[インフォームドコンセント]



宵闇に向かって紫煙を吐いた。
一瞬 薄らとした紗を纏うように辺りが霞んで、あっという間に消える。
今日はもう何本目だろうか。
大してうまいとも思わない煙草を灰皿に押し付けて、肩越しにちらりと秀吾を見やる。

…まだ、帰らないのだろうか。

俺の心を見過ごしたように秀吾が口を開く。

「俊」
「なんや」
「今日泊まってってもええか?」
「なんでや。すぐそこなんだから帰ればええやろが」
「……駄目か?」

駄目か。
呟くように言われて返答に詰まる。
駄目な訳はないのだ。
別に今更秀吾が泊まろうが帰ろうが俺のほうから泊まりに行こうが、何一つ問題ない。
最近変わった、秀吾の目の色以外は。

秀吾が、俺のことを恋愛対象としてみていることは昔から知っていた。
面と向かって言われたことはないが 昔はそれこそ四六時中一緒にいたのだ。
相手の一挙一動で胸のうちが読めるくらいには。秀吾は馬鹿だから分からないみたいだけれど。
だけれどもそれを俺がどうこう言うこともないだろうし、いつかはコイツにも好きな女子ができて俺のことなんて忘れてしまうだろうと軽く考えていたのが間違いだった。
野球馬鹿のコイツに言い寄る相手はたくさんいても、それをあしらう方法なんてわかるはずもなかった。
結局なし崩しで今も秀吾の中には俺が居座っている、のだろう。
傍迷惑な話だ。

しかもコイツは、俺のほうもコイツを好きだと思っているから始末に終えない。
なんで。誰がいつそんなことを言いましたか。幼馴染はくっつかなければならないのですか。
誤解を解きたくても、そんなことを口に出したら更なる誤解を招きそうでいえない。
なんと言う悪循環。

ここで、断った方がまずいだろうか。
なし崩しで襲われたりしたら目も当てられない。そうならない確証はない。
かと言って許可を出してしまえばそれはそれでまずいことにならないとも限らない。

…どう転んでも俺に有利な状況は回ってこないんじゃないか。
なんで、泊まって行くなんていうんだ。
もしかして 俺がちらちらお前を気にしたせいか。
違う違う違う、俺はそんな反応が欲しくてお前を見ていたんじゃない。
お前に、早く帰って欲しくて、早くお前の視線から逃れたくて。

何も言わずにもう一本煙草を取り出して火をつける。

「お前、それ何本目じゃ。吸い過ぎだぞ」

とがめるように言われて頭が痛くなる。誰のせいだと思ってる。
ある意味精神安定剤。うん、コイツといるときはそんなものでもないとやっていけない。

「うるせぇな、そんなに吸ってねぇよ…」

嘘だ、もう既に一箱は空にした。なんてことだ、煙草代も馬鹿にならないというのに。
この調子でいつまでもこいつの隣にいれば 俺の肺はそのうち真っ黒になるだろうけどその時は副流煙でコイツの肺も真っ黒だ、ざまあみろ。

「せめてもうちょっと隠れて吸え。未成年者の喫煙は犯罪なんじゃぞ」
「隠れてるやないか、ここ俺の部屋やぞ」
「俺がいるじゃろ」
「今更何言ってるの、お前の前でいいこぶってもしょうがないでしょ」
「…それもそうじゃが、」

あ、またやってしまった。無意識に出る『お前が特別』と取れるような発言。失言だ。
こっち見てるよな。うん、見てる。気づかない振りもそろそろ限界だ。

「なんやの秀吾、俺になんかついてるか?」

茶化そうとした言葉は宙に浮かぶ。
…なにマジな顔してるの。待って、待ってくれ、そんな展開は一切望んでないぞ。
なんだ、この気まずい空気は。
過剰に反応してはいけない、と思いながらも嫌な汗が流れるのは止められない。

「…俊、こっち来い」

熱っぽく言われて、一気に体温が下がった。
コイツ、は、本当に 俺がそうだと、思っているのか?
俺がお前を恋愛感情の意味で好きだと?

冗談じゃない
誰が 男の幼馴染に欲情したりするか。
しかも

いつだって力の差を見せ付けられて、いつだって劣等感を持っているような相手に
組み敷かれたいなどと誰が思うだろうか。

ちがうちがうちがうちがう
お前は、15年間俺と一緒に生きて生きて 俺の何を見てきたんだ。
何を見てお前と俺が相思相愛だなんて思えるんだ。

勘違いしたままそんな目で俺を見るな。

「俊」

呼ぶな。そんな声で俺を呼ぶな。近づくな。
こんな距離では逃げるのももう限界だ、だから離れようとしているのに。
どうして分かってくれないんだ、

「秀吾」

俺は、
お前からは逃げられないんだ


だから俺はお前が怖いんだよ


(門脇→→→瑞垣。葛藤する / meisai_logic)