[華美な幕開けというには儚く脆弱な]


華 美 な 幕 開 け と い う に は 儚 く 脆 弱 な



「ええと、その、粗茶ですが」
「ああ、すまんな」

いいえー、と佐助は笑って、それからげっそりと溜息を吐いた。なんでこんなことになってるんだっけ?!ともう何度目になるかわからない愚痴をこぼす。あくまで心の中でだが。佐助の逡巡など知りもしない目の前の男は、無骨な手からは想像もつかない美しい所作で湯飲みを傾ける。ああ、武士なのだ。それも飛び切り上等な。そんなことは知っている。
知っているから困るんだよ、と佐助は小さく溜息を落とした。


ここは信州の、真田が治める上田城である。
信州は山国で、冬になれば当然隔絶された台地というしかない風景が広がるような場所だ。そんなところに、突然現れたのが奥州筆頭独眼竜伊達政宗とその右目である片倉小十郎景綱である。すわ奇襲か討ち入りか、と城が沸いたのはもう一刻ほど前のことだろうか。雑兵を瞬く間に蹴散らした独眼竜が、あわてて駆けつけた佐助に向かっていうことには「真田の城は客人をまともに招くこともできねえのか?」客人。客人て。
しばらく呆然とした佐助に向かって、独眼竜の後ろに控えた右目が差し出したのは冬野菜である。思わず受け取ってしまってから、とにかくこの二人相手に門を閉ざしても無駄なのでとりあえず迎え入れたのだった。何しに来たんだこの人たちと今更聞けなかったのは佐助のせいではないと思う。だいたいわざわざ真冬にやってくる意味が佐助にはもうわからない。奥州ほど雪深くないとはいえここまでくるためには相当の距離と時間を要するはずだ。冬だから、暇だからだと独眼竜は笑ったが、そういう問題ではない気がする。奥州筆頭ともあろうものが満足な供もつけずに家老と二人で格下の真田を訪れること自体が間違っている。間違っているといえば、そうした異常の全てを当然のように受け入れて、今は二人で部屋に篭ってしまった幸村も幸村である。もうちょっと警戒とか!そういうのを!してもいいんじゃねえの?!と、戦時以外は非情に頭の軽い主を揺さぶりたかったのをぐっとこらえた自分を褒めて欲しいと佐助は思う。

が、問題はそこからだ。そもそも佐助が門前に姿を現したのは独眼竜と龍の右目を止められるだけの力を持ったものが佐助しかいないから、というひどく排他的な理由だった。そして二人の目的が上田城の攻撃ではなかった以上、佐助の役目はそこで終るはずである。案内まで任されてしまったのは成り行きでしかない。そもそも佐助の専門は戦忍びで、だから本来ならば主とまともな言葉を交わせる身分ですらないのだが、主が佐助を離さないのでいつのまにか周りも折れてしまった。佐助としてはどちらにしても主を守るだけなのでいつも側にいられる状況のほうが楽でいいと思っていた。…いたのだが。それはもういいのだが。

(でも、それでなんで俺がこの人と差し向かいで座ってなきゃいけないわけですか?)

佐助の前で湯飲みを傾けているのは、独眼竜の右目と謳われる片倉小十郎景綱その人である。戦場で、佐助も何度か向き合った。頬を横切る傷跡にかき上げられた髪、鋭い眼光、人を威圧するところは否めないがまあ随分いい男だと思った記憶がある。けれどそれ以上に意識を埋めるのは、ただひたすら主を追う目だったことも覚えている。ああこの人は、ほんとうに独眼竜だけをみているんだなと、すこしも重ならない視線の隙間で笑った。
が、それは全てが入り乱れる戦場だったから起きた出会いだ。戦ではなく、はたまた敵同士でも―味方ではないとしても―ない、いわば平時には一介の忍びである佐助と城代家老の小十郎が顔を合わせることなど赦されるはずがない。

「…とおもうんだけどなあ…」
「何をだ」
「え、いや、こっちの話ですよ」

独り言を聞きとがめられて、佐助は曖昧に笑った。
幸村の部屋に案内するところで終わりだと思ったのだ。あとはどうにでも、幸村とその家臣がどうにかしてくれるのだろうと。それでは、片倉殿はこちらの部屋で佐助と休んでいてくだされと、主が言うまでは。ちょっと待て、と今度こそ佐助は叫んだ。声に驚いて、幸村は佐助を振り返る。その襟首を掴み、戸の影に引きずり込んで声を潜めた。旦那この人が誰かわかってる奥州筆頭独眼竜の右目と称される片倉小十郎景綱様ですよ?!一介の忍び風情がまともに顔合わせたりできるような身分じゃないんだよっていうか実際あんたより身分高いんだよわかる?!!わかるよねえ?!と一気にまくし立てれば、主はひとつ瞬きをして首を傾げた。

「それがどうかしたのか?」
「どうかしたのかっていうかあんたがどうかしちゃったんじゃないかって俺はそれが心配ですよ。あのねえ旦那は俺を人として扱ってくれるけど、普通は忍びとか、そういうのは道具でしかないのよ」

ね、道具が人と話したり、お茶を出したりしたらおかしいでしょ?
噛んで含めるように言い募ると、主の眉間に皺が寄った。「己を卑下するようなことを言うな」と主はつぶやく。うん、そう、そういう反応は嬉しいんだけど今は違うよね。客人待たせてる場合じゃないしね…ね?おいちょっと、人の話を聞け。ぐぐ、とさらに皺を深くした主は、戸の陰から出て小十郎に向き直った。佐助も腕を掴まれて引きずり出される。そうして主が言うことには、

「片倉殿、この者は某の忍びで猿飛佐助と申します」
「ああ、名前はよく聞く」
「真に恐悦でござる。これは某の腹心なのですが…片倉殿は佐助がお嫌いでしょうか?」
「はっ?ちょっ、と旦那、」

あんた行き成り何を聞いてるんだ、という佐助の声は、「別に嫌いじゃねえな」という小十郎の低い声に掻き消された。あんたも何を答えてるんだ!という突っ込みが佐助の脳内で形成される前に、頭上では何事もなかったように会話が交わされている。

「それでは、佐助のもてなしを受けていただけるでしょうか」
「俺は構わん」
「それはようございました。それでは、どうぞごゆるりと」

しっかりもてなすでござるよ佐助、と戦時以外は至って頭の軽い主は笑った。そういう問題じゃねえええええ!!!という佐助の血を吐くような叫びは、かたんと閉てられた襖に吸い取られて消えた。残されたのはがっくりと膝を突いた佐助と、何を考えているのか皆目見当のつかない片倉小十郎景綱である。ちくしょうもう訳わかんねえなんなのあの人。
それで俺はどうすりゃ良い、と小十郎に促されるに至って、佐助はとうとう諦めて――どうぞお座りください。と座布団を敷いたのだった。

(とりあえず、お茶か?)

そうしてあわただしく茶の用意をして、向かい合った空間には気まずい空気が流れている。と、思っているのは佐助だけなのだろうか。目の前の小十郎は平然とした顔で、茶菓子とともに用意したみかんを剥き始めた。ええ、あんたみかん食べるのその顔で?と、小十郎に知られれば殴られそうなことを考えながら見ていると、てめえも食いたいのか、と見当違いの言葉がかかる。いや別に、と口ごもれば、はっきりしろという言葉とともにみかんが飛んできた。あわてて受け止めると、小十郎は鼻で笑った。

「顔面を狙ったんだがな」
「…食べ物を粗末にしないでくださいよ」

佐助がうんざりとした顔で告げると、そのまま食えばいい話だろうと事も無げに返された。いや、だから俺は一刻も早くこの空間から逃げ出したんですけど。幸村が血迷って自室で政宗と戦いだしたりしないだろうか。そうすればすぐにでもここを出て行けるのに。もちろん都合よくそんなことが起こるはずもなくて、佐助の目の前に小十郎が鎮座する状況は何も変わらないのだった。
もういいや、と佐助は投げやりにみかんを剥きはじめた。…のだが。

「おい忍び」
「はい?」
「なんだその皮の剥き方は」
「はあ?」

佐助は剥きかけのみかんを手に首をかしげた。武士には忍びとは違う剥き方があるのだろうか。いやそんなことないよなこの人普通に剥いてたよな。じゃあ何?と言う顔をした佐助に、小十郎は生真面目な顔のまま「どうして筋を取る」と言った。えっ何この人、と佐助は思う。たしかに佐助はみかんの筋を取る。そのほうが美味いとおもうからだ。というよりも、

「なんかやじゃないですかこれ、口に入れたときざらざらするし」
「そんなもん一瞬だろうが。噛めば消える」
「その一瞬が嫌なんですよ」
「そこに一番栄養があるらしいぞ」
「や、別にこんなものから栄養取らなくても俺様野菜食ってますし」
「そういう問題じゃねえ」
「ええ?」

じゃあなんで栄養とか言い出したの、とは小十郎の顔が恐ろしくていえなかった。要するに気に入らないのだろう。みかんの筋ひとつが。もうやだなにこのひと、変な人。なんで人がみかん剥くところじっと見てるの?怖いんですけど。剥きかけのみかんを手にしたまま佐助が途方に暮れていると、小十郎は言う。

「食わねえのか」
「…筋とっていいですか?」
「ダメだ」
「別にあんたに強要してるわけじゃないんだから赦してくださいよ」
「俺の前で食う以上は許さん」
「これ俺が持ってきたんですけど」

あとすきでここにいるわけでもないんですけど…。なけなしの反論は喉の奥にとどめて、佐助は仕方なく筋の残るみかんを口に運んだ。たかがみかんの筋ひとつで、相手の機嫌を損ねるわけにも行かない。

(ああやっぱりざらざらするー)

なるべく急いで噛んで飲み込むと、小十郎にまずそうに食うなと言われた。だからどうして小十郎は佐助を見ているのだろうか。他にすることがないのはわかるけれども(佐助も小十郎を見ていたけれども)それを口に出すことはないだろう。

「そんなに嫌なのか?」
「…別に…」

別に、食べられないものではないことは知っているし食べられないわけでもない。食べたくないだけだ。そう告げると、小十郎は薄く唇を歪めて笑った。

「面倒なことを言う忍びだな」
「面倒って…忍びにすききらいがあっちゃいけませんかね」
「普通は言わねえだろう」
「み、………」

右目の旦那に普通を問われたくないんですけどね、と言いそうになって佐助は辛うじて続きを飲み込んだ。右目の旦那。戦場ではそう呼んだ。けれども今はどう呼べばいいのだろう。幸村は片倉殿と呼んでいたが、佐助にそれは許されないだろう。ではなんと?

「なんだ」
「いえ、…あ、なた様?に、そういうことを言われたくないんですけど」

あなた様は違ったかな、と思いながら口に出すと、案の定小十郎は遠慮なく噴出した。そりゃなんだ、と言うのでなんて呼べばいいのかわからねーんですよ!!と言い返す。小十郎は暫く考えてから、「すきに呼べ」と突き放した。もうやだこの人。それがわからないから妙なことになるんだろうが、と佐助が毒づいていると、小十郎は言った。

「さっきは呼んだだろうが」
「え?」
「俺の名を知らねえわけじゃねえんだろ?」
「え?…片倉小十郎、景綱、様?」

立派な名前を口に出すと、小十郎は全部呼ぶ必要があるのか?と首を傾げた。たしかに毎回呼ぶには長い気もする。それなら片倉様、と言えば「何か違うな」と切り捨てられた。ええとそうすると小十郎様?と続ければ行き成り名前呼びかと鼻で笑われる。行き成りじゃなければいいのかとか、そういう突っ込みはじっと我慢して、じゃあ片倉さん!と言い募ると「てめえにさん付けされると気持ち悪いな」などと真面目な顔で言うので反応に困った。きもちわるいも何も、佐助と小十郎は初対面に近いので言われる筋合いではないのだが。というか全然好きに呼べてないんですけど、と佐助が呟くと、小十郎もそうだな、と言って笑った。そうだな、じゃないんだよ!とはもう突っ込む気も起こらない佐助に、小十郎は尋ねた。

「お前」
「はい?」
「真田のことは何で呼んでるんだ?」
「え?旦那」
「ああ」

小十郎は暫く首を捻ってから、それだな、と言った。

「それでいい」
「は?」
「呼んでみろ」
「片倉の旦那」
「決まりだな」

これからはそう呼べ、と言った小十郎を見て、佐助はこの人やっぱり変な人だ、と思う。佐助には全く意味のわからないやり取りだった。というか特に意味のないやり取りだったと思う。おそらく右目の旦那、でも小十郎は満足したのだろう。片倉の、旦那。なんだか似合い過ぎていて嫌だな、と佐助は思う。黙り込んだ佐助に、小十郎が言った。

「どうした忍び」
「いや何も…え、ていうか、俺は『忍び』のままなんですか」
「忍びは忍びだろう」
「ああ、まあそうなんですけどね…」
「歯切れが悪ぃな」

んー、と唸って、まあもうここまできたら無礼講じゃね、と思いながら佐助は言う。

「奥州伊達軍は、は忍びが嫌いだって聞いてたんでー」
「ああん?別に好きも嫌いもねえだろ」
「まあ普通はどうでもいいものですよねえ…うちの旦那は、忍びがすきなもんで」

こっちが困るくらいに、とは心の中で付け加えるに留めておく。嬉しくないわけではないのだ。側に在りたいとも思っている。ただ、佐助は自分の身の程を知りすぎていた。いつでも切り捨てられる存在でなければならない、筈だ。それが、忍びだ。どうでもいいですよねえ、と佐助が自嘲気味に薄く笑うと、そうは言ってねえと小十郎は言った。

「どうでもいいわけじゃねえよ」
「へ?」
「ああ、…そうだな。忍び全般がてめえみたいだったらすきになるかもしれねえな」
「はっ??」
「何だその気のない返事は」
「え…、だって」

一介の忍びのことなんて片倉の旦那が気にかけるようなことじゃあないでしょう、と佐助がいうと、小十郎は人を小馬鹿にしたような顔でそりゃあ笑えねえ冗談だ、と笑った。そして、

「てめえが一介の忍びだったら、そんなもんに圧された伊達軍はどうなる」

と言った。

「てめえみたいな忍びは―まあ、嫌いじゃねえ」
「……」
「どうした忍び。何を呆けてやがる」

嫌いじゃないって。ええ。俺とこの人って、ほとんど面識ないんですけど。旦那に付き合って摺上原とか長谷堂城とか…行ったけど。行ったけどさ。俺は、この人のこと結構知ってるけどさ。この人が俺のこと知ってるわけないじゃん。知る必要もないでしょう。どれも声にはならなくて、佐助はぱくぱくと口を動かした。顔が赤くなった気がする。小十郎は少しばかり目を眇めて、まあこれでも食え。とまたみかんを放った。呆けていた佐助は今度こそそれを顔面で受け止めてしまって、それでようやく我に返った。小十郎は指でも指しそうな勢いで佐助を笑っている。

(何を、笑って、この人は…!)

転がったみかんを拾い上げて、佐助は尋ねた。

「筋、取ってもいいですかね」
「ダメだっつっただろ」
「えー」

それではまたざらざらした食感を味わうのか。隙を見て、とちらりと顔を上げれば、小十郎は当然のように佐助を見ている。隙も何もあったものではない。だから怖いんだって、と小さく呟くが、小十郎はやはり佐助を見ていた。へんなひと、とこれは心の中で呟いて、そしてまあいいか、と佐助は思った。みかんの筋ひとつで会話が成り立つのなら、それも悪くはなかった。



[ 華美な幕開けというには儚く脆弱な / 小十郎と佐助 ]

何の話?(総合突っ込み)いや、最初はみかんの剥き方の、話でした。
それだけなんであんまり意味はないです。一応、片倉→佐助のつもりでしたがよくわからない。
ていうかほんとに何しにきたんでしょうか、この人。真冬の奥州→信州はたぶん、道中で死ねます。