっていたかという再現VTRのようなものを延々と見ていた。
俺がいなくても世界は回っていく。
分かっていたけれど、それはなんて開放的なことだろうか。
誰もいない場所で俺がいない世界を見ていた。

(俺は泣きながら笑っていた気がする)



何かの気配を感じて目を覚ますと、笑顔全開な秀吾と目が合った。

「おはよう。」

それはもう爽やかな。
見なかった振りをして目を閉じる。
見てない。俺は何も見ていない。笑顔前回の秀吾も、ついでにその後ろにいた海音寺も。

「おーーい、俊?何でまた寝るんじゃ」

聞こえない。俺は何も聞こえない。
何とかもう一度眠りに落ちようと努力する俺の耳に、二人の会話が聞こえた。

「海音寺、コイツ今目ェ開けたよな?」
「開けたよな。狸寝入りか?」
「とか寝ぼけたとか・・・とりあえず」
「とりあえず?」
「くすぐってみるか」
「ああ、それいいな。寝てようが起きてようが絶対起きる」
「じゃあ俺が」

手を伸ばされたところで飛び起きた。

「勝手に触るなや」
「ん?ああ、ははは」

伸ばしかけた手を引いて笑う。
そんな爽やかな顔で。

「なんでお前、俺達が来るといつも寝てるんだ?」
「毎日寝てるから」
「ああ、そりゃあしょうがない…」
「って言っとる場合か。もう夕方じゃ、さすがに不健康じゃぞ瑞垣」

納得しかけた秀吾を押しのけるように海音寺が顔を出す。
不健康。そりゃあお前達に比べたら相当不健康でしょうよ。

「別にええじゃろ、俺の夏休みを俺が好きなように使って何が悪い。それに今日はちゃんと理由がある」
「理由?」

ふわあ、と欠伸をして枕元を探る。
あった。

「これ読んでた」
「随分分厚い本じゃな。怒…りの…?なんて読むんじゃこれ」
「ぶどう、じゃ。『怒りの葡萄』、スタインベック著。それくらいは知ってろ」

有名だ。物凄く有名だ。
有名すぎて中身も知らないくらい有名だ。

「はあ…面白いのか」
「いや別にそれほど面白くはないんじゃけどな、ていうかこんな古典みたいなのになると面白いとかそういう感情は抱けないんじゃけど…読書感想文用に」
「ええ?お前がまだ書いとらんなんて珍しい」

そんなもんいつだって夏休み始まる前に書いてたやろ、お前。
その割に俺のは手伝ってくれなかったけど。

心底驚いたような顔をする秀吾に、収まりかけていた怒りが湧き上がる。
俺だってそのつもりだったんだよ。
忘れようと思っていたけれど、折角だからこいつらに聞いてもらおう。
むくり、と起き上がった俺を見て二人が少し引く。

「しょうがないやろ、俺が感想書こうと思ってた本は課題図書に入ってなかったんだから」
「課題図書?」
「これ。こん中から選んで、書く」

本の下に落ちていた紙を拾って手渡す。
覗き込む二人の眉が顰められた。

「高校生のための100冊・・・?」
「なんか全然知らない本ばっかりなんじゃけど」
「羅生門・・・はこのまえ授業でやった気が」
「たけくらべは中学の時習ったな」

ぼそぼそと額を付き合わせる二人に構わずに話を続ける。

「俺は半分以上読んだ事あるけどな。けど俺は他人に薦められて本を読むのが大嫌いなんじゃ。大体何なんやこの選抜基準、いつの高校生に薦める本だ。二郎物語とかヒロシマノートとか赤と黒とか誰が読むんや。それはまあいいとしてもなんで司馬遼太郎が『項羽と劉邦』しか入っとらんのや!」

大声でまくし立てた俺の言葉に、二人の顔がさらに訝しげなものになる。
分かってない。完全に分かってない。

「…全然分からん」
「俺もほとんど理解できん」
「…まあお前らみたいな奴がまともな本を読むように、っつー意味で『課題図書』なんじゃろうけどな…俺は本読むっちゅーの。折角今年のために本用意したのに」

本棚に並ぶその本を見て溜め息をついた。
面白かったのに。折角面白かったのに。

「ちなみにその本てのは?」
「司馬遼太郎の『太閤記』と柳沢桂子の『生きて死ぬ智恵』とベンジャミン・フルフォード」
「それも知らん」
「あ、俺司馬遼太郎の『燃えよ剣』なら読んだぞ。文庫で」
「『燃えよ剣』よりは『竜馬がゆく』の方が絶対面白いぞ。今度貸してやるから読め。ちょっと長いけど海音寺なら読めると思う」
「ああ…ありがとう?」

疑問形で言って首を傾げる。
秀吾よりはかなりマシだが、コイツも所詮野球馬鹿か。

「まあそういうわけで、どうせなら読んだ事がなくて多分他のやつは読まないような本、と思ったらこれしかなくて。嫌々ながらこれを読んでるわけです」
「…はあ。面倒くさいんじゃな」
「そうよー。普通に読んだだけじゃ感想なんかでてこねえから、じっくり読んでたら」
「朝だった、と」
「そういうこと」
「それから寝たらこんな時間だった、と」
「そういうこと」

全く理解できないようだったが、人に話せばそれなりに気が紛れるものだなと思う。
秀吾の手から本とプリントを取り上げて机の上に置いた。
感想文は…、明日で良いだろう。

「それで、今日は何の用なんや」

振り返って尋ねた。
この前は何も用がなかったけれど、今日はそんなことはないだろう?
そんな意趣を込めて。
秀吾は笑っていった。

「お盆過ぎたら、俺帰るから、」

海音寺が後を引継いで続ける。

「だからその前に花火をしよう」
「…花火。」
「そう。こんなに買ってきたんだぞ」

こんなに。
海音寺が指差した先には、ぱんぱんに膨れ上がったビニール袋が一つ。
突き出ているのは打上げ花火だろうか。
・・・花火を。

「なんで俺を巻き込むんや、二人でやってろ」
「男二人で花火って笑える図だと思わんか?」
「それは三人でも同じ事やろ」
「いや、お前がいれば全然違うと思うぞ。なぁ門脇」
「なー、海音寺」

なー、って。首を傾げるな、首を。
お前らがそんなかわいらしい仕草をしても全くかわいくないぞ。
鳥肌が立ちそうな気分を必死に押しとどめて尋ねた。

「・・・何が違うんや」
「俺達が楽しい」
「あほか」

予想された答えだったがとりあえずそう返しておく。
そうか。楽しいのか。そりゃあよかった。
・・・で。

「なあ。やろうぜ」
「ふたりじゃ絶対終わらない」
「・・・三人でも終わりそうにないけどな」

ああもう。なんて面倒くさい。
溜め息をつきながら着替え始めた俺を見て、二人は嬉しそうに顔を見合わせた。


「で、・・・なんで俺ん家の前でやろうとするんや」
「え?迷惑か」
「当たり前じゃろ。地面焦げるし。近所中に見られるし」
「大丈夫じゃ、水はちゃんと用意した」
「だーからその水も俺ん家のやろが!!お前ん家でやればええやろ、すぐ近くなんだから」
「したら絶対おかんの邪魔が入るやろ。マヨコロとか」
「邪魔じゃないやん。むしろそっちがメインでええやん?」
「お前は絶対そう言うから今日はお前に会うって言わないで出てきた」
「・・・はーー」
「ほらほら、溜め息ついとらんでやるぞ。お前なにやりたい?手持ち?ネズミ?打上げ?ロケット?」
「そんでお前はなにをそんなに騒いどるんや」
「え?いや、俺実は身内意外とこういう事するの初めてで・・・家、上二人とも女だからロケットなんてあんましたことなくてさ。やりたい」

いつになくはしゃいだ様子の海音寺を見て、怒気が薄れた。
そうか。そういうことなら付き合ってやってもいい。

「秀吾、ビール瓶」
「おう」

立ち上がった秀吾を見て、命令した俺も見て訝しげに尋ねる。

「なんに使うんや?」
「ロケット、やるんじゃろ。ビール瓶にがー―って差し込んで、一気に火をつけるのがセオリー
じゃ」
「へえーー!でもそれって音すごいんと違うか?大丈夫か?」
「地元じゃからな。『うるせーぞ俊二、秀吾!』で終わるの」
「へえーーー・・・」

感心したような、羨ましいような顔をしてこちらを見る海音寺を微笑ましく思った。
今夜くらいは。付き合っても罰は当たらない、だろう。

そして三人で何かに憑かれたように花火をした。
袋一杯だった花火の山がどんどん消えていくのを見て笑ったり驚いたり、煙にむせたりしながら。
途中で俺の妹や兄貴が混ざったり、母親が差し入れを持ってきたりしてテンションは更に上がった。
そしてまた三人に戻る。
最後に残った花火にはなんとなく手が出せずに、いた。

「あー、すっげぇ煙くさい」
「目とか・・・喉も痛いな」
「俺ちょっと火傷した。中指」
「バケツん中突っ込んどけ」
「俺これで新田まで帰るの辛い」
「もう遅いし泊まってくか?服くらい貸すぞ」
「ええんか?それは助かる」
「えー、ずるい俺も」
「お前ん家はすぐそこじゃろ」

三人で寝るにはあの部屋は狭いだろうな、と思いながら 布団くらいは敷けるだろうかと考える。
別に秀吾となら二人でベッドに寝たって構わないのだけれど。

なんとなく押し黙ったところで、海音寺が言った。

「線香花火、しようか」

最後まで残った線香花火の束。
一気に火をつけようか、と言った秀吾を海音寺と二人で批難する。
一本ずつ手にとって火をつけた。
真っ暗な中に弾ける火花。

「…なんか、すげえ綺麗」
「恋人同士の定番になるのも分かるな」

海音寺の言葉になぜかどきりとした。

これは、この状況は、少し、まずいんじゃないか?
お前らなんで二人でいい雰囲気になってるんだよ?
いやそれは別にいい、別に良いからその世界はお前達だけで作ってくれ。
こっち見るな、線香花火でも見てろ。
誰か出てこい。おかんでも兄貴でも近所の誰かでもいい。だれでもいから。
いや、むしろそんな当てのないことを願う前に俺が家に帰ればいいんだ。
咽喉乾いた、とか線香花火が足に落ちたとかなんでもいいから理由をつけて。

逃げようとしたのに。

「俊」
「瑞垣」

一瞬遅かった。
畜生。火花が落ちるまで待とうとした俺が悪い。

「多分お前は気付いてるだろうけど、俺たちはお前が好きだ」
「友情の延長戦で考えてもらっても良いけど基本的には下半身まで行き着きたいレベルの」
「あ、いや別にそっちのほうはまだ考えなくてもいいけど」
「まあおいおい考えてもらえば嬉しい?っていうか」
「とにかく好きだと」
「ちゃんと伝えておくな」

二人で喋るな。
なんだ、この日のために練習でもして来たのか。
棒読みで愛の告白なんてギャグにしかならない。
こんなところで言うな。もっと明るい場所で、もっとずっと家から遠い場所で。
背徳感は感情をコントロールしにくくするから。

「えーーと……それで?」
「それで?」

コーラスで返ってきた声に耳を塞ぎたくなる。
言わせるな。

「お前らは俺に好きだって言って、それでどうするつもりですか。俺がお前らを好きじゃないことを知っていてそういう事を言うんですか」
「好きじゃないことを知っていて言うんじゃ」
「なんですか、その言い方だとつまり俺に好きな人がいても関係ないわけですか?俺に拒否権はありませんか?」
「お前が誰を好きになっても俺はお前を好きじゃなくなったりしない」
「お前が誰を好きでも俺はお前が好きだし、それは別に許可が必要な事じゃないだろ?」
「……は、」

なんて言えば良いんだろうか。
真剣なのは良く分かったけれど、おれは別にそんなことは考えた事も

秀吾は、普段ボーっとしている分真剣になるとかなり怖い。
海音寺だって似たようなものだ。
だから二人して詰め寄るな。怖いから。
好きな奴はいないって、今はそんなところに向けるようなキャパはない。
安心させてどうする。

「…うーーん…」

なんて言えば誰も傷つけずに俺も傷つけずにすむだろうか。
気持悪いとかホモなのかお前らとか、そういうことは言ってもしょうがない気がする。
コイツらはきっと笑って肯定するから。
笑って お前相手なら何言われても構わないvv なんて返されたら目も当てられない。

火花は落ちてしまっていた。

「…俺は、なんつうか平凡に暮らして生きたいんや」
「平凡?」
「そう。人並みに結婚して、子ども…はまぁ別に良いけど できれば作って、人並みの幸せを掴みたいわけ」
「平凡…」
「平凡・・?」
「つまり平たく言えば 俊は結婚したいわけか?」
「は?ああ、平たすぎるけどとりあえずはそこから」
「うん、…うん」

うん、て。何考えてるの?

「よし、わかった。あと10年待ってくれ」
「は?何が分かった?何で10年?」
「俺もっと野球上手くなって、高校卒業したら絶対プロになる」
「うん?ああ、それは俺もそうなると思うとる…けど」
「で、それからもっとがんばって結果のこして、FA権手に入れたらメジャーに移籍する」
「ああ、がんばってくれ。だからそれがどうした」
「そうしたら俺とアメリカに行ってラスベガスで結婚しよう。あそこなら同性同士でも結婚できる!」
「なっ…、は、はあ?!いや、」

いやそういう事を言っているんじゃなくてと言いかけた俺の腕を海音寺が掴む。

「瑞垣」
「なんや」
「俺は多分プロとかメジャーは無理だと思うけど、前がそんなに結婚したいんなら 性転換くらいはするから。二人で幸せになろう。ていうか幸せにしてくれ」
「せっ、性転換て、…あのなぁ…」

何を考えているんだ、コイツらは。
俺は遠回しに(遠回しか?)お前らとは付き合えないといったつもりだったのに。
門脇は天然かもしれないけど海音寺は絶対分かって言ってるな。

俺は空っぽになる予定だったのに、お前達のお陰でまた一杯だ。

「俊?」
「頭でも痛いのか、瑞垣」

痛いよ。頭も胸もなんか凄く痛い。笑い出しそうなくらいに。
空っぽになんかなれない事も、
俺はここからいなくなれない事も、痛くておかしくて、嬉しくてしょうがない。

「…10年経って俺がまだ誰も好きじゃなかったら考えてやる」

心配そうに覗き込む二つの顔に向かって笑いながら言うと、それは嬉しそうな顔をして笑った。
欲のない奴らだ。10年後なんて何も予測できないのに。
10年後にこいつらを好きになるなら、俺は一夫多妻とかそういう風習がある国に移住した方が良いんじゃないだろうか。どちらかを選ぶ必要がないように。

もしもそれができないなら俺はどこかへ消えた方がいい。
逃げるんじゃなくて、誰にも分からないように。

どこかへ消えるときは線香花火のようにあっけないといい


(門脇と海音寺と瑞垣。なんだってできるよ / meisai_logic)