[ タイム、オーバータイム ]



あれから様々な場面で彼を思い出している。死に際も知らない、行先も知れない彼のことを。
最後に見たのは、美しく伸びた背筋と零れるような笑顔。何気ない口調の柔らかい音。無情な命令と、その結果。誰もがそれを理解した上で、だからこそ何も言わなかったあのときのこと。振り返らなかった背中と足跡。彼の猫と彼の顔。もっと前の、すべてのことを。
歩くたびに、食べるたびに、殺すたびに、息をするたびに、いっそ息をするほどごく自然に。そうしてそのたびに溜息と共に目を閉じるのだ。

「よほどの馬鹿か 僕は」

くだらない、くだらない、こんな感傷は全くもって気に入らない。どんなに思い返しても、どれだけ鮮明に描くことができても、その記憶が更新されることはもう二度とないのだ。
後悔しているわけではない。あのときはもうどうにもならなかった、状況が状況で、命令は命令だ。だからそれを悔いているわけではない。ただ思うだけ、そしてそれを無意味だと嗤うだけ。

なぜあのときそれを命じられたのが彼だったのか
なぜあれをもっと早く殺してしまわなかったのか
もしあのときあれを殺せていたら
もしあのとき僕に権限があったなら、
様々な「なぜ」と「もし」が脳内を駆け巡る。

なぜ。
なぜ死ななければならなかったのだろう。西田、西田、西田、なぜ彼だったのだ。
決まっている、これが戦争だからだ。ここが戦場で、僕らはここに人を殺しに来ている。
だからいつどこで誰が殺されようともそれはここにあるかぎりすべて現実であり、受け入れざるをえないことなのだ。戦争だから。
人に殺されることを考えもせずに人を殺させるほど強くもないが、だからといって割り切れるというほど潔くもない。死なせたくない人間もいれば、自分が死にたくないという思いも貪欲だ。そしてどちらが強いかと言えば死にたくない気持ちのほうが強いわけで、結局のところ僕はどこまでも人間なのだろう。あてのない反芻を繰り返し、少しずつ折り合いをつけてやがては風化させようとする。そういうことだ。
つまり彼のすべてはもう二度と僕に届くことはないということ、ただそれだけ。

生きていくことが困難な状況の中でこんなことばかり考えていたくはないのだ。生きて帰ることを諦めないことと、その可能性が限りなく0に近いことを忘れてはいけないことは別のものであると理解しているので。帰りたくなくなってしまうようなことを考えていてはいけないのだ。死ぬことが怖いということを忘れてはいけない、だから今のところ思い出したこともない。
だから僕はきっと彼のことは忘れかけているのだろう。それでいい、それがいいとおもう。

「西田」

誰にも聞こえないように、溜息のように呟いた。吐息の白さと空気の冷たさが生への執着を感じさせてくれるような気がする。西田、西田、にしだ。薄く煙る視界のに、彼のいない世界が写る。なんのことはない、彼がいたときとまるでかわらない光景だ。そういうことである。

できることなら彼の死に際が赤であったことを願う。なんのために、誰のために、思い煩う暇もないほど疾くあればいい。そうして散った赤を、白が隠してしまえばいいとおもう。春になればすべては消える。白に隠れたまま赤はすこしずつ消えていくのだ。いつか僕がそこを訪れることができたら、そこには何もなければいいと思う。何ひとつない光景、それはつまり彼がそこにいることと同じだ。

春が来たら、と僕は思う。
こうして僕は春まで生きる理由を手に入れるのだ。


(西田没後←新城。 / 20061128)