[神様が死なないように信じてあげる]

主のためなら死んでもいいと思ったことは実のところ一度もない。

一度も振り返らずに敵を薙ぎ倒してゆく主の姿を遠くに認めつつ残党を切り裂いてゆく。すでに戦意など欠片も残らないそれらを払うことはあまりにも機械的で、いっそ自分達で死んでくれないだろうかと無感動に血を浴びていた。もちろん避けることは造作もないが、戦場ではこの方が空気に紛れやすい。

たとえば、先を行く彼の主などは当然のように「お館様のためなら死をも厭わない覚悟であります!!」と叫ぶのだろう。だろうというか常に叫んでいるし廻りもそれを当然のように受け入れている。そう、それは当然のことなのだ、彼は武士なのだから。大名の子として、生まれたときからいずれ戦場を駆ける身として育てられた人間だ。勿論彼は死のうとしているわけではない。死んでもいいと思っているだけで最後まで生きる覚悟も持っている。その高潔さも光陰もすべて成るべくして成ったものである以上彼にそれ以外の、そしてそれ以上の生き方はない。佐助とは違って。

死に物狂いで突き出された切っ先を音もなく払い落として(避けてもよかったが真っ向から向き合うほうが力量の差を突きつけてやれる)無感動に首筋へ狙 いをつけた。赤い筋が走り、一瞬後に生暖かい鮮血が降り注ぐ。叫ぶ間もなく崩れ落ちた死体には目もくれず、ひたすら遠い赤を追う。どれだけ新しい血を浴びてもやがてはどす黒く染まるこんな体とは違う、まっさらな赤へ。

一緒に生きていたいなどという戯言を真に受けたわけではない。いずれ戦禍が過ぎ去れば戦忍などは滅びる定めだろうし、あらゆる機密を知り尽くした佐助などはどこかへ寝返る前に口を封じられる可能性すらある。それはそれでいいと思っているのだ。佐助は忍びなのだから、忍びとして生きることすらなく闇に葬られるべきだと思っている。
但しその理由だけは、主に預ける気はないのだ。
主のために生を賭して戦場を駆ける姿を人は気高いというけれど、果たしてそれは褒め言葉なのだろうか。人よりも気高いということは手が届かないということだ。常識や理解の範疇を超えるものはすなわち逸脱であり解脱であり、解脱は狂気と紙一重だ。どちらに傾いているにせよ振り切ってしまえば異端には違いない。
只管に走り抜ける彼には他の道など見えて、いや用意すらされていないのだろう。踏み外したならそれは即ち破滅を意味する。命を賭しているのではない、そうするしかないのだ。

どこまでも血に染まる戦場にあって尚赤い彼の主はどこまで走ってゆけるだろうか。
どこまでも、理由さえ見失わなければどこまでも行けるのだろうが。はじめから上限の用意された自由など、いつか主が掬い上げた赤い魚よりも歪なものだ。少なくともあれには漫然と飼い殺しにされる以外に跳ねて逃げるという道が用意されていた。たとえその結果が干からびることであったとしても。

(あの時主はー)

泣いていたのは覚えている。だがそれは魚を亡くした悲しみではなかった。こんな場所に閉じ込めた某が悪かったのだ、許せ。すでに動かぬ、元より物言わぬ生物に対しての懺悔にどこか得体の知れぬ怖気が背筋を伝った。それでは、彼の前では死すらも彼のものになってしまうのだろうか。
無造作に命を刈り取る二槍の中で主が今も涙を流していることを知っている。だがそれは死者に対する悼みなどではなくそれを与えてしまった自分への戒めだ。人殺しを好んでいるわけではないがその先を見ている主にとってそれはもう純然たる手段でしかないのだ。好むと好まざるとに関わらずそれしかないのならば躊躇うことはない。
つまるところ彼の主はどこまでも律儀なのだ。いつだって線を踏み越えてくるくせに義務だけはきっちりと果たそうとする。その線引きがこちらにとってはぎりぎりの線だということを慮りもせずに。


だから、
だから―――。

「佐助ェ!!」

主の声でふと我に返ると、目の前にいた敵の腹から槍の穂先が生えていた。勿論意識せずとも手は動いているので佐助の手裏剣も胸を割っている。いつの間にかまっさらな赤に追いついていたらしい。わずかに視線が交差したあと、ふたりに挟まれた死体がごぶりと嫌な音を立てて血を吐いた。

「大将首は?」
「討ち取った」
「そ」

短く尋ねると同じだけ簡潔な応えが返る。互いに武器を引いて、背中合わせに立ち位置を変えた。無造作に放られた首級を受け取って小脇に抱える。二槍は片手では振るえないのだ。
将を討ち取られたにもかかわらず、いつまでも湧いて出る雑兵をふたりで捻じ伏せてゆく。平時に無駄な犠牲を出さぬためには、戦場での皆殺しが鉄則なのだ。復讐の芽を積み残さぬよう、今ここで全てを濯ぐことが禍根を防ぐ方法である。
忍びの立場を否定しながら忍びの役割だけは疑いもしない。だから主のために死ぬことは当然だと思っている。但しそれは佐助の意思ではなく、佐助が真田の、ひいては幸村の忍びだからだ。
忍びとして生きもせずに死ぬことが主に対する最後の矜持なのである。

戦国最良の忍びとして、まっさらな赤をどこまでも走らせた上でその跡を追ってゆくのだ。






[ 神様が死なないように信じてあげる / 真田主従 ]
真田は佐助のことをものすごく大事だと思っていて勿論死んで欲しくないと
思っているのだけれど、忍びの仕事をやめろとは言わない時点でそれは矛盾である
というようなことを考えている佐助。めんどくせえなこいつ!