[ 暗転アイロニー ]



「お前、俺に付き合って残っとる必要ないんやぞ」

隣で微動だにせず座りつづける門脇に、三度目になる言葉をかけた。
ん、と生返事を返すばかりではっきりとした態度をとらない門脇に舌打ちをしたい気分になる。
コイツは俺と二人きりでいることに気詰まりを感じたりはしないんだろう。
俺はどうしようもなく緊張している、のに。
微動だにしない門脇の体温を感じながら、心の中で溜め息をついた。

ようやく書きあがった日誌を閉じながら、もうすっかり暗くなった空に目を向ける。
『今日は一緒に帰ろう』なんて、そんな言葉に頷いてしまったのが悪かった。
こんな時間にコイツと二人で歩くのは、正直少し 怖い。
ちらりと視線を送ると、門脇と目が合ってしまって慌てて目を反らした。
ずっとこっちを見ていたのだろうか。やっぱり怖い。普通に怖い。

「俊」
「な、んや」

いきなり名前を呼ばれて 声が上ずった。
なんでコイツ相手に怯える事態になってしまったんだろうと考える。
やっぱり、あの時黙って押し倒されてしまったのが原因だろうか。
あの時は 幸い途中で母親の声がしたから何もなかったのだけれど。

「終わったか?」
「ああ、終わった。もう帰れる」
「じゃあ行こう」

立ち上がる間もなく明かりを落とされて少し慌てる。
もうちょっと待ってくれてもいいじゃないか。
非常灯を頼りに荷物を纏めて、門脇の立つ入り口に近づいた。
まっすぐ家に帰れれば良い、と思いながら。



下校時刻をとうに過ぎたこの時間、もう正門は閉まっている。
連れ立って裏門を出ようとしたときに、何かに躓いて倒れそうになった。
何か。明るければ気にならないほどのほんの小さな段差。

「あ、」

思わず小さく声を上げて、そしてしまったと思う。
声に気付いた門脇に腕を掴れて支えられてしまった。
倒れるなら倒れれば良かったのだ。そうすれば一人で立ち上がれたのに。
この状態ではこの手を振り払えない。

「大丈夫か」
「大丈夫やから、離してくれんか」
「こんだけ暗いと危ないじゃろ。家まで我慢せぇ」

やはりそういうことになるわけだ。失敗。
手首を掴れた状態だから、手を繋いでいるわけではない。
だから良いというわけでもないのだけれど。

「…秀吾」
「なんじゃ」
「腕痛い」
「悪い」

悪いと思うんなら離せ。力を緩めるんじゃなくて。
そんな正当な反論も言い出せないくらいその横顔は真剣だった。
しばらく歩いて、それから明らかに普段とは違う道を進んでいる事に気付く。
街灯や民家すらない真っ暗な道。

「どこいくんや?」
「知らん」
「知らんて、俺もう帰りたいんやけど」
「悪いな」
「秀吾、」

ぞくり、と悪寒が走る。
このまま二人でどこか知らない場所へ行ってしまったらどうしようか。
陳腐な考えだが、暗闇の中では妄想が膨らむものだ。
門脇に掴れた腕だけが頼りだ、などと思ってしまうのも全て暗闇のせいだ。

何も言わずに歩く門脇に焦れて喋りつづける。

「ずっと住んでても知らない場所ってあるもんやな」
「そうじゃな」
「夏でもこの時間になれば暗いんじゃな、なんか迷いそうな」
「そうじゃな」
「そろそろ帰りませんか」
「そうじゃな」
「…お前俺の話聞く気ないやろ?」
「そうじゃな。」

そうじゃな、ってお前。最低だ。
いつだって人の腕を引いてどんどんと先に行ってしまう。
それは その腕を振り解けもしない俺の方も同じだと分かっているのだけれど。

そして唐突に門脇は立ち止まる。

「なんや」
「行き止まり」
「行き止まり?」

目を凝らすと、確かに目の前にはブロック塀が立っていた。
本当にどこだか分からない細い路地裏。

「袋小路 じゃな」
「袋小路」
「平たく言えば行き止まり、ってことや」

ついでにいえば行き詰まった状態、という意味もある。
今の俺とお前みたいな。と、口には出さず付け加える。
こんな場所まできて一体何がしたかったのだろうか。
早く帰りたい。

「さっさと引き返そうや。俺もう疲れたしこれ以上付き合ってられん…っ、」

そう言って踵を返そうとすると、掴れた腕が強く引かれた。
少し離れた位置から門脇の胸に転がり込む形になる。
さっきは手をつながれた。
次は何だ。

「秀吾、」

何を、と言いかけた頬を掴まれて、なにか柔らかくて暖かいものが顔に当たる。
暗闇のせいか、一度で口付けとはならなかった。
が、そこは顎だと言うまでもなく その熱は唇に移動する。
こんなに近くにいるのに、重なっているはずの顔すら見えない。

「俊」

唇が触れ合う距離で囁いて、そしてもう一度。もう一度。
角度を変えて何度も唇が重なる。
啄ばまれているだけなのに、なぜか上がりそうになる息を必死で押しとどめた。

顔が見えない口付けがこんなに苦しいなんて。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌 だ。
何も見えないのに目を閉じる自分に腹が立った。
これではまるでこの行為を受け入れているようにしか思えないじゃないか。


なぜコイツはこんな場所で俺にこういう行為ができるのだろうか。
どうして俺はこうした行為が嫌なはずなのにコイツを殴れないんだろうか。
俺たちは、本当にもうどうしようもない場所まできてしまっているのではないか。
入り口すら塞がれた袋小路。
進む道もなければ引き返す方法もないとしたら。

この場所で、吹き溜まっているしかないのではないか と。


もう名前すら呼ばない熱くて強い門脇の腕に身を委ねながらそう思った。


(門脇と瑞垣。知らないふり / meisai_logic)