[例えば朝と夜は繋がっているけど重ならない]


例 え ば 朝 と 夜 は 繋 が っ て い る け ど 重 な ら な い



佐助が家にいるときは、元からあまり汚れてもいない小十郎の部屋が異様に磨き上げられるのが慣例となっていた。しまい忘れたものや買ったまま置き場の定まらぬものはあるべき場所へ収納され、今まであったものは小十郎が使いやすいように並び替えられる。フローリングには水拭き、乾拭きのみならず薄くワックスが引かれ、窓ガラスやシンクは顔が映るほど、風呂場の黴やトイレの水垢などもくまなく落とされている。そのあまりの徹底振りに、小十郎は最初少しばかり引いて、潔癖症かと尋ねたことがある。佐助は磨き上げられた部屋の、これまたきちんと埃が掃われたソファに寝そべって、別に?と軽く返した。

「世話になってる以上は掃除くらいはしないとなって思っただけだよ」
「に、してもこれはちょっとやりすぎじゃねえのか」
「だって物が少ねえんですもの。掃除も簡単すぎて気がつくとこんな状態にね」

ああ、迷惑ならやめるけど。
ついでのように付け加えられた佐助の言葉には本当にただそれだけの、それ以上でもそれ以下でもない感情がこめられていて、小十郎が一言迷惑だといえばすぐに手を止めるのだろうと予想がついた。必要以上どころか必要最低限の干渉すらしないのは小十郎が得意とするところだったが、佐助もそれに近いところがあるようだ。
なぜなら佐助は、隅から隅まで磨きたてるような真似をしながら小十郎のプライベートな部分には一切手を出していない。あらゆるものに触れていながらそれを紐解いた形跡はないのだ。どう称していいかわからない居候だとしても、手遊びに本を開くことくらいはしてもいいと思うのだが、それもないようだ。もともと小十郎には人に見られて困るようなものはないので、佐助が好きに弄り回そうがどうしようがどうということもなかったのだが、ここまで何もないとそれはそれで君が悪い気もする。小十郎はしばらく考えてから口を開いた。

「てめえは昼間何してる」
「家事と、…あと昼寝?」
「テレビくらい見たらどうだ」
「んー、別に見たいものもないしなあ。」
「外出は」
「そこのスーパーに行くけど…あとコンビニ?」
「他は?」
「あんまり…だって鍵、かけらんないじゃない」
「お前置き場所も掃除してるだろうが」
「でもあんたの家だし」

なんでもないことのように言い切った佐助の言葉に、小十郎は小さく溜息を吐いた。確かに、ここに住む条件として小十郎の生活に合わせろとは言った。だが、小十郎がいないときまで佐助を縛ろうとは思っていない。そこまで干渉する気はなかった。ここまでするような人間だとは思わなかったので、小十郎のほうが戸惑っているのは確かである。
小十郎はがしがしと頭をかいて、もう一度溜息を吐いた。佐助が何一つ気に病んでいないことが問題だった。同居とはなかなか面倒なものだ。特に、どちらにも問題がないような場合には。

「…鍵がどうとか言うなら、出て行くときにことも気にしろよ」
「ああ…そっか、そうだねえ。今度からはあんたがいるときに出てこうかな」
「面倒くせえ」
「そうだね」

佐助はどうでもよさそうに返事をして、どうでもよさそうな顔でへらりと笑った。


などということを思い出しながら玄関をくぐると、台所から佐助がひょこりと顔を出しておかえりなさい、と言った。小十郎は、ただいま、と反射的に返してからは少しばかり苦く笑う。佐助は、意外とこういうところがきちんとしていた。なんか新婚さんみたいだねえと笑いながら照れることもなくおはようからおやすみまでを表情豊かに告げる。つられた小十郎が、何に困るかといえば佐助がいないときもただいまを口に出してしまうことくらいなのだが。
スーツを脱いでリビングに入ると、食卓の上には若干のおかずと佐助が今回土産として持ち帰った珍味、それからキッチンで油のはねる音がした。あとは天ぷら揚げるだけだから座ってて、と間延びした声が聞こえる。天ぷら。

「ししとうはあるか」
「すきなの?あるけど」
「いや、てめえに当たればいいとおもってな」
「何それ……ああ、辛いの?いいけどさ。天つゆにする?塩にする?カレー粉と塩もおいしいよ」
「天つゆ」
「大根おろしは?もみじおろしにする?」
「ああ」
「で、ご飯は素麺だから」
「天つゆで食えと」
「ははは、うん」

小十郎は、からりと揚がった天ぷらをつゆに沈めながら、目の前で素麺をすする佐助に目を向ける。素麺は夏の残りとして、えびやその他の食材は佐助が買ってきたものだ。使った分は精算するからあとで教えろと言っているのだが、俺が居座るのは数日だし、ガスも電気も勝手に使ってるんだからとかわされてしまう。たしかにそう高い金額でもないのだが、そういう問題でもないような気がする。神妙な顔をしていると、佐助が素麺を飲み込んで言った。

「どしたの?おいしくない?」
「いや、美味いが」
「ああ、酒飲みたかった?」

このまえの俺の土産まだ残ってたねえ取ってこようか、と立ち上がりかけた佐助を制して、小十郎はいいからお前も食えと佐助の皿に天ぷらを盛った。ありがと、と素直に天ぷらを口に運ぶ佐助をまた見るともなしに眺めながらこれは良くないと小十郎は思う。口数ばかり多い、へらへらした人間だと思っていた。面倒ばかりかけられるのではないかと思っていた。けれども蓋を開けてみればこの通りだ。異様に磨き上げられた部屋、作りたての食事、アイロンをかけて畳んだ洗濯物、そして見慣れた赤毛頭。いつの間にか、佐助はすっかり小十郎の生活に溶け込んでいる。ずっといるわけではなくて善かったな、と小十郎は思う。この調子で毎日佐助がここにいれば、それが当たり前になってしまいそうだった。

「お前ー」
「ん?」

佐助はえびを咥えたまま顔を上げる。その顔を見て、小十郎は「どうしてここにいる」と続けかけた言葉を押し込めた。これだけなんでも器用にこなす佐助になら、いくらでも居場所はあるだろう。それほど場所もとらないし気になるほど存在を主張することもない。佐助が持ちかえる土産と同じようなものだ。どこにいてもいいなら、ここにいていけないわけもない。ここにいるというものをわざわざ追い出す必要もないだろう。何しろジャマではないのだから。むぐむぐとえびを噛み締めながら佐助が首を傾げる。何?という顔をした佐助に、だから小十郎は代わりににこう言った。

「次はどこへいく気だ」
「んー…うん、海より山がいいかなあと思ってるけど」
「そうか」
「…あんたがそんなこと聞くのはじめてだね」
「そうだったか?」
「そうだよ。俺の行く先気になる?」
「別に」
「なんだよそれー」
「いや……………そうだな、ちょっと飲むか」

小十郎は立ち上がって、隅においてある日本酒の瓶を取りに行った。話繋がってないんですけど、とぼやく佐助のグラスにも注いでやる。自分のグラスに口をつけてから、小十郎はふと思い出して言った。

「よく考えたらお前まだ未成年じゃないか?」
「そんなの今更じゃね?」

もうずっと前から飲みに行ってるじゃない、と佐助は笑う。そういえば大学の飲み会にいつの間にか顔を出していたな、と小十郎は思う。思い出せるだけでも少なくない回数の中で潰れたところを見たことがないということは、それなりに飲める上に自分の限界も知っているのだろう。今更といえばそれもそうか、と頷いて、小十郎はグラスを傾けた。飲みながら、次はまたいいお酒でも買って来ようかなあと佐助が呟くので、辛い酒がいいと注文をつけておく。できたらね、といつもよりやわらかく笑う佐助を見ていた。

「そろそろ路銀が心もとないから稼げるところに行かないとなー」
「文章書くのはどうだ」
「んーそこまで困ってないかな…書きたかったら書こうかな」
「てめえはそんなんばっかりだな」
「ん?うん、そうだね。でもねえ、その日暮しもけっこうたのしいよ?」
「そーだね、あんまり想像できないね」

あんた見かけよりずっと真面目だし…いやある意味見た目どおりなのかな?と掬い上げるような目つきをする佐助にどういう意味だと凄んで見せると、だからそういうところが見た目どおりなんだよ、と佐助は頭を抱えて逃げる振りをした。顔は生まれつきだし、性格は直しようがないだろうと小十郎は思う。思ったことが顔に出たのだろうか、佐助はへらりと笑った。
笑って、でもそのほうがいいよ、と佐助は言った。

「だってあんたが日暮しになったら俺の帰ってくるとこがなくなっちゃうもの」

さらりと言ってから、佐助はごちそうさまをして食器を運んでいった。キッチンから顔を出してお茶淹れようか、というのを断って、小十郎は作り付けの棚においてある小物入れを覗き込んだ。適当にいろいろなものを放り込んでいたそこすらも整理されていて、やはりまめな奴だと小十郎は思う。そうして、そこから使っていない鍵を取り、少し考えてから手近にあった根付(たしか1年ほど前に佐助が寄越した)を結びつけて佐助に放り投げる。それは、こちらを意識してなかった佐助の頭にぶつかり、鈍い音を立てて床に落ちた。え、痛、なに、と声を上げた佐助は、自分の頭を直撃した物体を拾い上げてまじまじと見つめた。それから小十郎に視線を移し、もう一度手の中の鍵を見つめて言った。

「え、…何?」
「くれてやる」
「えー」
「なんだ」
「…なくしそう」
「バイクのと一緒にしとけ」
「んー?うん」
「…いらないなら返せ」
「いらなくないけど」

でもあんたの家なのにね、と佐助が煮え切らないので、もうお前の家でもあるだろと小十郎が言うと弾かれたように顔を上げた。いつもどおり笑おうとして失敗したその顔があんまりにも情けなかったので、小十郎は少しばかり溜飲を下げる。

「てめえはここに住んでるんだろうが」
「…………うん」
「なら妙な遠慮をするな。俺に細かい機微を求められても困る」
「ん………じゃあ、もらっとく」

ありがとー、と佐助はぽつりと言った。
どうでもいいと思ってしまうのが悪い、と小十郎は思う。結局のところ佐助にも小十郎にも譲れないほど大切なものがないのだ。そこまで何かに興味がないというのが本音だろう。それでも佐助はここにいるし、小十郎もそれに慣れてしまった。誰かとこれほど長く一緒にいることは、小十郎にとって初めての経験だった。
いつの間にか立ち直った佐助が、一緒に住むって難しいねえ、と小十郎が考えたようなことをへらりと笑いながら言うので、その馬鹿みたいに明るい頭をぺしんと叩いておく。佐助は暴力反対ーと騒いだが、やっぱり笑っているので真面目に取り合ってはやらなかった。笑いながら、小さな鍵をぎゅうと握り締めた佐助を見て、もっと早くくれてやればよかったか、とちらりと思った。

じゃあ俺皿洗って寝るけどあんたはまだここにいる?と佐助が言うので、小十郎も自室に引き上げることにした。ソファの下からタオルケットを引きずり出す姿に背を向けると、おやすみなさい、と声がかかる。おやすみ、と片手を上げて、リビングと廊下を繋ぐ扉を閉めた。かすかに響く水音を聞きながら、佐助がいるこれからを少しだけ想像した。それほど悪くもなかった。


次の朝、小十郎が目を覚ますと佐助は既に出て行った後だった。
リビングに昨夜の痕跡は欠片もなく、ひとり分の食事が置かれたテーブルは少しばかり侘しい。そうかもう数日たったんだな、と思いながら小十郎が朝刊を取りに玄関へいくと、扉には鍵がかかっていた。佐助は鍵を持っていったらしい。良い兆候だな、と小十郎は考える。リビングに戻って暖めた味噌汁を啜る。それは確かに佐助の味付けなのに、目の前にあの赤毛頭がいないことに違和感があった。二日もすればおさまるその感覚が、言うなれば佐助が小十郎に残す最大のものである。小十郎は、塵ひとつない部屋を手持ち無沙汰に眺めた。佐助の痕跡は欠片も残っていない。どこまでも小十郎だけの空間では、佐助がここにいたことすらも忘れてしまいそうだった。


…余談として、それから二月ばかりして佐助が持ち帰ったのは甘口のワインとクッション、それから大量のりんごだった。小十郎の要求はまるっと無視されたわけで、まあお土産だし、とへらへら笑った佐助の頭を引っぱたいたのは言うまでもない。
けれどもソファに鎮座したクッションに、明るすぎる佐助の頭が埋まる姿はそう悪くもなかったので、それ以上は何も言わなかった。



[ 例えば朝と夜は繋がっているけど重ならない / 現代パラレル / 小十郎と佐助 ]

同居始めて半年後、歩み寄ってみました。小十郎23・佐助19の秋。
小十郎は家事全般が苦にならないタイプ、佐助はなんでも器用にこなすタイプだと思います。
だって野菜作る人と子守のような忍びだし…子守というなら小十郎のほうがそうだけど。