[さよならのかわりにいってきますを]


さ よ な ら の か わ り に い っ て き ま す を



幸村が進路相談という名の個人面談を終えて教室を出ると、丁度隣の教室から佐助が出てくるところだった。佐助、と声をかければ一拍置いて振り返る。面談中は午後の授業も部活もなく、せっかくなので一緒に帰ることにした。何しろ、幸村と佐助の家は、幸村宅の道場を挟んで向かい合っているので。

「なんか、一緒に帰んの久しぶりだねー」
「ああ、だがもうすぐ部活も引退だからな。そうしたら時間が合う」
「クラスとか部活の奴とかいいの?」
「何がだ。一番家が近いのは佐助だろう」
「ん?うん、それはそうなんだけどそうじゃなくてね…?」
「佐助は別の誰かと帰るのか」
「や、旦那が居るなら旦那と帰るけど」
「ならば俺がそうしたとて何の問題もあるまい」
「…そーですねー」

連れ立って下駄箱へと歩く途中でふと佐助を見ると、中途半端に伸びた前髪をカラフルなピンで留めていた。どうしたんだそれ、と尋ねればクラスのこにうっとーしーから留めろっていわれたー、と妙な抑揚で返される。子、というからには恐らく女子なのだろう。笑いながらありがとー、とピンを受け取る姿が目に浮かぶ。あるいは留めてもらったのだろうか。訊いてみたいと幸村は思う 。
けれどもそれがどうしたと返されてしまえば終いだ。どうというわけでもない幸村は、だから別の話を振る。

「ところで、今日はお前も面談だったのか」
「うん、旦那もやってたんだね。あれ、でも俺が来たとき廊下に旦那居なかったよね?」

俺廊下で前の奴が終わるの10分くらい待ってたんだけど、と佐助は言う。

「何分くらい話してたの」
「30分ほどか?」
「えっ、長っ!俺5分で終わったよ」

それは早すぎるのではないかと幸村が突っ込めば、うんでも提出資料と成績照明で終わったからと佐助は言った。それでも、と眉を潜めた幸村に向かって、特に問題がなければ今の段階ではそんなものだと笑う。
確かに、幸村と佐助とでは受験の意味と形態が異なる。

「佐助は、もう南高に決めておるのだな」
「うん、安いし近いし。旦那は剣道推薦でT高だっけ?」
「うむ、先生方にも兄上にも勧められたのでな。面接の話などを聞いていたら長くなった」
「うーん、期待されてるんだねえ。旦那はなんてったって全国区だから」

T高って高校総体とかすげー行ってる学校だろーレベル違うよなあ、と佐助は言う。 そんなことはない佐助のほうがすごいと返せば、えー俺は何もやってないよとへらへらと笑った。ちなみに佐助が安いし近いといった高校は県内で一番頭のいい学校だ。幸村などは、正攻法では逆立ちしても入ることができないだろう。
逆ならば、ありえるのだけれど。

「お前、T校に来る気はないのか?お前も、別の推薦枠に誘われていたのだろう」
「ん、特待取っても通うの大変そうだしさ」

つまり、金の問題ではなく本人にその意思がないということだと佐助は事も無げに言ってのけた。こうしたことを嫌味なく告げてしまうところが佐助の図太さで、同時に哀しいところだと幸村は思う。いつまでもへらへらと、飄々とした態度の佐助は集団の中で孤立もしない替わりに誰かと深く関わることもない。佐助を友人だという人間は多いだろうが、その逆はもしかしたら片手で足りるほどしか居ないのかもしれなかった。
そして幸村はその片手の中に入っていないのだろうということも。

けれどもそれらは全て幸村の独断に過ぎず、結局のところ確実なのは佐助が幸村と同じ高校に進学する気はないということだけだった。

「………寂しくなるな」
「そーだね」
「しかし、もう遭えなくなる訳ではないしな。休みの日は遊びにいく」
「うーん?んー…うん、そーだねえ」

なんとも歯切れの悪い返答をする、と幸村が佐助を見るともなしに見遣ると、佐助は真っ直ぐ前を向いていた。その顔にいつものへらりとした笑みはなく、変わりに唇の端をわずかに歪めただけの空虚な表情が見えた。
妙な顔をする、と幸村は思った。


この顔は一度だけ見たことがある。
二年前の春、中学生になったばかりの頃だった。


今更になるが、佐助の髪はとても明るい色をしている。何もしなくても再度の高い茶色、光を浴びれば茶を通り越して赤く透ける。その髪を適当に伸ばして、傍目からはへらへらとした態度を取る佐助は、昔からよく中傷を受けていた。大人達の密やかな陰口から子供達の純粋な暴言、果ては同年代によるあらゆる暴力まで挙げていけば限りがない。
幸村は、その頭の色が染めたものではなく、イギリス人だった彼の祖母の血を継いでいるのだということを知っていたが、佐助はあらゆる迫害の中でそうしたことを一度も口にしなかった。
一度も、と言い切ってしまえるほど幸村は佐助の過去を知っている。
生まれたころからずっと一緒だった。何もかもとは言わずとも、ほとんど全ては知っているのだと思い上がっていた。恐らく祖母を引き合いに出さないのは彼の矜持であり、その髪の色に誇りを持っているからなのだろうと傲慢にも分かったようなつもりになっていたのだ。本当はなにひとつ重なってなどいなかったのに。

恐らく、あの一言は言ってはいけない言葉だったのだろう。

きれいなのに、といったのだ。
ある日の放課後、陰湿な上級生に殴られて蹴られて、佐助の居場所を探し当てて止めに入った幸村を庇ってまた殴られた痕を擦る佐助に向かって言った。

「こんなにきれいなのに何が悪いのだろうな」
「………はぁ?」

返ってきたのは至極間の抜けた声だった。既に嫌な色になり始めた顔の痣と固まりかけた鼻血の中、薄く開いた唇の間から、まるで信じられないものを聞いたときのように。

「何が、って、何が?」
「佐助の髪がきれいだから先輩方は佐助を殴るのだろう?なぜなのだ?」
「…え、いや………え?や、旦那、別に、きれいだから殴られてるわけじゃないと思うんですけど」
「では何故だ」
「なぜだって、…えー?」

佐助はああでもないこうでもないと暫く唸っていたが、やがておそるおそる切り出した所によれば、だからつまり俺は髪を染めてるようにしか見えないでしょ、しかもすげえ派手な色に、で・そこに俺の顔とか生活態度とか言動とかそういうものを合わせるとあの人たちの癇に障るんでしょ、えーとなんていうか、ほら、その…、

「粋がってるんじゃねえよ、ってやつなんじゃないの?」

言い切ったあとで、あーもう恥ずかしいこと言わせないでよこれくらい分かっててよ!!となぜか佐助が怒っていたようだったが、幸村にはさっぱり理由が分からないのだった。

「だが佐助の髪は生まれたときからその色だろう」
「ん、そうだね」
「染めてはいないだろう」
「ん、でもあの人たちは知らないし」
「言えばいいではないか」
「うーん……んーー、旦那は理由を知ってるんだっけ?」
「佐助の祖母殿が英国人だったのだろう?昔佐助の母上にお聞きした」
「あー…そっかそう聞いてるんだ、昔って、かなり昔なのね」
「違うのか?」
「んー、間違ってはないんだけど祖母ちゃんていうか曾祖母ちゃんだから…俺は全然遭ったことないんだよ」

写真なんかもないし、父さんもほとんど覚えてないっていうし、祖母ちゃんも死んじゃってるし…、と佐助は続ける。掻い摘んで説明するところによれば、英国人だったのは佐助の父方の祖母の母らしい。なかなか遠い上に分かりにくい。幸村が頭を抱えていると、ね、という声がした。

「わかんないでしょ。しかも曾祖母ちゃんは金髪だったらしいし、俺のほかは家族全員普通に髪黒いし。祖母ちゃんは俺と似てたけど染めてたからこれが地毛だって証明するのがすげーむずかしいんだよね」

隔世遺伝てやつなんだねー、すごいよねー遺伝子って迷惑だよねー、と呟きながらへらりと佐助は笑った。幸村は、佐助が笑ったことが悔しくて佐助に食って掛かった。それでも佐助は何もしていないのだろう、このように殴られる謂れはないではないかと。

「やー、でも態度が悪いのは髪のせいじゃないし?」
「戯け、佐助は不真面目に見えるだけで本当は成績も素行も良いではないか!」
「うーん、旦那はずっと俺と一緒に居たからねえ……………」

いいながら佐助は曖昧に笑う。塞がらない傷が痛むのか軽く目を閉じて、それからまた幸村を見た。

「ていうか旦那こそ、俺と一緒に居るとなんかいろいろあるじゃん。それこそ謂れのない暴力じゃないの。もういいんだよ俺の世話とかしなくて、」
「俺は佐助のそばを離れる気はないぞ」
「えー。いいよ、もういいって。もう十分だよ」

佐助はそういいながら、形の良い手をひらひらと振る。
本当ならば、人の殴り方も知らないような素人の中学生など一瞬で沈めることができる腕だと幸村は知っている。小さな頃から、ふたりで片端から武術を習ってきたのだ。現在幸村は実家の道場で剣道を、佐助は趣味の範囲で合気道を今でも続けている。
だから、知らないというのは怖いことだと、幸村は思っている。
何もかも知っておきたいわけではない、知るべき事だけは知っておかなければならないのだ。
白い手を取って両手で握り絞める。ちょっ、痛いよ旦那とさして重大なことでもなさそうに佐助が呟いた。その声は聞こえないことにして、佐助の手を握り締めたまま幸村は言う。

「俺が、佐助と一緒にいたいのだ」
「……えー…」
「それが、嫌か」
「嫌って」
「嫌なのか」
「俺のせいで旦那がどうにかなんのはやだよ」
「佐助のせいではないだろう」
「俺のせいだよ」
「違う。何も知らない先輩形が悪いのだ」
「でも知らせないのは俺だし」
「知ろうともせずに殴りかかるほうが悪いのだ」

単純な押し問答は、わかった、と佐助が折れる形で終わった。
佐助がもう今更だったねとしみじみと呟くので、当たり前だと幸村は返した。
ようやく幸村が離した手を何度か握り締めて、佐助はなにやら唸っている。

「なんだ?」
「……じゃあ俺、髪染めよっかな」
「何?」
「黒くしよっかな、ってこと」
「染髪は校則違反なのだろう」
「黒くするのはいいんじゃないの?俺最初に学生指導に呼び出されたとき、一応8分の1向こうの血が入ってるんだって言ったら、目に付かないくらいに染めるのは構わないって言われたよ」
「…何故だ?」
「殴られたりするからじゃないの」
「何故だ」
「知らない。人と違うのは駄目なんじゃないの」
「適当に答えるな」
「だって知らないもん。俺別に茶髪金髪見ても殴りたくなんないもん」

そんなことは当たり前だと幸村は声を荒げそうになって、寸でのところで思いとどまる。
殴りたくなる人間が居るのだ。 髪の色だけではないのかもしれない、何か理由があるのかもしれない、けれども確かにひとつの要因として、佐助の髪が明るい色だから殴りたくなる人間が居るのだと、幸村はもう知っているのだ。
分からないから知らなくても構わないということはないのだと、佐助も幸村も嫌になるほど知っていたのだ。

「…黒く染めれば、佐助は殴られなくなるのか?」
「外見だけ気にしてるような人からは、たぶんね」
「染めなければ殴られるか」
「まあ、ほとぼりが冷めるまで暫くはね」
「………佐助」
「うん」

うん、と佐助は答える。佐助の声はいつだって明瞭で明確なのに、支えのない梯子のように不安定で不確定だ。その言葉のどこに意味があるのか、幸村はたまにわからなくなってしまう。誰よりも近かったはずだ。否、誰よりも近いのに。何も分からない。
それでも、と幸村は思う。

「佐助」
「なあに」
「それでも俺は、佐助の髪の色が好きだ」
「へ」
「そのままの髪がきれいだとおもうし、きれいな髪をした佐助がすきだ」
「…え、」
「佐助がすきだ」
「…………ぇ、」

少しずつ小さくなる声に焦れて、もういちどすきだ、と言おうとしたところで幸村はぽかんと口を開いた。佐助が笑っていなかったからだ。佐助という人間は良くも悪くもいつでも笑っている人間だった。一番多いのがへらへらとした笑いでその次が苦笑、怒る時ですら薄笑いを浮かべている。その顔がまた癇に障るのだと遠くへ意識を飛ばしかけ、いやそうではないと幸村は首を振る。

「ど、うした、佐助」
「…ううん」
「うん?」
「うん…」

佐助は少しだけ目を見開いて、旦那がそういってくれるなら俺はそれでいいよと言った。
旦那がずっと、ずっとそういってくれるなら俺はそれで十分だよ、と
ここではないどこかを見つめるような目で、真摯というには透明すぎる声で呟いた。
佐助が幸村の前で笑わなかったのはそのとき一度だけだった。



曖昧な返事をした佐助の表情は、あの時の顔によく似ている。
ふたりでゆっくりと歩いてきたのに、気づけば家まであと少しだった。
あの時、本当は何を言えばよかったのかを幸村はずっと考えていた。あれから校内に少しずつ逃げ場を見つけ、すこしずつでも折り合いをつけていった佐助を尻目に、 どうすれば佐助が楽になれるのかをずっと考えていたのだ。まだ答えは出ない。佐助のことが、幸村には分からないのだということが分かるだけだ。それでも、今ここで、このままこの顔をした佐助と分かれてはいけないとそれだけは分かる。

「佐助」
「うん?」

佐助がゆっくりと振り返る。その顔に笑みのない理由は分からず、歯切れの悪い佐助の言葉を問いただすことも、幸村にはできないのだけれど。幸村の中でただひとつだけ、昔から今、未来に至るまで何があっても変わらないことだけを佐助に告げようと思った。
ゆっくりと口を開いて佐助に言う。

「俺は何があっても佐助がすきだからな」
「え、何よ突然。愛の告白とか?」
「まあそのようなものだ。受け取っておけ」
「えー、俺はおんなのこがすきだなー」
「俺もだ」
「…うんごめん、おれもすきだよ旦那のこと」
「知ってる」
「知ってるんだー。まあ俺も知ってるけど」

佐助は顔色を変えなかった。否定はせず、下手な揶揄も幸村に向けて本気で発しているとは思えない。すきだと、そうだすきだということは知っている。幸村も佐助も、知っている。 けれども佐助はしばらくしてからほんの少しだけ目を泳がせて、ねえ旦那とぽつりと言った。幸村がなんだと促せば、半開きの口からうーだのあーだのえーだの言葉を成さない音が聞こえる。それでも最後に言うことには、

「…何があっても?」
「何があっても」
「…へー、ふーん…そっかあ…」

前髪をあげた佐助の顔は少しばかり幼く見える。その顔から覇気のない相槌が聞こえて、佐助は無声音がすきなのだなと幸村は益体もないことを考えた。そうして、 何があってもねー、何があっても…、えーなにそれ俺愛されてるー、などと呟く佐助の顔に先ほどまでのある種の悲壮感はなく、しばらくしてから幸村に向かってありがとね、といつもの顔でへらりと笑った。


[ さよならのかわりにいってきますを / 現代パラレル / 幸村と佐助 ]

佐助失踪半年前、幸村・佐助15歳。
佐助は高校1年の5月2日にいなくなったという設定なので中学3年の進路決定の頃。
佐助が幸村と同じ高校に行かなかったのは勿論その頃から放浪を決めていたからです。
髪の話とか出生の話とか…変な設定作ってしまった なあ。

あー、このふたりは別にそういうすきじゃないふたりです。 でもオーラルくらいならしててもおかしくないと思います。