[ カドミウムオレンジイエローシェード ]



せかいでたったひとつ、そんなものは存在しすぎていてもう分からないんだよ。


新城は人を殺している。それはまるで道端の花を手折るようなとても気安い動作で、その一息で、同じ手で、せかいにたったひとつをどんどん壊している。自分で生み出すこともできない新城は、ただ数を減らしながら無様に喘ぐだけだ。いつかはこれまでの無数のもののように散っていくのだろう。そしてそれはきっとそれまでのどんな終わりよりあっけないに違いない。
せかいでただひとつというなら、この瞬間にも吐き出されて用を成さずに死んでいく無数の精子たちにも同じことが言えるだろう。いちどだけ、いのちを作る機会を与えられたものを無造作に消費していく。それはあまりにも無差別で無機質で無意識で無計画で、だからこそ代償として快楽を生み出すのかもしれない。

そうおもいながら、無数に命を浪費して新城は果てた。

ぐったりと布団につっぷして、新城はしばらく余韻を味わっていた。いろいろなことを整理して、半分だけ寝返りを打つ。すると、先程まで情を分け合っていた後輩の寝顔にぶつかって思わずひやりとした。起こしてしまっただろうか。そっと覗き込むと、そんな様子は微塵もなくよく寝ていたので安心した。することだけしてあっという間に寝てしまった西田の顔を緩く撫でる。彼の顔はいつまでも美少年めいていて、童顔としては引けをとらない新城も苦笑するほどだ。軽く身じろいだ西田を刺激しないようにそっと立ち上がると、彼の吐き出したものがどろりと足をぬ濡らした。今は緩く閉じた穴から逆流してくるその感触には、いつまで経っても慣れそうにない。朝になる前にすべて掻き出してしまおう、と部屋着を羽織って水場へ急いだ。

自分で自分の穴を広げるという、ある面から見ればひどく退廃的なことを行いながら、新城は薄く笑う。先程までの西田を思い出したからだ。これはつまるところ自慰の延長のようなもので、お互いがすきなだけ吐き出すためにお互いの身体を使っているのだと新城は理解している。行為自体にそれ以上の意味はないが、感情としては好意があったほうが成り立ちやすい。それだけの話。メンタルが一致しているならフィジカルだって同じことだ。それがどう作用するかは個人の勝手だと新城は思っていた。
液体をすべて掻き出して、身体を拭いて、情交の名残がすべて消えたところで息を吐く。見えようが見えまいが西田は痕など残しはしないので、新城の身体はきれいなものだ。なんにせよ、くっきりと手形の残った西田の首に比べれば、どんな痕も適いはしない。いつ触れても等しく柔らかく生ぬるい西田のことを思う。あれはいったいなんなのだろう。好きあっていることは知っている。好意を持っていることも、好意をもたれていることも。いったことはないが愛しているとすら言われたことがある。でもそれだけだ。それならいいと、新城は思ったけれど西田がどう思っているかは分からない。好意の上に性欲があることは知っていたが、それを非と思いはしないが是かといわれればそれもわからない。どう考えても、間違っているといわれるだろう。誰に尋ねても、西田以外には。
自分の中に西田をどうにかしたいという思いがあることは分かっていたが、西田のほうでもそうだとは思いもしなかったのだ。言われてもしばらくは分からなかったし、そしてそれを受け入れるとも思わなかった。けれども気がつけばこうなっていた。結局のところ、自分はすべてにおいてどこかがおかしいのだろうと新城は思っている。
まあそれももう、考えても埒が明かないことだと結論付けて、新城はゆっくりと水場を後にした。

部屋に戻ると、先程と同じ形で眠る西田を起こしてしまわないようにそっと布団を捲る。と、ふいに西田が緩やかに目を開き、新城を認めて微笑んだ。少々動揺して固まった新城をよそに、新城の手をとって布団の中で抱きしめる。よかった、と呟くから何が?と訊くと、ここにいるからと返された。新城がそこにいるから。

「夢を、見てました。先輩がどこにでもいて、誰のそばにもいるのに、僕のところにだけいない夢」
「なんだそれは」

疑問符と共に新城が呆れたように見下ろすと、わからないけれど少し悲しくて、と西田は夢見心地でぽつんと漏らす。少し?本当は、凄く。

「だけど、そうして眼を醒ましたら先輩が僕を見ていたから」

よかった、夢でよかった。寝言のように繰り返しながら、抱きしめた新城の手に頬を摺り寄せた。喉を鳴らしてもおかしくないような風情で、まるで猫のようだと新城は思う。そのまま、甘えたような声で西田は言う。

「先輩は僕のそばにいるんですよね」

いるんですよ、ね?重ねて尋ねる西田に、辛うじて「今は」と短く答えた。どうにも確約のない言葉を、それでもはっきりと返した。それを聞いた西田がこの上もなく幸せそうな顔で微笑んだので、新城は目をそらしたくなる。そんなふうに首に絞め痕をつけられて、こんなふうに汚されて、こんな人間を愛して、西田は本当にかわいそうだとおもった。
けれども西田は、そんな新城の同様と自己嫌悪などにはお構いなしでまた眠りに落ちようとしている。かわいそうに、と心の中で呟いて、抱きしめられたままだった手を抜こうとした。抜けなかった。おい、と手をかけると、二秒ほど間をおいてからううともああともつかないようなくぐもった声が聞こえた。寝呆けてないで手を離せ。
何度かその応対を繰り返して、とうとう諦めて、そのまま新城も布団に潜る。小さく身体を丸めた西田の柔らかい髪がふわふわと頬に触れて、暖かいけれど妙な気分だ。こんな手、ひとつでこの感触を繋ぎとめておけるなら、このせかいはそう悪いものではないんじゃないかと唐突に思った。抱きしめられた手の上にそっともう片方の手を重ねて、ゆっくりと目を閉じる。できれば朝までこのままの形でいられますように。似合いもしない願掛けを心の中で自嘲しながら、それでも否定はせずに眠りに落ちた。


絶対的な何かを求めているんだ。世界の中で、信じるに足るなにか特別なものがあると信じているんだよ。まるで明かりを求めて這いずる虫みたいに、いつだって蠢いているんだ。輝いている必要なんてなくて、優しいものである必要もなくて、ただそこにあってほしい。
せかいでたったひとつ。そんなものはせかいのすべてで、だからこそすべて足りないものなんだろう。ひとつはひとつ、でもそのひとつでなければならないものは、ほんとうに存在するなんて、とても信じられない。でもだからこそ、いつかそれを見つけたらすごいことなんだろうとおもっているよ。心からおもっているよ。

ただひとつで構成された世界は、ただひとつを無限に排出している。すごいな、と新城は思う。無数に重なるいのちのなかでただひとつをいきるという事実に圧倒されるばかりだ。ただひとつ、ただひとつ、ただひとつ。ひとつがあるか、あるいはないか、せかいはどこまでも1と0、それだけでできている。およそ途方もつかない数になるだろういままでのひとつとこれからのひとつをおもう。無限の中に無限はいくつ存在するだろうか、あるいはできるのだろうか。無限はすべてのすべてであり、無限の次に来る数は無限だ。ゆえに無限は無限を内包する。やさしくやわらかくあまくつつみこんですべてはないものとおなじことだ。

ただひとつしかないせかいで、ただひとつを浪費できるせかいになりたいと新城は思った。


(西田×新城。当たり前のような顔をしていても。 / 20061207)