[ スーパーオキシドアニオン ]



新城直衛がすきである。…すきなのだと思う。どうして、いつから、どこが、どんなふうに?答えようと思えば答えられないことはないのだと想うが、言葉を捜すことに疲れて結局自分でもその答えは知らない。でもすきなのだと想う。
だから、といって何を変えるわけでもない。態度も言葉も、確かに変わるものはあるのだろうが、かといって今までのすべてを無碍にすることもできない。理想と現実が一致しないのは当然のことなのだけれど、今の僕には理想がどこなのかも分からない。僕は先輩がすきなのだけれど、ただすきなのだけれど、だからといってそれでどうなりたいとかどうしたいとかどうされたいとか、…それは全く分からないことも、ないのだけれど。けれども、それを口に、態度に出してしまえば他の大切なものが崩れてしまうような気がする。そこまでして伝えたいことなのかと思うと、そこで思考はフリーズだ。結論を出しても出さなくても先に進めないだなんて不毛過ぎる。

いっそ先輩がもっと孤立してしまえば良いと思う。誰のことも必要としないわけではないのに、ほぼすべての人間と反りが合わない先輩のことだ、きっと簡単。そうして何もかもを排除して僕だけを必要とすれば良いと思う。きっと、簡単。
無駄にいろいろなことを考えているあの人のことだから、僕の態度にもあらゆることを考えているだろう。見えなければ見えないほどそれは強いようだから、僕にもわかるような今の状態ではまだ弱い。気付かれてしまえば良いと思ったのは本当、気付かせてしまおうと思ったのも本当。けれどもそれを認める気はなかった。そんなことで人間の眺め方を帰る人ではないし、面倒だと思われたらそのほうが遠ざけられる理由になる。だからこその。

「なあ韻鉄ー?」

ささくれた心をなだめるように、剣牙虎舎で猫に埋まるように過ごしていた。猫に囲まれていると少し落ち着く、様な気がする。もちろん自分の猫がいるからというのも理由なのだけれど。韻鉄、韻鉄、かわいいね、かわいいな。わしゃわしゃと腹を撫でていると、興奮したのか韻鉄ががばりと圧し掛かってきてのけぞった。そのまま下敷きにされて無感動に呻く。

「あー、重い重い死んじゃう、韻鉄」

どいてどいて。ギブギブ。ぱしぱしと腹を叩くと、不満そうな声を出しながらも韻鉄は西田から降りて脇にうずくまる。どうしようかと思ったけれど、西田も座りこんだまま韻鉄に寄りかかった。

「…韻鉄ー」

僕間違ってないよなあ?すぐ逃げるもんなあのひと。にゃごにゃごと擦り寄ってくる韻鉄の毛並みに顔を埋める。傷つけばいいのだ。僕のことで傷つけばいい。僕のことだけで傷つけば良いのに。もっとずっと深く、僕のことがあの人の中に根付けば良いのに。

「なあ韻鉄ー?」

僕もお前達みたいにぐるぐるできればいいのになー?先輩猫だいすきだもんなー僕もだけど。千早になりたいねえ、と他愛もないことを呟きながら韻鉄に触れる。そうではなくても女の人に生まれればよかった。先輩をすきになって、すきだということを誰に告げてもいい立場に。

「…韻鉄ー」

ほんとにね、すきだって、言える立場ならよかったのにね。嫌いだって言われても好きでいられるくらい強ければよかったのに。だってすきなんだよ。嫌われたくなんてないよ。もっと怖いのは嫌われることすらないんじゃないかということだ。少しずつフェイドアウトされたりしたら目も当てられない。何気なく懐いた後輩、そのスタンスは間違っていないし、それはそれで悪くはない。声をかけて、かけられて、眼が合って、変な意味ではないけれどたまに触れることができて、それでしあわせなときもある。だからこれでいいんだ、この奇妙な綱渡りを続けていけたらいいんだ。
いいんだよ。
いいんだって。

「韻鉄ー…」

だけどね、だけど、だけど、

よくても、よくない。から、困っている。
もうわかんないよ、これからなにをしてけばいいのかとかなにもわかんない。なにをしたいのかをおもっても自分のできることの中に自分のしたいことが見つからないよ。ああくそ、こういうのはもっと早く先輩に告げてしまうべきだった。まだすきだなんて、欠片もわからないうちに。
でも先輩は自分のことで大変そうだったんだよ。駒城のこととかこれからの先行きとか、僕のことなんて話している場合じゃなかったんだよ。僕よりずっと辛そうだったから、比べて耐えるくらいが関の山だったんだよ。そんなものは他人と比べるべきものじゃないなんてそんなのわかるわけないだろう。別に相手が僕より辛かったからといって僕が辛くなくなるわけじゃないのに。何考えてたの、何考えてるの、どうしたいの、どうなるの。
全然分からないよ。

「ねー…、いんてつ」
なんだか泣きそうになってますます強く韻鉄にしがみついた。と、西田を構っていた韻鉄が不意に顔を上げて一声。にゃあ、というので。つられて西田も顔を起こすと、入り口になくほどすきな相手が立っていた。逆光でよく見えないけれど、そんなことで見間違えるようなシルエットではない。見間違えるような、生半な想いでもない。
とりあえず韻鉄に手をかけたまま呆けていると、すたすたと近づいてきた新城がちらりと一瞥をくれる。

「何してる」
「韻鉄と愛の営みを」
「韻鉄はオスだろう」
「精神的な高みを目指しています」
「…まあ、好きにすればいいが」

冷たくもやさしくもない様子で淡々と言って、千早、と彼の猫を呼んだ。すでに傍までやってきていた千早は、その声にごろごろと喉を鳴らして新城に甘える。動いた拍子に形のいい尻尾が西田の顔を掠めて嬉しくなった。ああ尻尾、いいなあ千早はきれいだ。韻鉄はかっこいいけど千早はかわいいなあ。猫は良いなあ、ずっとよかったけど先輩が一緒にいるともっと良いなあ。ずっとこうしていられれば良いのに。なんて半分呆けたままその姿を見ていた。
しばらく千早を撫でていた新城は、

「座り込むのはやめたほうがいいと思うぞ」
「そうですね…」
「韻鉄も困っているんじゃないか」

なあ、そうだよな。
そう呟いた新城の手が韻鉄を撫でて、それからごく自然に僕の頭を掠めて離れて行った。
にゃご、と満足そうに鳴いた韻鉄の横で固まっている。…あれ?あの?

「先輩ー?」
「そんなにここがすきなら剣牙虎扱いにしてやろうと思ったんだが」
「やめてくださいよー、先輩が言うと冗談に聞こえないんですから」
「本気でもいいぞ」
「……やめてくださいよ」

わからない、わからない、わからない、どうしてこの人はこんなことをするんだ。

「お前も鳴けばいいのに」

どうして、できるわけないのに。
僕が何を考えているかなんて興味もないくせに、知る気もないくせに、知りたくもないくせに、どうしてそんなことばかりして、そんなことを言うんだ。やさしくも冷たくもないくせに、どうして、そんな優しい手で、全然分からないよ。
にゃあ、と暢気に鳴いた韻鉄が恨めしくなって新城から顔を背けた。もう無理だ。

「…まだ帰らないのか?」
「もうちょっと韻鉄の傍にいますー」
「本当に孕ませる事がないように気をつけろよ」
「だーからー先輩の冗談は冗談に聞こえないんですってばー」
「悪かった」

なんて、まるで悪びれた様子もなく言い放って、新城はゆっくり剣牙虎舎を後にした。重い扉が閉められて、ようやく西田は韻鉄から手を離す。それからぎこちなく手を持ち上げて、新城の手が掠めていった場所を押さえた。感触なんて一瞬だったのだけれど。本当に猫になれれば良いのに。先輩とずっと一緒にいられれば良いのに。あの人の冗談はたちが悪すぎる。なんて無理に笑おうとしたけれど、唇が引きつってうまくいかなかった。

なんで、どうして、何も知ろうとしないくせに何もかも分かってしまうんだろう。
もうきっと知ってる、あの人は全部知っているんだろう。
どうして、どうして、どうして?

「…にゃー」

猫に囲まれて、一度だけ鳴いて見た。
鳴き声は、聞き取れないくらいかすかな泣き声に変わるだけだった。


(新城←西田。新城直衛をすきになるなんて / 20061212)