[ ハローもグッバイもサンキューも ]



新城直衛は、当然のことながら女性が好きだった。少なくともそのときまで男性を性的対象として認識したことはなかった。だから、それが起こったことを新城は今でも理解し尽くしてはいない。そしてまた、それが一度きりではなかったことも。首を絞めたかっただけ、それだけのはずだったのだ。ただ新城にとってそれはそのまま性衝動に結びつくのだということを、新城自身が理解していなかった。だからこそ、そう思ってからもふたりきりで行動することをやめなかったのだ。何よりも、その相手がそれについて何も言わなかったということ。そしてそれがどういうことなのかを理解できるほど、新城は人の感情に興味がなかったということ。

新城は今でも理解はできない。が、起こるべくして起こることだったのかもしれない、と思うことはある。とにかく不可解ではあっても不愉快ではなかった。結局のところどれだけ考えたところで事実は微塵も覆らないのだ。つまるところ、目に見える現象しか信じない新城にとって、目に見えたことはすべて真実であり、疑う余地など残されてはいなかったのである。しかるに、これは自分の精神状態がそこまで落込んだと言う事なのだろう、と新城は割合簡潔に結論付けた。
そうした思考こそ、人として何かが欠落しているのだということに気付かないまま。

つまり何があったのかといえば、新城が西田の首を絞めたということだ。

切欠は些細なことだったと思う。どんなに言葉を濁しても人間関係があまり良好ではない、などという表現ではとても追いつかない新城にとって、行動を共にする相手は西田以外に存在しなかった。たとえ首を絞めたいと思ったとしても、それを忘れないまでも覆い隠す自身はあったので、…簡潔に言えば気を抜いていたのだろう。いつまでもふたりで行動していたのが悪かった。それを、西田のほうそれをも望んでいた場合のことなど、まるで考えもせずに。そもそも、最初の時点で何も言わなかったところから察するべきだったのだ。酔いに逃げている場合ではなかった。問い詰めて、目を閉じた理由をどうしても聞き出すべきだったのだ。そうすればこんな、少なくとも自分のほうから仕掛けることなどはなかったのだろうと思う。それは限りなく確信に近かった。

けれども、新城が西田の首を絞めた、それは紛れもない事実なのだ。

いつものように逆賊討伐という名の虐殺を終えたあとで、本部に提出する報告をまとめていた。中尉と少尉、小隊を率いる身として、当然のように、ふたりきりで。当然のように?いやそれは公然と当然のことなのだ、疑問を抱くほうが間違っている。けれども、ふとした拍子に目に入った首筋、向かい合って座った西田の、決して細くはない首筋を見たときに。ぞくりと何かが震えた。これはいけない、善くないことだと即座に思う。アルコールがなければ平気だと思っていたのに、その日は生憎血に酔っていたのだった。
首を。絞めたい。
湧き上がる衝動を堪えながら、できる限り西田を見ずに作業を続けた。西田のほうが新城を見つめていることには気付きもせずに。

そうして、それを終えて、ああこれでもう大丈夫だ、今日は早く寝てしまおうと、新城が気を緩めた、その時。何を思ったのか、西田が新城の首に触れたのだ。それはとても自然な動作で、何らかの意図が感じられるようなものではなかったのだけれど、それによって新城は西田の目をまっすぐ見てしまった。感情を感じさせないその目は、とにかく零れ落ちそうなほどに見開かれて新城を見ている。触れる指の冷たさの意味が理解できない。

「西田?」
「…首が、」
「首がどうかしたか」
「首を、絞めたいといいませんでしたか」
「……西田?」
「先輩は僕の首を絞めたいといいませんでしたか?」

覚えていたのかと思うと同時に、何を言っているのだろうと思う。首に触れているのは西田で、そもそもそれは新城のものだ。それに絞めたいといったところでどうなるというのだ、その後の事など新城は何も考えてはいない。「西田」と、ただ名前を呼んで、首にかかった手を払い除けた。…その手を。

「離せ」
「嫌です」
「何がしたいんだ」
「先輩が、したいようにしてください」

払った手をそのまま掴まれて語気を強めた。が、何も応えない様子でそんなことを言う。できるわけがない。赦されてしまったら、歯止めなど利くはずもない。そんなことがしたいわけではないのだ、西田相手に。けれども。強く握られた手を首に導かれて、触れたそこに言い知れない激情が渦巻くのは止めようがなかった。導かれた手が離れても、新城は手を離すことができない。早く、早く、早くしなければ、こんなことは。

「せんぱい?」

あまやかな声で囁かれて思わず指先に力をこめてしまった。一度掴んだ肉の感触に、言い知れない衝動を覚えてもう駄目だと思う。もともと人並みの理性など存在してはいない、抑える理由がないのなら尚更だ。そのまま無言で指を食い込ませていった。いつか願ったとおりの薄笑い表情のまま、西田の顔色がどんどん青ざめていく。その様子が整った顔と相まって、まるで人形のようだと思った。もっとずっと強く、握り締めてしまいたい。
どう考えてもこれは死に至るのではないかと思う力で絞め上げても、西田はただあまやかに笑んでいる。その顔に、完全に欲情した。最低の行為だと思いながら左手を離して股間に触れると、痛いほど張り詰めた性器に触れて溜息を付きそうになる。これをどうするべきだろうか。と思っていると、弾みで西田のそれにも手が当たった。新城ほどではないが、なぜか西田のものも屹立していた。すでに正常な意識ではなかった新城は、深くは考えずに自分と西田のものを引きずり出した。

片手ではしつこく首を絞め続けながら、ふたり分の性器をまとめて擦り上げる。血の気の引いた肌の温度と、はっとするほど熱い肉の感触とを同時に味わい、目も眩むほどの快楽に襲われて思わず喉が鳴った。これは善くないなんてものではない、悦すぎるのだ。完全にお手上げである。自慰の延長戦に過ぎないはずのその行為が、まるで至上の愉悦のようだった。
相変わらず薄く笑う西田の、真っ白な顔を見つめながらふたりで吐精した。

そこまでしてからようやく首に回していた手を離す。西田は軽く咳き込んで、しばらく荒い息を突いていた。新城自身も吐精の余韻でしばらく呆然としている。
相手が落ちるまで絞め上げたことはあっても、ここまで強く絞めても落ちない相手は始めてだった。この性癖を受け入れてくれた人間は今までにも何人かいたが、そうした相手に対してはそう強く締め上げることもできなかった。それがなけなしの理性だったのだろうと、今になって思う。理性の働かない相手が、この性癖を行使したくなる相手であったことに少なからず嫌悪感を覚えている。勿論自分自身に。が、自嘲と自己嫌悪は常に新城と共にあるので、そのことにさしたる意味は見出せなかった。堪えようもない疲労感に襲われて、そのあとは何も言わずにふたりで眠った。

翌朝眼を醒まして思ったことはこれからどうするのかということだった。淫夢を初めとする妄想の類であることを願ったが、西田の首に残った痕は明確に現実を指し示していて、逆に感情が削ぎ落とされていく。しばらくして西田が眼を醒ますまで、首筋に痕をつけた自分の指を見つめていた。
「おはようございます」とはっきりした声で言った西田に、「おはよう」と平素と変わらない態度で新城も臨む。それは言ってみればただの困惑から生まれた冷静さだったのだけれど。

「昨日のことを覚えていますか」
「それは僕が、尋ねようと思ったんだが」
「僕は勿論覚えています。先輩も覚えているんですね?」

夢じゃなくて?重ねて尋ねる西田に、かすかにではあるが確かに頷いた。まるで悦んでいるように見えると非常識なことを思った。喜ぶはずがない、愉しかったのは自分なのだ。

「…随分濃い痕が残った」
「そうですか?」

それはもう、新城自身ですら呆れ帰るほどの酷い色だった。新城の指の形そのままに、赤と紫、黄色と緑、青と黒、痣としてはこの上ないほど上等な部類だ。うっすらと触れてみたかったが、痕を増やさない自信がなかったので声だけで留めておく。細くはないが形のいい西田の指が緩やかにそれをなぞって落ちた。なんでもないような顔をしている西田の真意を掴みかねて、新城はただそれを見ていた。

「謝罪はしない…が、誹りは甘んじて受けるつもりだ」
「そんなつもりはありません」
「どうして」
「それを、聞くんですか?」

それを聞きたいのだ。

「この位置なら詰襟で隠れますから平気です」
「そういうことじゃない」
「僕は先輩のしたいようにといいました」
「それは」
「先輩のしたいことがこういうことなら僕はいつでも付き合います」
「にし、」
「それがどういうことかわからないならわからないままでも結構です」

新城には分からなかった。西田が笑っている理由も、甘んじて受け入れる理由も、自分が西田の首を絞めたくなる理由も、性衝動に結びついた理由も何一つ理解できなかった。それがどうしようもなく不可解だった。 わかるようになるまで、新城は西田の首をこれからも絞め続けるのだろうと思った。
それがどこまでいくのかはまるでわからなかった。


(西田→新城*西田。西田が理解できない新城。 / 20061202)