[貴方の確かな死の中で、私は確かに生きている]

最後の一人を斬って仰向けに倒れこんだ時に見えたのは雲ひとつ無い青空だった。
透き通るようなその色が血まみれの戦場にはあまりにも似合わなくて思わず笑い出しそうになる。近くの敵は全て薙ぎ払い焼き払った。この場で動いているのは幸村だけである。つまり、今ここで幸村が動かなくなっても誰ひとりそれを知るものはないということだ。こらえきれなくなった笑いがくつり、と咽喉の奥から漏れる。ああ、なんて愚かしいことを。
少しばかり狂気じみた気分であった。

初めは恐ろしかったはずの腐臭に慣れている自分に気付いたのはいつだったろうか。ここでは毎日当たり前のように人が死んで、当たり前のように敵を殺して、どんなに上洛という大義を叫んでもゆるやかに上滑りしたまま日々は過ぎる。気付く間もなく戦いを楽しんでいる己がいて、殺すために戦っているのか、戦うから殺すのか、何のための戦いなのか、それすら分からなくなりそうだった。

あるいは最初から理由など無いのかもしれなかった。
何を思っても何を思わなくとも幸村は人を斬る。名分であろうと、それが大義に繋がるからだ。主君の意思を形にする、それ以外の生き方を幸村は知らないし、これから知る気もない。武士として生きるだけ生きて死ぬことが武門の誉れだと幸村は思う。


それではむしろ狂ってしまったほうが楽だろうか、と考える。何も感じることなく、何も感じないことをおかしいと感じることもなく、ただ無心に敵を斬ることができれば。楽ではあるだろう、と幸村は目を細めて笑う。ただそれでは意味がないのだとも。戦うだけでよいのなら幸村が武士である必要はない。誰もが―畏怖とともに賞賛を向けるような人間でなくてはならないのだ。ひとりで戦うことが赦されない以上、少なくとも自分のために死ぬ大勢の人間がいる間は虚勢を張らなければならない。虚構だと気付かれぬよう細心の注意を払っていることを、幸村以外の誰が知るだろうか。

(…ああ、)

あれは知っているかもしれない、と幸村はぼんやりと思う。一番近しい、幸村の忍び。
忍びにしてはひどく気安く明るく軽く、それでいてまるで気負うことのないおかしな忍び。あれも虚構だと幸村は知っている。はるか昔に忍び自身に教えられた。忍びは誰にでも分かるものであって誰でもないものにならなければならない、誰でもないものになりたければ誰にも本当の自分を見せるなと、寝物語に聞かされたのだ。
それは誰にも愛されない妾腹の第二子に対する憐憫だったのかもしれないし、これから先誰も愛することのないだろう可哀想なこどもに対しての慈悲だったのかも知れない。どちらにしても幸村は忍びの言葉を実践してここまで生き延びてきた。
そうまでして、いやそうまでしたからこそ、幸村と忍びは同じものだった。同じであるがゆえにひとつになることも出来ず、かといって離れることに意味もない。幸村は少しばかり感傷に浸りながら、虚構と虚構で忍びと幸村は繋がっているのだ、とひとりごちる。最高に陳腐で最高にくだらない。

見上げた空が眩しくなって、太陽に手を翳した。少しばかり流した血がぱたりと落ちる。血が通っている。まだ、生きている。それは酷く苦しくて脆いことだと幸村は知っていた。死は恐怖ではなくいつか訪れる唯一の救いだ。幸村にも、恐らく忍びにも。

必ずやってくるその時は、今まで斬った者たちと同じように無残で惨めであれば良い。首のない骸をだらしなく弛緩させて、ゆるやかに朽ちていくのだ。できるならばその隣に幸村の忍びの姿もあれば良い。どこまでも幸村のもので在ろうとする忍びに返せるものはそれくらいしかない。

武士ではない部分で幸村が望むことは、今のところただそれだけである。


[ 貴方の確かな死の中で、私は確かに生きている / 真田幸村(主従) ]
薄暗くて申し訳ありません。[神様が死なないように信じてあげる]の佐助と呼応する幸村です。
うちの幸村は妾腹じゃないんですがここではそういう設定で。 死は開放だとおもっている、ふたりです。