[ 致死量未満のナトリウム ]



ざくり、と地面に刺さった銃剣を引き抜いて息をついた。
血と土に塗れた刃はところどころ欠けていて、また研ぎに出さなければならないな、と新城直衛はぼんやりと考える。今日はこの刃で6人に止めを刺した。殴りつけて、斬りつけて、剣牙虎をけしかけて、じわじわと傷を与えてから最後に息の根を止めるという狂気じみた行為である。陽動と殺戮を繰り返す方法は新城直衛としては楽でいいのだが、何しろ時間がかかる上に大量殺人には向かない。皆殺しを心情とするならばもう少し融通が利いたほうがよいと新城直衛は思う。
仲間、といえるかどうかは分からないが先ほどまで共に肉を切り裂いていた部下たちは少し先で死骸を焼くための薪と油を調達している。邪魔だから焼く、弔いや供養、情けといったものではなく物理的に純然たる現実としてのそれは新城直衛の中で上手くかみ合っていた。おそらく死骸を焼いた場所の土は肥えるだろう。人間も肥料になる、それもまた反らしようのない現実である。どれだけ派手に暴れまわっても、動かなくなれば分解されていく有機物の固まり、ただそれだけだ。

(それだけのもののために、)

最後はそれだけが待っていることを誰もが知りながら生きている。
しばらく手持ち無沙汰に立っていると、にゃあ、と隣で千早が鳴くので、銃をおろしてやわらかな毛並みを整えてやる。さすがというべきか、実践を繰り返すたびにほとんど血を浴びなくなったそれは戦闘の直後でも美しいままだ。前足が一本、それも爪先からほんの少し先までが銀色の毛を縁取るように赤く色づいていた。先ほどまで紙を裂くように人間を屠っていた様子は跡形もなく、千早は緩やかに目を閉じて静かに咽喉を鳴らしている。どこまでも暖かい感触に、新城直衛はまるで何事もなかったかのような錯覚を覚えるが、辺りに見えるのはさくりと開いた赤い傷ばかりだ。正しくは赤い血管と赤黒い血と桃色の肉と細かい脂肪と骨の白、それら全てを合わせての赤である。爪痕と銃創と切傷に彩られ、辛うじて繋がった四肢を見るともなしに見ながら、これを集めるのは面倒だなと新城直衛は思った。いっそこのまま油をかけて焼いてしまえばいいだろうか。何、積み上げようとそのままだろうと近づけない範囲が変わるわけではない。どうせ血に塗れた場に好き好んで立ち入ろうとする者など居りはしないのだ。もちろん新城直衛もその限りではない。そろそろ帰るかと一歩足を踏み出せば、ひしゃげた靴の底で小さな音を立てて骨が砕ける。後始末は、妙に懐かれているすぐ下の部下に任せてしまおうと新城直衛は思った。

新城直衛は人を屠ることが好きなわけではない。
人間の身体が見た目よりずっと脆いことも、けれどもやはり相当の抵抗感があることも、刃をめり込ませるたびにおもうことである。どれだけ慣れても忘れるわけではない。しかし新城直衛は人を殺す。殺されるよりはずっと痛快だと考えるからだ。人は痛みを感じるのだ。生身で生きていればどうしても回避しようのないこともある。痛みによって回避できる危険というものもある。それを恐れるわけではないのに、警告の意として痛みが存在する理由だけは今も良く分からない。痛んだところで傷が治るわけではないのだ。新城直衛は生きていたいわけではない。ただ死にたくないのである。人間を斬って、自分がまだ生きていることに確然とした理由を見つけたいだけだ。

だから痛みを感じぬままに自らを傷つけるこの行為を、新城直衛はすきではなくとも少しばかり気に入っている。

こんなことをしなくても生きていけたことは知っている。人間を斬ることも、その血の生暖かさを知ることも、絶望の先を見ることも、死に様を目に焼き付けることも、戦火にのどを焼かれることもなく生きていけたことを新城直衛は知っている。けれどもそれは新城直衛にとって敗北にも等しいことだった。負けることが嫌なわけではない、誰かに勝利することなど考えたこともない。ただ新城直衛自身がそれをそうと認識することに耐えきれないだけだった。死なないように、自分ひとりでも死なないように、千早と一緒に生きていけるように。

目を閉じれば、浮かぶのは先ほどの赤だった。踏みにじられて桃色でぐちゃぐちゃで鮮烈で流れ出して切り取られてそして、もうすぐ跡形もなく消えるものだ。同じものが新城直衛を構成している。いつかは、たとえどんな死に方をしようといつかは新城直衛も跡形もなく消えるのだろう。おそらくそう遠くはないだろうそのいつかに思いを馳せる。ろくな死に様は思いつかなかった。
赤い足跡を残しながら、そのときは誰かが自分の骨を踏めばいいと新城直衛は少しだけ嗤った。


(いつかの新城直衛。まだ生きている / 20070724)