[ システムオールレッド、 ]



新城直衛は、自分のことを矮小な性格破綻者だと理解している。粉々に折れてしまっている芯を襤褸布のようなものでくるんだ心を虚構と虚実で飾り立て、どうにか体裁を保っているのだと。卑屈さから生まれる捻じ曲がった自尊心とそれらすべてを隠し通すだけの面の皮、ただそれだけ。ただ、その虚実があまりにも巧妙すぎるということもまた事実であり、ごく一部の人間を除けばその心など欠片も垣間見ることはできないのだということも。
およそまともに生きていくことには向かない人間なのだと新城は思う。が、それを悲嘆することもない。こうなってしまったからにはこうして生きていくしかないのだし、生きる以外の選択肢など自分で選ぶ気は毛頭ないからだ。所詮は臆病で小胆、故の狂気、それがわかっていれば生きていける。

そうして自己完結している新城には、理解者などほとんど存在しない。新城にとって一番大きな存在である義姉ですら、理解者というよりは自己満足の対象であるのだ。ただ、彼女の信じる新城直衛が新城自身とはまるでかけ離れたものであることはとうの昔に知っていたので、今更それを思い煩うこともないのだが。それ以外といえば幼年学校の数人、駒城の宗主とその息子、その程度だ。彼らにしたところで新城のことは理解しがたい人間、と理解しているのであって、およそ解決には程遠い。

新城はそれでもいいと思っている。もちろんこうありたいなどと思ったことは一度もないが、結局のところ最後にはどうでもよいと思ってしまう。一番欲しいものはすでに手の届かないところにあり、それが手に入らないのならそれ以外のすべてなど新城には意味がないと信じているからだ。そしてそう信じているからこそこうして生きていけるのだと、これだけは漠然と思っている。すべてを鬱々と溜め込んで、新城直衛は生きていた。

そうした狭い人格の檻の中で、彼に出会ったのは全くの偶然だった。幼年学校の後輩、同じく剣牙虎を扱う人間。もちろんそれだけならば特別視するには値しない、ただ、そう彼は、西田は笑うのだ。

新城を見て笑う。どんな噂を聞いても、どんなふうに接しても、嗤うのでも哂うのでも嘲笑うのでもなくただ笑う。初めての経験だった。義姉ですら新城を見て笑うことは、いや、おそらく新城が生きている限り心から笑うことなどないのだと思う。その程度の枷になっている自覚はある。
けれども西田は笑うのだ。背負うものも立場も状況も何も違うのだからそれは比較対象にはならないのかもしれないが、友でも部下でもなく、ただ好ましい人間というのは新城にとって義姉程度しか存在しなかったので。西田は笑う。媚びるのでもへつらうのでもなく、強いて言えばそう、懐くように。

先輩先輩先輩、とまるで無防備に。

それはまるで猫のような

(…そうか猫、か)

千早。彼女と西田なら同じように並べても良いかもしれない。どちらも自分が育て、そうして好かれている。そう位置づけたところで、懐かれることに耐性ができた。これは猫なのだ、新しい猫。渡り合う気はなかったが、まあこれはこれでいいかと思ったのも確かだ。人に好かれようとは思わないが、好かれることに越したことはない。それが無条件でないとしたら尚更だ。新城自身にその理由は理解できなかったが、人は概ね理解できないくらいのほうが好ましい。すべてが率直なことと、分かりやすい人間というのは別のものだと思っているからだ。

ゆるゆるといくつかの季節を経て、新城と西田とは同じ隊に所属している。剣牙虎を扱える人間はまだまだ限られており、隊をなすためにはそれなりに人数が必要だとしたらその可能性はかなり高くなるわけだが、背景などはさておいてふたりは同じ場所で同じ感覚を享有している。明確に自覚はしていなかったが、それは敵ばかり作る新城にとって計り知れないほどの救いであった。全幅の信頼をよせる世界でただ二つの存在、それらに脇を囲まれていれば、世界でただひとつ欲しいものの存在すら瞬間は薄めてくれたのだ。無論消えることはないので新城は依然として新城のままだったのだが。

その均衡を崩さぬまま別の形へ移行しようとしたのは、新城だったのか西田だったのか、新城には今も分からないままだ。ただ覚えているのは、初めてそれを覚えたときの西田の頬に落ちた影だけである。大きな目と、それを縁取る睫毛と、形の良い鼻梁、すべて新城とはまるで異なる整った顔。綺麗な顔をしているとは常々思っていたのだけれど。

そのとき、ふたりは酒を酌み交わしていたのだ。それ自体はよくあることだった。剣牙虎兵にありがちなことで、猫たちを檻に押し込めてしまうと、その大きな体躯がないことに一抹の不安を感じてしまう。たとえそこが退屈ですらある日常の中だったとしても。一種の職業病なのかもしれないな、と新城はぼんやりと思っているが、かといって四六時中猫と一緒にいることも赦されないので、その不安は誰かと一緒にいることで紛らわせることにする。そうしてふたりで無駄に酔うことになるのだ。

酒、そうだ、あのときの安酒が悪かったのかもしれない。どんなものでも腹に入ってしまえば同じだと割り切らねば飲めないような、アルコール度ばかり高いそれはびりびりと舌を刺し、普段とは比べ物にならないような早さで酔いをめぐらせた。たぶん、ふたりともに。
何をとち狂ったのか、新城は西田の顔ではなくて首に意識をめぐらせてしまったのだ。細くはないが、幾分白くて滑らかそうな肌と薄く浮き上がった血管、そして上気したその色。

(嗚呼、)

そうして、手を伸ばしてしまったのだ。ただ好ましいと思っているその相手に。猫だと思っていたその相手の首に手をかけ、あろうことか呟いてしまったのだ。そんな相手であってももらしたことがないような自分の性癖について。

「絞めてみたい」

お前の首を絞めてみたい。

それを聞いた西田は、何を思ったのかゆるりと目を閉じた。長い睫毛が頬に影を落として、まるで新城の指を待ち望んでいるように見えた。かすかに笑んだ唇から静かに呼吸の音が聞こえて、触れた指先、薄い皮膚越しに、かすかではあるがたしかな鼓動を感じた。
ぞくりと、背筋を悪寒とは違うものが過ぎった。…これはいけない。よくない兆候だ。焼け付くような衝動に目が眩みそうになる。口に出してはいけなかった、漠然とした思いが一気に固まってひりつく様に喉が痛んだ。絞めたい。絞めてしまいたい。加減も限度も知らぬまま思い切り締め上げてしまいたい。そのまま笑っていてくれたらいい。それだけでいい。

幾度か衝動に駆られたあとで、どうにかこうにか新城は西田の顔から視線を剥がしてその首から指を外した。その手が震えていたのは恐れなどではなく完全な性欲とその禁断症状だと、理解することは放棄した。そしていつまでも目を閉じたままの西田をそこに残したまま立ち上がる。頭を冷やす必要があった。

首を、と新城は今でも思う。
あの首を締め上げてしまいたい。新城以外の何者も写さない目で、新城にだけ笑んでいればいい。そういうことかと新城は笑った。なるほど、確かに好ましい存在だったのだ。猫ではなく、義姉に近いと感じたことはあながち間違いでもなかった。新城のような性格破綻者にとってそれを理解することは背徳の裏側に薄暗い悦びを見出すことと同意である。そのときはただそれだけを理解して、新城は閉じたのだ。すべてを隠すことは新城にとって造作もない行為であったので。

あの首を絞めたかった。
その衝動だけは、いまでもはっきりと覚えている。


(新城と西田。そのうち西田の首を絞めるようになるだろう新城。 / 20061128)