[リコリン、コカイン、アトロピン ]



閨で手首を縛ることを提案したのは西田だった。床で暴れることはないが、絞められ続けばさすがに指が出る。首筋を掻き毟る事によってできる傷跡は時に絞め痕より滑稽で悲惨なものだ。精神でどれだけ受け入れても意識が飛ぶ寸前まで追いつめてしまえば役には立たないということだろうか、と西田は不甲斐無い顔で呟く。
しかし、だから一括りにしてしまえば良いというのはまたすこし飛躍しているような気もする。確かに痛みを感じるのは主に西田のほうであるのでそれが軽減されるというのならかまわない。けれどもすべて従順に身を任せられてしまうのもそれはそれで億劫なのだ。実のところ新城直衛には絞首以外の性癖は無いに等しいのだが、元来人を恐れる性質ではあるので拘束に対する嫌悪感は無い。無いのだが、対等を目指したい身としては括られるのは新城の方ではないかとも思うのだ。

「そうは思わないのか?」
「先輩の手を括ればいいということですか?」
「そうすれば君が首を掻き毟ることもなくなるだろう」
「その通りですが、それは本末転倒でしょう」

僕は先輩に首を絞められるためにここにいるんですから。
西田はそういって薄く笑うと、どこからか細い麻縄を取り出して新城に手渡した。それではもう考察の余地は無いのか。西田は基本的に新城相手に逆らうことは無いが、かといって我を通さないわけでもない。お互いに拒絶と許容の引き際が似ているのだろうと戯れに語ったことがある。つまるところは許容のほうが楽なのだ。だから新城は黙って麻縄を受け取り、手首を西田ごと引き寄せた。
このままでは食い込むがどうしたらと尋ねれば、構わないと微塵も衒いのない答えが返ってくる。誰にも見せないからいいのだというのは最初に絞め痕をつけたときと同じ言葉であるが、今回の痕は誰の意志でもなく西田の意思でできるものだ。それはなんだかとても気分が悪かった。

「先輩?」

黙り込んだ新城を気遣うように西田が目線を合わせる。この人間を相手に首を絞めたいと思ってしまったことが無性に腹立たしかった。軍では唯一といっていいほどの理解者であり同じ猫を扱う後輩、それだけで新城にとっては至上の地位にいたのだ。その相手をこんな形で貶めることになってしまった。勿論西田はそんなことを感じてはいないだろうし、新城にとっても恐らくは些細なことである。
しかし西田の首に絞め痕が残ることは純然たる事実であり、そしてこれはらは手首にも傷が残るのだろう。薄くはなっても消えることは無い頻度で繰り返されるこの行為を新城は無意識に蔑んでいる。そんなことのために西田とともにいるのだと思いたくは無かった。

「…先輩」

染み入るような声に促されて決して細くは無い手首を後ろでにゆるくまとめる。体の下に敷いてしまえばこれでも手は出ないだろう。それだけで随分と安堵したような西田の顔はある種の恍惚を帯びていた。結局のところ首を絞めたいと思うことが悪いのではない。絞めてしまったことが問題なのだ。そしてどれだけそれを悔やんでもまた手を伸ばさずにはいられないことが。矢張り自分は異常者でしかないということなのだろう。
緩やかに西田の首へ手を伸ばしながら、安寧な快楽に身を委ねた。


(西田少尉と新城直衛。解けてしまえばいいのに / 20070223)