[ 泡沫メタフィジック ]



『受験が終わったら遊ぼう。』

…なんて言って去っていった海音寺は、次の週にはもう顔を見せた。
正直面食らった俺を見て、一緒に勉強した方がはかどると思わんか、と生真面目に言う。
塾の合間を縫ってまで勉強。
そこまでする必要はない事はお互いにわかっているのだけれど、断れないのも確かで。

そして今海音寺は顔を突き合せるように俺の部屋にいる。

勝手に深読みした俺が悪いんだろうか。
確かにこれは遊びではないな、と広げたテキストを適当につつきながら思う。
筆が進まない俺を見て、海音寺がテキストを覗き込んできた。

「お前、古典はできるくせに英語は苦手なんか」
「悪かったな、ていうか古典と英語に何の関係があるんや」
「いや、古典も英語も文法やら訳やらって言う意味では似てるような気がするから」
「似とらん。全然似とらん。漢字とアルファベットな時点でえらい違いや」
「そうかぁ?まぁ その辺は見解の相違ってとこか」
「そう思いたければ思っとけ。俺はソレとして、お前の苦手科目って」

何や。と聞こうとしたい俺の声を遮って海音寺は笑う。

「そっけない反応やなぁ。門脇はどうなんや?」
「あー…秀吾は見た目どおりや。ただの野球馬鹿。野球ができてよかったな〜、っつー成績」
「アハハハハ!!お前酷ェな」
「笑っとる時点でお前も同罪じゃ」

心から楽しそうに笑う姿にモヤっとした。
カチカチとシャーペンの芯を押す。カチカチ、カチカチ、カチカチ。
芯が抜けたシャーペンを放り出す。

「なあ、海音寺」
「んー?なんや」
「なんでお前、俺といるとき秀吾の話ばっかすんの?」
「俺の話なんかしてもお前は詰まらんじゃろ?」
「そんなことは、」

ない、といいかけた口を海音寺の手が塞ぐ。
いい反射神経だな。無神経なくせに。

「別にそういうリップサービスは要らんから。お前はお前の好きなことだけ喋ればええ」

勝手な事ばかり言うものだ、と口をふさがれたまま海音寺の顔を見上げた。
何で笑っているんだろう。
二人きりなんだから、もっと余裕を無くすくらいのことをしてくれればいいのに。
どうしてお前はそんなに引いていられるんだ。
お前は俺が好きだといったじゃないか。
そして俺は秀吾の事なんてすきじゃないと言った。
どうして困ったように笑うんだ、それで。
諦めているなら俺の中に入り込まないで欲しい。

リップサービス?そんなことを言うならいっそ舐めてやろうか。
口を塞ぐ手を掠めるように舌で触れると、塞いだときと同じくらいの速さで手が引かれた。
なんなんだよ。焦りもせずに。

「ほらほら、ふざけてないでちゃんと会話しましょう」
「会話って、また秀吾の話か」
「ん?お前が話したいことなら何でも」
「じゃあお前の話」
「だからそれはいいんだって」

そうしてまた柔らかく笑う。
それに比例して俺の眉が顰められるのは仕方がないことだと思って欲しい。
俺が話したいこと、なんて言ったって。
それは『お前が望む俺』が話したいことじゃないか。

「それじゃまるでお前が秀吾のことがすきみたいやぞ」
「なんじゃそりゃ?意味がわからん」
「分からないのはこっちの方や、秀吾の方ばっかり見させやがって。お前はアレか、人妻フェチとかそういうアレなんか」
「いやそんなことは、俺お前に何かするつもりは全くないし」

だからそれがおかしいんだと言いたい。
仮に俺が本当に修吾を好きだったとしても、それで諦めるくらいならどうして俺にすきだ何て告げる必要があるんだ。
なんでそんなに何もかも悟ったような顔で笑うんだ。
俺を苦しませて何か楽しいか。

ふう、と息を吐いてテキストを閉じた。
もう面倒くさいから。苦しいから。悔しいから。いろいろ考えながらベッドに上がる。
何か、という顔の海音寺を無言で手招きした。
何も考えずに近づいてきた海音寺の手を掴んで座らせる。

「…瑞垣?」
「しよう」
「は?」
「もう、お前全然分かんないから 一回セックスしよう」

お前の方が分からない という顔をする海音寺への説明は放棄して、海音寺の服に手をかけた。
その手を海音寺が掴む。

「…俺は、門脇の代わりにされるのはごめんじゃぞ」
「なんでそうなるん」
「だってそうとしか考えられんし」
「だから そうとしか考えられんところがおかしいって事に気付け」

どうしてそんなに秀吾の事ばかり気にするのだろう。
どうして分からないのだろうか。
俺が言っている事はそんなに分かりづらいだろうか。

「俺はお前が良いって言っとるんや」

そんな不思議そうな顔をすることはないだろう。

「だって、瑞垣」

お前は門脇が、

ああもう。イライラする。
俺がいつ秀吾の事をすきといっただろうか。勝手な勘違いなんだと何度言っただろうか。
俺は、秀吾じゃなくて お前の方が ずっと ずっと すきだと。
どうして伝わらないんだろうか?
こいつは俺のことが好きだったんじゃないのか。お前がそう言ったのに。


「瑞垣…」
「お前のほうこそ、秀吾の影ばっかり追ってないでちゃんと俺を見ろ」

俺がずっと誰を見ているかを理解しろ。

「お前が俺をその気にさせたくせに」
「そ、その気って…瑞垣が言うとやらしいな」
「何余裕ぶってんのやお前。なんで俺がこんな気分にならなあかんのや」

くそ。悔しい。悔しい悔しい悔しい。
俺はそんなに誤解されやすい人間だろうか。
いやそうかもしれないが、それは俺が意図的にそうさせているものだとばかり思っていた。
コイツにはちゃんと俺の言葉で話しているつもりなのに。
皮肉な言葉も笑みもほとんど使わないことにコイツは気付いているだろうか。

「俺は、…お前が門脇を思っているのが辛いんじゃないかと思って、だからそれを少しでも俺で軽くしてもらえればと思ってるだけなんじゃけど」
「だから何度も言うように俺は本当に修吾の事が好きでもなんでもないんや」
「本当に?」
「こんなことまでして誰が冗談なんか言えるか。おまえがあんまりにもわからない人間だから」

秀吾に負けないくらい鈍いから。

「お前なんてどうでもいいと思いたいのにそんなこともう思えないくらいお前が俺の中にいる」

そんなところまで秀吾と同じじゃなくても良いのに。

「瑞垣…」
「だから一回しよう。したらお前にも分かるやろ」

俺が本気だって。
止められた手を振り払ってもう一度海音寺の服に手をかける。
どっちがどっちだとか、考える余裕はないけれどどうにかなるだろう。
若いんだし。

「もう、いい」
「何で」
「もう分かったから」
「何が」
「俺が悪かったから」
「何、」
「瑞垣!」

両肩が掴れた。痛い。
野球から離れてもなかなか筋力は落ちないものだ と、思う自分に腹が立った。

「俺はどうしたらいいの」

お前らばっかり俺の中に痕を残して。

「ごめん」
「俺はもう苦しいよ」
「ごめん」

ごめん。
と真剣な顔で言いつづける海音寺を見て、今までの笑い顔よりはずっとましだなと思った。
それでもやっぱり俺は苦しかったけれど。


(海音寺と瑞垣。すきにしてほしいの / meisai_logic)